⑥ お父さんから入学祝い

 栞町駅ビル一階にあるカフェ『グリムの森』

 夕暮れの街が見渡せるガラスの角の席に座って、わたしはカレを待っていた。

 こつんとガラスに頭をもたせかける。

 やっぱり、さいきんちょっとだるいな。

 寝不足のせいなのかな。

 しばらくこうしていよう。

 小さな声で、歌声が口をついて出る


 ♪今日はデート 久しぶりのデート

 学校帰りに待ち合わせ


 心配かけないように

 笑顔でいなくちゃ がんばれわたし!


 星崎さん 世界一かっこいい

 星崎さん カレがいれば るる アイドルなんかいらないの


 だってだって 

 カレはたった一人の

 わたしの王子様だから


 気分はスポットライト。拍手!

 なんてね。えへ。そばの席に誰もいないからってちょっとはしゃぎすぎかな。

 そっと目を開いて――静止した。


「ありがとう。夢ちゃん」

 ぎょぎょっ!!

 顏に、一気に血が上る。

 お仕事用に行くときいつも着る白いシャツ姿の人がそこに!

「リアル星崎さん! いい、いつからそこに!?」

「そうだな、『今日はデート』のあたり?」

「さいしょから……」

 ううっ、穴があったら、なくても、このテーブルの下に入りたいっ。 

 ウエイターさんを呼んで、星崎さんはカフェオレを、わたしはベリーティーを注文しおえる。

「中学校はどう?」

 わたしは即答する。

「楽しいです。ももちゃんもせいらちゃんもいっしょのクラスなのがすごく嬉しくて」

 星崎さんはうなずいた。

「よかったね。二人が夢ちゃんのそばにいてくれるのは……オレとしても安心かな」

 さりげなく言われた言葉に、心が反応する。

 彼が気にかけてくれてるのは、やっぱり、ものすごくうれしい。

「でもまさか、栞町中学に全員集合とは驚いたけどね」

 星崎さんが言うのは、神谷先生とマーティンのことだね。

 さいしょから嬉しいびっくりの連続。

 ももちゃんもせいらちゃんの幸せそうで、ほんとによかった。

 でも。

「……全員じゃ、ないです」

「え?」

「星崎さんは……中学にはいないから」

 彼はちょっとくびをかしげて、微笑んだ。

「ごめん。近頃時間がとれなくて」

「また、ほんとの全員で会えたら」

 あ。いけない。

 ついわがまま言っちゃった。

 星崎さんはちょっと考えて、

「少しがんばれば、今月後半ならなんとかなるかな。龍介と相談してみるよ」

 えっ。びっくり。

「いいんですか?」

 星崎さんはちょっといたずらっぽく微笑んだ。

「入学祝いもまだだったしね。なんとか考えよう」

 わ~っ。

 言ってみて正解だった。

 こうなってくると、つい話す口に弾みがついてくる。

「あ、あと、部活も、入ろうと思ってて。文芸部なんですけど」

 星崎さんは笑いながららしいね、と言った。

 このあいだ見学に行ったときのことを話す。

 読んだ本を紹介しあったり、小説や詩なんかも書いたりするらしい。

 そこまでわたしにできるかはちょっとわからないけど。

 本のことを話すのはやっぱり楽しそうだなって思ったんだ。

 夢中で話しているとすっと右の頬に手が添えられる。

 どきっ……。

 彼が首をかしげて、こっちをのぞきこんでいた。

「充実してるのはよくわかったよ。ただ、それなら時々、顔色がすこしすぐれないように見えるのは、どうしてかな」

 思わず両手でほっぺたをつまむ。

 うそ……。

 気をつけてたのに、やっぱり悟られてる。

「わたし、元気ないですか……?」

 ほぼすれ違いの生活なのに、いつわかったんだろう。

「とくに朝だね。眠そうっていうだけならまだしも、話しかけられた時の反応や学校の支度がゆっくりになったのが、少し気になってた」

 そこまで見られてたなんて、ぜんぜん気づかなかった。

「最近夢ちゃんとはゆっくり話せなかったから。かわいそうだなと思ってたんだ」

 わたしはかばんから一枚の手紙をとりだして、テーブルに置いた。

「ちょっと、迷ってることがあって」

 星崎さんはそれを拾い上げて読むと、思った通り、難しそうな顔になる。

「入学祝いに食事……お父さんと?」

 手紙越しに投げられる視線も、いつもより重たげな気がする。

「どうしたらいいか、わからなくて」

 手紙をテーブルに戻して、彼はしばらく黙っていた。

「夢ちゃんは、どうしたいの」

 うながされるように、そっと目をとじる。

 昨日は夢の中でお父さんはいつもみたくわたしを殴ってこなかった。

 小さいころ、言われた言葉を、かけてくれただけ。

 小学校に入るとき、お父さんが入学祝いに買ってくれた絵本を、声に出して読んでいたときのことだ。

『夢未は世界一だ。わたしに似て文学的才能がある』

 お父さんはいけないことをした。

 でも、それはいろんなつらいことがお父さんにさせたこと。

 ほんとうのお父さんは。

わたしはすっと息をすった。

「行きたいです」

 星崎さんの目を見る。

「お父さんとお母さんにお祝いしてもらいたい」

 わたしをじっと見つめ返す彼の瞳は、決して楽観的でも、積極的でもなかったけど。

 それでも、返事を返してくれた。

「行っておいで」

 びっくりした。

 お父さんのこと、ずっと警戒してた星崎さんが、そう言うなんて。

「場所は都心のレストランって書いてあるから、なにかあったら助けを求められる。お父さんはだいぶ、よくなってるみたいだし」

「星崎さん……」

 すっと、心が軽くなるのを感じる。

「よかったぁ。そう言ってもらえて」

「ただ、あせったらいけないよ。危険なことのまえに、すこしでもいやなかんじがしたら、すぐ逃げてくるんだ」

 いいね、と念を押す星崎さんにうなずく。

 彼は心配してくれるけど、きっとだいじょうぶ。

 またお父さんと仲良くなれるかもしれない。

 そう思っただけで嬉しかった。

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