⑨ 彼の涙
お風呂から出て、髪をタオルで拭きながら、リビングに戻ると。
ベランダでパパとマーティンが背中を並べていた。
ママはお仕事の続きをやるとかで、部屋にこもり中だ。
ソファに座ってうだうだしていると、ふいに、パパの声が聞こえた。
「そう。マーティンくんの生まれた街も、すてきなところなんだね」
「はい。いつか、もも叶を連れていきたいです」
知らず、二人の会話に耳を傾けているあたしがいた。
「マーティンくん。ももちゃんのこと、幸せにしてあげてちょーだい。パパからのお願い」
「パパさん……」
……。
パパ……。
カレ、なんて答えるんだろう。
どきどきする胸を抑える。
「ごめんなさい!」
心臓が、とまりそうになる。
「ほんとうに、すみません。僕には、できません」
しばらく誰の声もしなかった。
「なにか、事情があるんだね」
パパの声は、意外なほど落ち着いていた。
「今日ここにきてよかった。もも叶が優しい人たちに囲まれてることが知れたから。女の子なのに強気なところも、勉強が苦手なところも。友達思いで傷つきやすいところも。ぜんぶ、好きだから。
だから、そんなもも叶を大切に見守ってきてくれた人たちから奪って自分だけのものにするなんて。やっぱり、できないんです」
反射的に、あたしは振り返った。
彼の横顔が、かすかに見える。
マーティンは、泣いていた。
どき……。
タオルで髪をふくのも忘れて、あたしはそこに見入った。
マーティンが泣いてるの、本の中以外で初めて見た。
「詳しいことは訊かないほうがいい感じだね。そっか。……残念だなぁ」
パパは、普段見ない、大人の顔をしてる。
「でも、わかりました。事情があるのなら、仕方ないでしょう」
マーティンが袖で涙をぬぐう。
「娘が一生のうちに大事な人に出会ってくれたこと。そのことがパパやママさんにとってもうれしいことなんだ。娘が生まれてきてくれたことの次にね」
潤んだまっすぐな目を、マーティンはパパに向けた。
「そんなこと言わないで、僕を怒鳴ってください。もも叶を幸せにできない、その理由すら言うことのできない僕を」
パパはすっと目を細めた。
「きっと、どうしようもないことなんだよね。それも娘のことを想って決断してくれている」
マーティンは目をいっぱいに見開いた。
「マーティンくんのことは今日はじめて知ったわけじゃないからね。きみのことを話す娘を見てたらわかっちゃいますよ」
「パパさん……」
「そんな人に、どうやって怒れっていうの? パパちゃん困っちゃう~」
今度はいつものように両方の人差し指をくっつけあうパパに。
マーティンはいつまでも、頭を下げていた。
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