単元3

焼き菓子という選択――いちばん最初の男友達――未来の画家と作家の論争、兼約束


 禁煙車両の前にもたれて、ギムナジウム生とデート中の女友達を、その日も彼女は待っていた。

 今日はオレンジじゃなくて、襟にイチゴ柄のついたピンクのブラウスに淡い茶色のスカート姿だ。

 やっぱりかわいい。

 車両のかげでファインティングポーズをつくると、オレ、マッツはその子の前に一気に進み出た。

「あああ、あの」

 驚いたようにみをかがめるその子に、ぺこりと頭をさげる。

「こないだは、命の危機を救ってくれて、ありがとう」

 ミルクティーのような優しい色の目を見開くとまるいほほがふっと上がる。

「おおげさだよ。サンドイッチくらいで」

 よっし!

 心の中でもう一度ガッツポーズ。

 オレは背中に隠していたものを、彼女の前に差し出した。

 それは、戦ってでもきみを手にしたいと言う情熱のバラではなく。

 自己犠牲が花言葉の白いドクダミでもなくて。

「これ、お礼の焼き菓子。形くずれてるけど、そのぶん安く買えてお得なんだ」

 まったく、色気のない選択。

 でもどうやらそれは、彼女の笑顔を勝ち得たっぽかった。

 一口かじったその子は花のような笑顔になった。

「おいしいっ」

「よ、よかった。あ、あのさ、オレ、きみの」

 恋人になるのでも、踏み台になるでもなく。

「とと、友達になりたいんだっ!!」

 いきおいよう頭を下げて右手を差し出す。

 これがオレの選んだ恋の結末だった。

「ほんとう? 友達になってくれるの?」

「え?」

 頭をあげると、袋をかかえた彼女は幸せそうにくつくつ笑っている。

「よろしく、わたし夢未」

 自分から差し出しておきながら、握られた手にちょっとびっくりして、握り返す。

「お、おお、おれ、マッツ」

 ……。

 ……。

 え。

 なんでここで黙るんだ?

 とはいえこっちもなんにも言えなくてただただまぬけヅラで見ているとその子は恥ずかしそうにうつむいた。

「男の子の友達って、あんまりいなくてどうしていいかわからなくて」

 驚きと。

 かわいいなという感想と。

 三番目にきたのは、喜びだった。

「えっ。じゃぁオレが男の友達一号ってこと?」

 鼻の頭なんか指さして目を見開いて、まったく自分でもあきれるほど、様になるしぐさが苦手だ。

「うん、そうかな」

 オレは、後ろをむいて、

「っしゃぁぁ!」

 こらえきれずに、ガッツポーズをした。

 諸君、僕、ケストナーおじさんは今、ギムナジウムの舎監室の窓からコーヒーを片手に、禁煙車両をのぞいている。

 正義先生と、校医のローベルト先生もいっしょだ。

 愛すべきわんぱくたちを愛でる会というわけさ。

 禁煙車両の表で笑い合う二人は案外いい感じだ。その裏には、こっそりと様子を見守る影が二つ。

「正義先生は……やっぱりすごいな」

 しみじみとつぶやくマーティンと、

「口に出すまでもないことさ」

 しっかりとうなずくジョニーだった。

この二人は再び、未来に向けた無言の約束を交わしたようだ。

「で、挿絵は引き受けてくれるの? 天才画家くん」

 からかうようなジョニーに、さっと顔を赤らめて、マーティンは答えた。

「あんまり、大人びたものじゃないならなんとか」

 にっこりとジョニーが微笑む。

「純愛物を約束しよう。そうだな、こんなのはどうだろう。愛し合う恋人同士を切なげに見つける主人公、そして次第に彼にかたむき、ついには腕に身を投げてしまう彼女」

「かっ、彼女の恋人の男は、どうするんだ? 負けずに奪いかえすんだろう?」

かっと顔を赤くするマーティンに、しれっとジョニーは答えた。

「無理じゃないかな。なにせ、彼はしょせん、飼い犬だから」

「……もも叶が、今度ジョニーも入れて三人で帯紙公園にお花見行きたいって言ってたから誘おうと思ったが、もうやめだ」

 くるりと背を向けた彼を、ジョニーが驚いたように見る。

「それはほんとうかい?」

「どっちにしろ、もうきみには関係ないだろ。それじゃ、僕は行く」

「待てよ、マーティン」

「悪いけど、リープリングシュトラーセの紅茶屋で彼女といるところを抜けてきたんだ。これ以上待たせられないから」

 むくれるマーティンに、ふっと、ジョニーは大人びた笑みを見せた。

「彼女が僕に関心を向けてくれることにすねるのはいいけど、仲を見せつけるのはいただけないな」

「ほんとにもう行くぞ」

 すたすたと行きかけて、思い出したように立ち止まったマーティンは、振り返って、

「挿絵は、ひきうけた」

 挑戦状をたたきつけるような目でそう言い残した。

 ジョニーは手を挙げて答える。

「ほんとうだね。鋼の誓いだよ。恋がどうなれど、変わらない友情だ」

 マーティンは前を向くと、去って行った。

 ジョニーはその目の端で、すねた飼い犬が一瞬、了承の笑みを浮かべたのをとらえたのだった。

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