② ゲーセンで冷戦決戦

 待ち合わせは栞町駅ビルの前だ。

 駆け足で広場まで行くと、カレはすでに待っていた。

 水色のシャツ。淡いベージュのズボンにはベルトをしている。紫のリュックを肩にかけて。

 こげ茶のさらさら髪が初夏の風に揺れる。同じ色の瞳で、腕時計を見ている。

「マーティン! 超絶ごめん! 行きがけにママとちょっとひと騒動あって」

 声をかけると、カレがこっちを向いて、おかしそうに笑った。

「落ち着くんだ、もも叶。まだ待ち合わせ時間前だよ」

「へ?」

 腕時計を確認すると、ほんとだ。

 まだ約束の十時まで十分もある。

「なんだ。もー、ママのやつ~」

「お母さんと、なにかあったのか」

 澄んだ紅茶色の目が、心配そうにこっちを見てくる。

「たいしたことじゃないんだ。あとで話すね」

 それよりなにより、今日はゲーセンデート!

 乙女の心得。カレとの時間は楽しむことを優先せよ!

「わかった。それじゃ、行こうか」

 あ――。

 彼は歩き出すと同時に、さりげなくあたしの手を取って――。

 恥ずかしくて思わずうつむいちゃったけど。

 やっぱり幸せ……。

 あたしは心の中で、さっそくのガッツポーズをした。

 ゲーセンに入って、正面のユーホーキャッチャーを見たとたん、あたしの心は虜になってしまった。

 ケースの中にあったのはゆるキャラ子ぶたのぬいぐるみ。ふにゃっとした目とのびた胴体。くるくるのしっぽ。いつもベッドのうえにいるあたしの良き相談相手よりちょうど一まわり小さいサイズ。

「ぶー吉の弟がいる……」

「もも叶? もも叶」

 目の前で手を振られて、あたしははっと我に返った。

「マーティン、あたし、使命感に燃えてしまった。生き別れになったブタさん兄弟を引き合わせてあげないと!」

 マーティンは目を丸くして、そして真剣な顔で、

「なんだかよくわからないけど、肉親の再会を手伝うのか。そういうことなら応援する」

「いざ!」

 あたしたちは、ユーホーキャッチャーにダッシュした。

「終わった……」

 だんっと、あたしはプラスチックのゲーム機に手をついた。

「マーティン、とらわれの身の弟を助け出すという崇高な任務は、資金不足のため断念なり……」

 ハート型の小銭入れをいくらふっても、もう百円玉は出てこない。

「あぁぶー助。ふがいないももを許して……!」

「すでに、名前つけてるし……」

 ユーホーキャッチャーにもたれかかったマーティンは、がくりと肩を落とした。

「人命救助とかいうからなにかと思った」

「わーん、ごめんね、ごめんねかわいいぶー助―っ」

「やれやれ……」

 マーティンはゲーム機に向きなおって、ケースの中を見つめる。

「救助対象は、ケースの右端に埋もれている、水色と白のボーダーシャツを身につけた生後推定三か月のイノシシ科の家畜(冬眠中)で、間違いはないか」

「ちょっとー、なにその言い方! 家畜とかやめて。ぶー助ってかわいく言えないの?」

 文句を言うけど、カレは相変わらずきりっとした曇りなき目で、

「公式な救助活動には、対象の正確な身元の特定が必要なんだ」

「あ、そう……」

たまにマーティンって、頭がいいんだか天然なんだかわかんない。

「そうだよ。あたしがほしかったのは、右端にくたっと寝てる、ボーダー着てて、とろんとしたかわいい目のぶー助なんだ」

 まぁ、もう、救助は打ち切られたけどね……。

 そう言おうとしたとき、からんという音にさえぎられた。

 てれてれてってん♪と、ご機嫌な音楽が流れ出す。

 え。ちょっと。

 すぐ隣では、鋭い目をしてキャッチャーのボタンを操作してる、マーティン。

「もしかして今、百円入れた? 入れたよね」

「コストより人命優先だ。資金が枯渇するまで試みる」

 うわぁぁぁぁ。

「やめてマーティン、あたしそんなつもりじゃ。ここのユーホーキャッチャー難しくて有名なの。破産しちゃうよ!」

 ただでさえカレは一世紀近く前のドイツ出身。

 最新ゲーム事情に精通してるわけが――。

 てれってってってれん(^^♪

「おめでとう! 商品を下のケースから取り出してね」

 わけ、が――。

「もも叶」

 ……うっそぉ。

「救助隊員として、もう少し修業が必要だな」

 ぽんぽんとカレに頭をたたかれて、無事か、と確認されているぶー助が、目の前にいる……!

 ぶー助を受けとって思いっきりほおずりする。う~ん、予想通りの気持ちいい肌触り!

 嬉しさあまりに、いたづら心が芽生える。

「健闘したマーティン隊員に、正当な報酬を……あげてもいい?」

「えっ」

 あたしはそっと背伸びをして、カレの頬に口づけ――ようとしたそのとき。

 鋭い寒風が吹いた。

 冷房が効きすぎてるのかなと思ったけど、そうじゃない。

 さっきまでにぎやかに音楽や効果音を流していたゲーム機も周りの人たちも、いつの間にかいなくなっている。

 あたしとマーティンの周りは、なにもない。

 あたり一面の雪のほかには。

「マーティン・ターラー。見つけたぞ」

 正面から吹いてくる吹雪がかたまって、徐々に人の形になった。

 真っ白いコートを羽織っている女の人だ。

 頭には氷でできたかんむりをかぶっている。

 きれいだけど、怖い。

 マーティンはひるまずに彼女を見返した。

「雪の女王だな。なんの用だ」

 女の人はにこりともせず答えた。唇にすら血の気がなくて、表情まで氷ではりついてるみたいだ。

「お前を本の中に迎えにきた」

「あいにくまだ帰省する気はない」

「お前の意志など関係ない。我らブラックブックスのトップ、ルーシュン様からのご指名があればこそ」

 マーティンはきっと目を細めた。

「なんだって」

 あたしもしっかりこの耳で聞いた。

 ブラックブックス。

 それは、あたしたちのこの時代から本をごっそり盗もうとしている極悪組織。

 チーム文学乙女が戦い中の天敵なんだ!

 この雪の女王も、ブラックブックスのメンバー……!

「ブラックブックスのトップはルーシュンっていうんだね……!」

 これだけでも貴重な情報だ。

 なにせ謎だらけの組織で、今まで誰が仕切ってるのかすらわからなかったから。

 雪の女王の顔がますます凍り付いた。

「しまった。わらわとしたことが」

 ぷっと笑いがこみあげる。

「氷の女王なだけに、口が滑っちゃったって?」

「……もも叶、氷なだけに、寒いぞ」

「マーティンこそ」

「ええい、いまいましい。我ら組織の恐ろしさ、思い知れ!」

 女王がコートを広げると、今まで以上に強い吹雪があたしたちを襲った!

 鋭い氷のかけらが飛んできて、痛い。

 マーティンがあたしをかばうように前に出た。

 吹雪は容赦なくカレをたたきつける。

「くっ」

「マーティン……!」

 前に出ようとするけど、風圧が邪魔して動けない……!

 でも、あれ?

 しばらくすると、ぴたりと痛みを感じなくなった。

「マーティン、だいじょうぶ?」

 呼びかけるけど、返事がない。

「マーティン?」

 不安になって、カレを見て――ぞっとした。いつもの茶色の優しい瞳は、灰色一色に変わっていた。

 女王の青い唇がうっすら弧を描く。

「さぁ、くるんだ。マーティン・ターラー。我が氷の城に案内しよう」

 カレは言われるがまま、歩いて行ってしまう。

 女王に近づくにつれて、マーティンの身体がすきとおっていく。

 そんな。

「あわれな恋人よ。彼の故郷は本の中なのだ。あきらめるがよい」

 そう。

 カレは本の中の人で。

 でも、いっしょにいられるようにって、ずっと方法を考えてくれてて。

 この春だって、わざわざ本の中からの切符を手に入れて、会いにきてくれた。

 なのに、女王に言われただけで、帰っちゃうなんて。

 そこまで考えたとき、はっとした。

 雪の女王って、たしかアンデルセン童話だよね。

 男の子が女王にさらわれたのは、心に氷のかけらが入ったからだった。

 今のマーティンもその状態なら。

 よし。

 あたしは抱えたぶー助を、頭の上にかかげて装備。

 全速力で駆け出した。

 自慢の俊足で、彼に追いつく。

「ちょっと待たぬか、マーティンっ!!」

 そしてかかげたぶー助で勢いよく――カレの頭をはたいた。

 しばらく頭を押さえると、カレは言ったんだ。

「あれ? 僕、いったいどうしたんだ……? ゲームセンターで雪の女王が現れて、それから」

「くそ。瞳の中の氷のかけらをはたき落としたか」

 覚えておれ。

 そう言うと、雪の女王はすっと雪山の中に消えて。

 気がつくと、あたしたちはゲーセンの風景の中にいた。

 賑やかな音楽だけがしらじらしく響いていた。

「もも叶、聞き分けてくれ」

「だめ! ぜったいやだ!」

 帰りの分かれ道、あたしたちは、もめていた。

「マーティンは、ブラックブックスに狙われてるんだよ? そんな状態で、一人にできるわけないじゃん!」

 ぎゅっと、彼の手を握る。

「ねぇ、今夜はうちにおいでよ。あたしが守るから」

「気持ちはうれしいけど、親御さんにだって迷惑だろ」

「そんなこと言ってる場合じゃないっ」

「わかった」

 マーティンはあたしの手を握り返す。

「まずくなったらすぐ連絡する」

「……ほんと?」

「約束だ」

 それと、と彼は少し恥ずかしそうに、

「さっきは、助けてくれて、ありがとう」

「――ん」

 当たり前だよね。

 これでもカノジョなんだから。

「あのね、マーティン――。今日はだめでも、今月末、うちに来ない?」

 カレが目を見開く。

「できれば泊りで。ママが会いたいんだって」

 じわり、あたたかな表情が彼に広がっていく。

「そうできればうれしい。僕も、もも叶のご両親には、あいさつしないとと思ってたんだ」

「ほんと?」

「あぁ。必ず行く。よろしくお願いしますって伝えてくれ」

 あふれでる笑顔が抑えきれない。

 あたしはうなずいて、ちょっとの心配といっぱいの幸せの気持ちで、夕焼けの中のカレの後姿を見送った。

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