単元2

はやくも立ちはだかる障壁――負け犬と悪魔の論争――正義先生の結論


「今までの情報をまとめると」

マーティンが白い紙に書き込んでいく。


・友達がギムナジウム生のカノジョ

・ふんわり癒し系女子

・家庭環境――複雑そう。ひきとってくれた人と暮らしている。


 情報が出そろったところでみんなのあいだに流れたのはなぜか、重い雰囲気だった。

「きわめて、言いづらいんだけど、マッツ」

 口を開いたのはジョニーだ。

「彼女には、好きな相手がいるんじゃないかな」

 マッツは大きく目を見開いた。

「えっ。おい。なんでそんなことわかんだ?」

「あぁ、おそらくは一緒に暮らしてる彼のことを」

さらに言うマーティンに、つめよる。

「だから、なんで」

 代わりにジョニーが答えた。

「その人のことを、『彼』、その子はそう呼んだんだよね。残念だけど、決定的だと思う」

がーーん!!

 ノックアウトのマッツの横で彼以上に打ちひしがれているのは親友のウリーだ。

「そんな……。なにか、うまくいく方法はないのかな」

 これを受けて、微笑んだのはジョニーだった。

「落ち込むのは早いよ、マッツ。まだきみにも部はある。僕の言う通りにしたらね」

「……お?」

マッツの肩に手を置いて、彼は怪し気にささやいた。

「彼女が弱っている時、優しく寄り添うんだ。そしてこう言う。『オレじゃだめか。』

できるかい。マッツ。

『きみの好きなあいつより幸せにしてみせる。』

さぁ、言ってみて」

「……」

 マッツはこほんと一息。

「お、おれじゃだめか」

 そして、顔を両手にうずめた。

「わーだめだっ。がらじゃねーっ。

ジョニー、お前だったらともかく、どでかいだけのこのオレが、『おれじゃだめか』なんて言ったって、ブタがポークステーキになりたがってるぐらいにしか思ってもらえねーよ!」

「たしかに」

相槌をうったセバスチャンをマーティンがにらむ。

「そんなことない、がんばってよ、マッツ! ジョニーの言う通りにすれば、きみだって幸せになれる!」

 ウリーが叫んだそのあとだった。

「待て」

進み出たのは我らがリーダー、マーティンだ。

「僕も、マッツを応援するのは賛成だ。

だけど、ジョニーの作戦。それは、どうなんだ。そんな弱みにつけこむような真似、卑怯じゃないか!」

 うろんげにこちらを見てくるジョニーと期待をこめたマッツに答えて、マーティンの恋愛講座がはじまった。

「彼女もまた本気で恋をしているなら男としてかけるべき言葉は一つだと思うんだ。

『きみの幸せを祈ってる。そのためなら喜んで踏み台にもなろう』」

 マーティンの意見にぴょこんと、とびはねる金髪ウリー。

「そうだ! それこそ至高の愛かも! やっぱり、マーティンが正しいよ! マッツ、彼女の幸せを祈る立派な男になるんだ!」

 その熱さに、ちょっと引き気味にセバスチャンがつっこみを入れる。

「わりとぶれるな、お前」

 気が変わったのはウリーだけではないようだ。

 とうのマッツも、神妙な表情。

「うん。

よくよく考えてみたら、マーティンの言うとおりかもな。

オレ、やっぱりあきらめるわ。

あの子のこと。ぐっ」

男泣きしそうになっている肩を、再びたたく手があった。

「マッツ。マーティンの言うのは、ほしい獲物が手元にあって戦意を喪失している飼い犬の言うことだ。

えさにありつきたければ、トラの洞穴に入るしかない僕ら野生生物に、理想主義を掲げているいとまはない。

全力で狩りに行くんだ」

「お、おう。

たしかにオレは、飼い犬よりかは野生のイノシシってタイプかもだし」

セバスチャンが再びつっこみをいれる。

「いや、そういうことじゃないだろ」

「マッツ!」

 ところが熱血リーダー、マーティン・ターラーくんも譲らない。

「悪魔のささやきに耳を貸すな。

 なにも僕は彼女のためばかりを想って言ってるわけじゃない。

 好きな人がいる彼女とそれでもつきあうっていうのはきみにとっても茨の道だ。

 君は本気でも、相手は一時のきまぐれってことになるんだ。

 純真なきみがもてあそばれたらどうなる。

 もうずたずただ。

 リーダーとして、仲間として看過できない!」

「うぬー、本気でそう心配されちゃうとな……」

 マーティンの情熱に、マッツもおろおろと考え込む。

「ふん」

すかさず、ジョニーがそのひじを、マッツの肩に置いて、

「マッツ、どちらがよりきみを想っているか、よく考えてみてほしい。僕だってきみの純朴さは知っているよ。そんなきみだからこそ、自分が傷つくかもしれないなんて理由であきらめられるような、打算的な恋はできないこともね。傷ついたとしても、あの娘といたい。違うかな」

 とたんにかみつく犬くんがいた。

「いいや! 彼女のためなら身をひける。マッツ、きみはそういうやつだろ!」

「飼い犬のマーティンに耳を貸すな」

「ジョニーの魔のささやきに惑わされるな!」

「マッツ! 僕のほうを信じるだろう?」

「マッツ、聴くんだ」

「っだぁぁぁぁぁ~っ」

 その声に、マーティンとジョニーが我に返ると、ふたりのあいだの床にて、マッツがのびている。まるでラガーツの温泉かどこかでのぼせきったご老体のごとしだ。

 セバスチャンがどうでもよさげに一言。

「パンクしやがった」

 次いで同情を込めた瞳のウリーが、

「マッツの思考能力では、このあたりが限界だったみたいだね」

 そのとき、落ち着いた靴音が響いて、がらりと扉が開いた。

「今日くらいは平和かと思ってのんびり見回っていたら、なにを騒いでいるんだい、わんぱくたち」

 少年たちの顔がぱっと輝く。

「正義先生!」

 彼こそ、ヨハン・ベク先生、みんなから信頼を集める舎監の、通称正義先生なのだ。

「マーティン、ずいぶん熱くなっていたようだが」

 差し向けられて、存外繊細な面のあるこの苦学生は、顔を赤らめてうつむいた。

「ええっと……その」

「僕にも言えないことかね」

 ためらう彼にかわって、言ったのはウリーだった。

「マッツの恋についてみんなで話していたんです」

 ふいをつかれたように優し気な目を見開くと、鷹揚に笑いながら、正義先生はみんなが集う中心のベッドに腰かけた。

「はは。きみたちもそんな年齢か」

 ウリーが説明を続ける。

「ジョニーとマーティンが真反対のアドバイスをして両方とも譲らなくて」

「おや、もめる組み合わせとしたら少々珍しいな」

「こいつら気はあうらしいんですが、そういう事情おける好きなタイプまでドンピシャだったっていきさつがあるんです」

いらんことまで言うセヴァスチャンをマーティンがきっとにらみ、やれやれとジョニーが肩を上下させる。

これまでの話し合いのいきさつを語ったのち、救いを求めるようにウリーが正義先生を見上げた。

「ベク先生はどう思いますか?」

 全員の視線が、正義先生にそそがれる。

 やはり年頃の子ども、尊敬する先生の恋のアドバイスは気になるらしい。

 ゆっくりと、その人は口を開いた。

「恋の形というのは人それぞれとしか言いようがないが、一つ言えるのは、それを感じるのもやはり人間だということだ。

 人というのは完璧な円や正方形ではない。

 極端な形でなくてもいいということなんだ」

 マーティンとジョニーが何かに気づいたように目を見合わせる。

「世の中には恋人か他人同士しかいないわけじゃあるまい。そうじゃないか、ボクサーくん」

 尊敬する先生の視線を受けて、それまでノックアウト状態だったマッツがぴっと背筋を伸ばした。

「はいっ。正義先生、おれ、がんばってみます!」

悩める生徒に向けてしかとうなずいた先生は、よしと立ち上がった。

「ではそろそろローベルトと約束の時間だから、わたしは行くとしよう。諸君、恋もいいが、勉学のほうも忘れずに励んでくれたまえよ」

 5つの輝ける若き視線を大きな背中に受けて、わずか五分で問題を解決してしまった正義先生は、その場を後にした。

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