⑦ 列車のドア、閉まりかけて

 今日は右上でひとつに髪を結んで。

 お気に入りの半そでブラウス、薄いピンクのスカート。

 いつもながら、おしゃれ完璧!

 いよいよ今日はマーティンがうちにお泊りの日。

 午前十時ジャスト。カレを栞町駅ビルまでお迎えだ。

 でも遅いなぁ。

 カレが遅刻なんて、今までにない事態だ。

 どうしたんだろう。

 ま、もう少し待ってみるか。

 駅周辺の街並みを眺めていると、ビルのほうからばたばたと急ぐ足音が聞こえてきた。

「やっと来たか、遅いぞー、マーティ……」

「もも叶ちゃん……!」

 ところが、ふりかえったときあたしを見つめてきたのは、カレよりもだいぶ淡い茶色の瞳だった。

「ジョニー……。どうしたの?」

 息を切らすジョニーに、問いかける。

「心配してたんだよ。今、『飛ぶ教室』が大変だってきいて――」

 手に膝をついて呼吸と整えると、ジョニーは切り出した。

「メルヒェンガルテン行きのパレ駅が、今朝ブラックブックスに占領された」

 あたしは息を飲む。

「それって」

 すばやく彼がうなずく。

「はやくなんとかしないと、僕とマーティンは故郷に永遠に帰れなくなる」

 そんな……!

「至急駅へ向かってくれって、ケストナーさんから連絡がきたんだ。マーティンも今向かっていると……」

 終わりまで聞かないうちに、あたしは駆け出していた。

「もも叶ちゃん!」

 本の中の世界へ続く列車の発着所、パレ駅――星降る書店からつながっているその場所に向かって。

『名作の部屋』から急いでやってきたけど、やっぱり。

 パレ駅は、いつもとぜんぜんちがう雰囲気。

 開放的だった待合所天井の吹き抜けガラスはいばらで覆われて薄暗い。

 まず、あちこちに黒いいばらのテープが貼ってあって、封鎖されている場所がたくさん。

 まだ動いてる路線も数本あるっぽいけど、改札口はどこも真っ黒い駅員服で無表情の人たちがい て、通る人を厳しく観察しているようだった。

 きっと彼らも、ブラックブックスの手のうちの人だろう。

「気をつけて。改札口以外にも、そこら中に監視の奴らがうろうろしてる」

 追いかけてきてくれたジョニーがとなりを歩きながら忠告してくれる。

「なるべく平然として、力抜いて」

 なるべくアドバイス通りになるようにつとめながら、目ではひらすらマーティンを探す。

 どこにいるの。

 また無茶してないよね。

 心配で心がはちきれそうになったとき、ふわりと肩に手がおかれた。

「大丈夫。僕がついてる」

 ジョニー……?

 あれ。

 マーティン捜しに必死で気づかなかったけど、ここって切符売り場だよね。

 肩の上を見上げると、無表情のジョニーが、そう言った。

「二人です。本の中まで」

――え?

オルコットさんの代わりに切符売り場にいたのは、いばらをたくさんまとった女の人。

疑わしそうにこっちを見る。

「旅の目的はなんだね?」

 なんでもないように、彼は答えた。

「帰省です」

「今の状況じゃこの駅いつ封鎖されるかしれないよ。戻ってこれなくなるかもしれない」

 ジョニーは口元だけでうっすらほほ笑んだ。

「そのぶん、片道切符の値段が下がっているとききました。特典もつくと」

 じろじろとあたしたちを見回した後、女の人は、いばらのつると一緒に切符をよこした。

 ジョニーに押し出されるように、あたしは改札をとおって進まされてしまう。

「ねぇどういうこと? 本の中までって」

 たぶん、女の人の言う通りなんだろう。

 今列車に乗ったりなんかしたら、それこそ危険だ。

 そう言うと、ジョニーはつらそうな顔をした。

「ごめん。……もも叶ちゃん」

 ごめん?

 冷静で理論的なジョニーらしくないな。やってることがぜんぜんわかんない。

 っていうか、そもそも。

「今ここを離れたら、マーティンと会えなくなるよ。はやくカレを見つけないと――」

 気がついたら、駅のホームまで来ていた。

『本の中行』と書かれた列車が停車してる。

「だからだよ」

 え?

 ぽかんとしていると、片手を彼にさらわれる。

「急がないとマーティンもここに来る。その前に、きみを連れていく。僕の故郷へ」

 ジョニーの目が暗く光る。

 あたしは愕然とした。

 ようやく、今自分のおかれてる状況を把握する。

 やばい。

 彼は本気だ。

 逃げなきゃ。

 でも、違和感を覚えたように足が動かない。

 ジョニーから、逃げる?

「あたしたち、友達なのに……」

 すくんだあしをすくうようにジョニーにかかえあげられて、鼻先に、さっき彼が切符売り場で受け取ったいばらを差し出される。

 よく見ると先端に、小さな黒いばらがついていて――。

 そこまで思ったときだった。

 急に身体が重くなる。

「甘いよ。君も、彼も」

 何度抵抗してもまぶたが落ちてくる。

「やさしさがすぎると、ときとして、みすみす負けのカードをつかまされることがある。マーティンにもそう伝えるべきだったかな」

 どうしよう、動けない……。

 発車を告げるベルが鳴りだした。

 ジョニーに抱えられたまま、列車の中に入れられてしまう。

「卑怯な手をつかってごめん」

 優しく、前髪を払われる。

 だるさが全身から襲ってきても、あたしはつぶやいていた。

「た……すけて。マーティ……ン」

 ふっとジョニーが寂し気にほほ笑む気配がする。

「今は忘れてくれないかな。カレのことは」

 ぷしゅーっと音がして、列車の扉が閉まる音がする。

 もう、だめ……。

 それと同時にあたしの意識も、落ちかける。

 あたし、ばかだ。

 ジョニーの気持ちは知ってたはずなのに、どこかで見ないふりをしてた。

 友達としていてくれると思ってた。

 だから、バチがあたったんだね。

 だけど、ほんとうに。

 もう会えなくなるのかな。

 パパにもママにも、夢やせいらにも。

 マーティン、にも?

 眠りの海に落とされる直前。

 その声にすくいあげられた。

「や……ってくれる、じゃないか。ジョニー」

 ……!

 瞼をおしあげて見ると、閉まりかける扉を両手でぐっとこじあけている、カレがいた。

 ふっと笑うジョニーの声がする。

「マーティン。人のことを言えた義理でもないけれど、きみもたいがい、しつこいな」

 閉まろうとする扉を、力いっぱい押し戻しながら、カレは言葉を絞り出す。

「約束……したん、だ。もも叶の、家族に会うって」

 その声を聴いて、安心してしまったんだ。

 あたしはとうとう、意識を手放した。

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