③ 悪夢から覚めて ~夢未の語り~

 フライパンの中で、ひき肉とセロリ、にんじんがいい香りをたてている。

 そのなかに、カレーパウダーを大匙二杯、ふりかけた。

 お休み中、みんなならなにをする?

 こちら、ゴールデンウィーク二日目の夢未です。

 今日は一緒に暮らしている星崎さんが午前中お仕事だから、お昼ご飯の当番はわたし。

 夏ということで、野菜たっぷりドライカレーにしてみたんだ。

 お昼を食べたら今日は、秘密の花園で文学乙女会議なの。

 今日の議題の中心はメンバーのももちゃんのこと。

 昨日、カレのマーティンとデートをしたはずなんだよね。

 報告を聞くの、楽しみだな……。

 ただ……。

 かちっと、コンロの火を止める。

 ももちゃんの報告を聞いたあとは、わたしのことも訊かれるかな。

 うん。このあいだお父さんと会うはずだった日のことは、間違いなく訊かれる……よね。

 待ち合わせのレストランでうしろ姿を見たとたん怖くなって、星崎さんに泣きついたなんて言ったら。

 また心配させちゃうな……。

 ふわぁぁと出るあくびをかみ殺す。

 気づいたらソファに横になっていた。

 最近、昼間でも眠くなっちゃうことがあるんだよね。

 夜、あんまり寝てないせいかな。

 今日も、早い時間に目が覚めちゃって。

 わたしはソファに身体を横たえた。

 ちょっとだけ、お昼寝しよう。

 ゆっくり目を閉じた。

 お父さんとお母さんが真っ白いテーブルをかこっている。

 近づいていくと、二人とも立ち上がった。

「中学校進学、おめでとう」

 お父さんが大きな腕を広げる。

「ありがとう。二人とも」

 わたしは席につく。

 目の前にはおいしそうなケーキ。

「さて、ところで夢未」

 笑顔のままお父さんが言う。

「どうしてこのあいだは、来なかったんだ?」

 このあいだ……?

 さっと背筋が寒くなる。

 中学進学のお祝いに、お父さんとお母さんがお店に呼んでくれた。

 レストランの扉の向こうに見えた二人の姿。

 気がついたら、駆け出して――星降る書店に戻っていた。

「まだお父さんが怖いか」

 お父さんの笑顔がだんだんゆがんでいく。

「そうだよな。お父さんは、お前をこうするために呼んだんだから」

 がたん。

 椅子が倒れる音がして、お父さんがわたしに近づいてくる。

 身体が動かないと思ったら、お母さんにしっかり押さえられていた。

 お父さんの手が、振り上げられる。

 体中を殴られる中で、かすかに声が聴こえた。

 夢ちゃん。

 わたしの名前?

 その声は、だんだん大きくなって――。

 目が覚めると、全身汗でぐっしょりだった。

 ソファの前には――白いシャツを着た星崎さん。

 わたしの肩を抱いて、蒼白な顔をしてる。

 彼がこっちをのぞき込む。

「大丈夫?」

「星崎さん。おかえり……なさい」

 はっとして、あたりを見回す。

「ごめんなさい。わたし、寝ながらなにか言ってました? うるさかったですか」

 そう言うと、彼は小さくて鋭い息を吐いて、わたしを抱きしめた。

「大丈夫かって訊いてるんだけど」

「え、ええと」

 すぐに答えることはできなかった。

「すごくうなされてた。小学生の時もときどきあったけど、またお父さんの夢?」

「……はい」

 彼がわたしの肩をもって、顔を見てくる。

「その夢のせいで、ほとんど寝れてないんじゃないの」

 どうしよう。

 言わないつもりでいたのに。

「わかるよ。近頃ずっと顔色悪いし、一日中疲れてる」

 やっぱり、隠せなかった。

「頻繁なの?」

「……はい」

 彼はわたしを抱いて、ソファに座らせると、その隣に座った。

「去年のクリスマス、覚えてる?」

「はい……」

 お父さんに殴られたとき。

 わたしはしばらく、心がおかしくなっていたみたい。

 星崎さんやみんなのおかげで元気になれたけど。

「今だから言うけど、あのとき、きみの状態は簡単なものじゃなかったんだ」

 知らず、目線が下がる。

 その先を、言ってほしくなかった。

 でも、カレはゆっくりと口にする。

「夢ちゃん、これは以前から考えていたんだけど、やっぱり一度病院で診てもらおう」

 わたしはそっと顔をあげた。

「星崎さん。わたし、病気なの?」

「あくまで、用心の意味だけど」

 わたしを安心させるように笑ってくれるその目を見て、泣きそうになる。

 また迷惑かけちゃった。

「星崎さん。病気になんかなって、ごめんなさい」

「夢ちゃん」

 すっと、正面から彼が見据えてくる。

「両親がそうしていたからって、きみまで理不尽なことで自分を責めるんじゃない」

 ぴしゃりと言われて、思わず顔をあげる。

「一人ではどうしようもなかったことを悔いるくらいなら、そのどうしようもないことを、ここまでオレに隠していたことを反省してほしいね」

 私の両手を星崎さんはぎゅっと握った。

 いつにない強い力に少しだけ戸惑う。

「隠し事はもうしないって約束できる?」

「はい」

「ほんとうだね」

「約束、します」

 まったくいい子すぎる子は困るって、そういう声はまだ怒っていたけど。

 頭に置かれた手はとても、優しくて。

 最後の一筋の涙を誘った。

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