⑧ どきどき! ようやく? お泊りデート!

 上品な笑顔を浮かべてカレの手を握りながら、テーブルの下でママのすらりとした足が、さっきからがちがちに固まっているパパの短足を小突いていることを。

 ひっと音がでるほど勢いよく息をすって、今まで黙っていたパパがようやく、しゃべりだした。

「ぐぐ、グーテンタ~ク。いっひびん、ひゅーぶっしゅ、もも叶のパパちゃん。ヴぃ、ヴぃーげーてす??」

 ……。

 あたしは身を乗り出して、こそっと、ママに耳打ち。

「どうしよ。パパとうとう頭おかしくなっちゃった!」

 でもママは冷静だ。

「いいから。カレの反応を待ちましょう」

 マーティンの反応ったって。

 こんな意味不明な言葉には、さすがのカレだって対応できないよ。

 ところが。

 マーティンははにかんだように笑って、パパに手を差し出したの!

 彼の口元が滑らかに動く。

「Sehr gut.Sein Tochter immer macht mich glücklich.」

 ……!

 まま、マーティンが、外国語しゃべった!?

 握手しながら、パパがあせってあたしを見る。

「も、ももちゃん、彼なんて答えてくれたの?」

「あたしに訊かれたって!」

 ママも口を出す。

「あきれた。あんた外国人のカレがいて日常会話もマスターしてないの? 本を読んでドイツ語であいさつしたパパのガッツを見習いなさい」

「え、パパのあれドイツ語だったの? 超日本語的だったけど、よく通じたね! パパ、なんて言ったの?」

「えっとね、『こんにちは、僕はもも叶のかわいいパパです。ごきげんいかがですか』って」

「めちゃめちゃ初歩あいさつ~」

 ま、それすらできないあたしが言うのもあれか。

 横から笑い声がして、見るとマーティンがこらえきれずに笑っていた。

「もも叶の家って、コントみたいだ」

 すみませんねぇぇ。

 娘が外国出身イケメンカレシ連れてきたら、まず一般家庭ならどこでもパニックだと思うけど。

「マーティン、悪いんだけど、日本語で答えてあげて」

「そうだな、直訳すると」

 なんとか笑いをおさめて、カレがパパに向きなおる。

「はい。とても幸せです。娘さんがいつでも僕を幸せにしてくれるので」

 ……。

 訳し終えて、彼はあっと一言言うと、真っ赤になってうつむいた。

「きゃー、リアル西洋人すごいわー、ロマンチック~」

 ママ、興奮しすぎだから。

「パ、パパちゃんこんなジェントルマンなこと言われて、どうしていいかわかんないっ」

 いや、パパが赤くなる必要はないでしょ。

「二人とも、言っとくけどこれ序の口だからね」

 マーティンと付き合ってから毎日がキュンキュンドキドキの嵐。

 こんなんでいちいち騒いでたら、心臓がいくつあっても足りないんだから。

 あいさつがすむと、ママはキッチンでボールに入れた小麦粉を卵を混ぜだした。

「今日の夕飯?」

「そ。せっかくだから日本の伝統料理と思ってね。お好み焼きよ」

「わーい! マーティン、ママのお好み焼きは絶品なんだよ!」

「すみません、お母さん」

 マーティンの言ったそのワードにどきっとしたのは、あたしだけじゃないみたい。

「お母さんなんてなんだか照れるわね」

 居間で飲んでいたティーカップを流しに出しにきたパパがひょいっと身体をすべらせてくる。

「あの、マーティンくん。できたら僕のことも、お父さんって呼んでほしいんだけどぉ」

 両手の人差し指をつっつきあわせて……だからなぜそこで乙女になる。

「わかりました。お父さん」

 さわやかに微笑んだマーティンに、パパはにたーっと笑って、

「なぁぁにぃぃ? 貴様にお父さんと呼ばれる覚えはないぃぃっ!」

「え、それじゃ別の呼び方のほうがいいですか? 先ほどはお父さんがいいって。希望変更ですか?」

 ……。

「ほら、ももちゃん。ここで割って入ってこなくちゃ! 『やめてパパ! 彼を殴らないで!』、はい、リピートアフタミー?」

 あー、はいはい。

「やめてパパ。彼を殴らないで」

 我ながら完全棒読みだ。

「お父さんじゃないとしたら……『パパさん』とかかな……」

 パパ、彼を悩ませないで。

「『パパさん』、それいい! そうしてくれると嬉しいな、マーティンくん」

「あ、ずるい。じゃママは『ママさん』ね!」

 なんかまとまってるし。

「それじゃ、ママさん、あの」

「なぁに?」

「僕にもなにかお手伝いさせてください」

 相変わらず小麦粉を猛スピードでミックスしながらママは笑った。

「あらいいのよぅ」

 ボールを置いて、今度はキャベツを刻み始める。うーんいつもながら、見事な手際だ。

「でもそうねぇしいて言うなら、味見してもらおうかしら? お口に合うか心配だから」

「わかりました」

 マーティンはボールの前に立つと、スプーンを拝借しますと一言――ためらいゼロで、粉をすくって口元へ。

「けほっ。ごほっ。ごほっ」

「あっははは」

 キャベツを刻みながら、ママは目じりの涙をぬぐった。

「もー最高。マーティンくんってかっこよくて礼儀正しいだけじゃなく、笑いもとれるのね」

「しかも身体をはったギャグって、すごいねぇ」

 そっとあたしは教えてあげることにする。

「ママ、パパ、違うの。これ素だから」

「え、あら、まぁ……」

「パパちゃんも、さすがにびっくり……」

 小麦粉が喉の奥につかえたらしく、マーティンはより激しくせき込みだした。

 夕ご飯を食べたあとは、しばしのんびりタイムというのが園枝家流だ。

 ごちそうさまでした、おいしかったですとママに言ってる相変わらず律儀な彼を後目に、あたしはTシャツをあおいだ。

「汗かいたからお風呂入ってくるね」

 一言言って、バスルームに歩き出したら、キッチンでお皿を洗っているママから文句が飛んできた。

「ちょっともも叶。こういうときはお客さまにさきに入っていただくもんよ」

 えー。だって暑いんだもん。

 そう反論しようとしたら、となりでお皿を拭いているマーティンが、

「ママさん、僕ならいいんです。いかなるときでもレディーファーストができないとだめだと母に教えられています。だから僕は、もも叶とママさんとパパさんのあとです」

 ほーらね。

 でも、パパまでレディに含まれるってどうなの。

「んまーすてきなお母様ね~。今度ゆっくりお茶したいわ~」

 ふいに、ママの目がにたっと細まった。

「でもほんとにいいの? 一緒に入んなくて?」

 顔が真っ赤になってるのが自分でもわかる。

 これじゃ、マーティンのこと、見れないじゃん。

「ママのばか! お風呂行ってきます!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る