夢もも探偵事務所 事件ファイル4 ~青りんごの栞~
青りんごの栞
それは柔らかな日差しが探偵事務所に差し込む秋の日に、突然に訪れた。
わたし夢ソンと名探偵ももロックは、事務所の管理人星崎さんが出してくれた青りんごのタルトとコンポート、そしてアップルティーを堪能していた。星降る書店で星崎さんのもとで働いてくれているパートさんが、段ボールいっぱいの赤と青のりんごをおすそわけしてくれたんだ。こんがりきつね色に焼けた網状の生地で閉じてあるタルトも、ゴールドダイヤかターコイズのようにすきとおったコンポートもほっぺがおちる絶品。さすがお菓子作りもいける星崎さんだ。りんごでいっぱいにしたほっぺをもごもごと動かして、しまいには思った通り、のどにつかえさせて苦しむももロックを見て、ひそかに笑いをかみ殺していたらこちらまで、口の中のコンポートの一切れがつるりと喉にすべりそうになって、あわててごほごほとせき込む。
要するにわたしたちのお腹と心は、そのときかんぜんに満たされ、事件をどん欲にさがす探偵のハングリー精神なんかとは無縁だったんだ。だから、そのあとがちゃりと扉が開いて。
「依頼人がやってきたようだよ、探偵さんたち」
薄手のシャツの上にセータールックの星崎さんが放ったその言葉はいうなれば、わたしたちにとって「たなぼた」だった。
まだタルトのかけらが口の中に残っていると言うのに、ももロックは立ち上がる。
「ほんとうですか! 管理人さん!! げほっ、ごほっ」
「ももロック、はい紅茶」
助手としてそのへんは如才なくわたしが差し出したティーカップをかたむけ、中身をごくごくと飲み干すと、ももロックはこほんと咳払い。
「夢ソン。これが落ち着いていられるかい? 我が探偵事務所初の自発的な依頼人なのだよ!」
うーん、そう言われると、それはたしかに事実でもある。
今までの事件にももちろん依頼人はいたわけだけど、それはだいたいわたしたちが強引に売り込んだり、首をつっこんだりした結果だったもんね。
「嬉しいねーっ。わたしたちの探偵事務所にもついに、自由意志で依頼人が……!」
「乾杯だお祝いだ、いえーい」
感涙にむせび、抱き合って喜びをわかちあうわたしたちに降りかかったのは、星崎さんのおかしそうな笑い声と。そして。
「水さすようで悪いけど、お祝いは、無事謎を解いてからにしてくんねーかな」
扉から姿を見せたすらりとした若い依頼人――神谷先生の苦笑だった。
神谷先生は、大量のりんごの一部を星崎さんからおすそわけしてもらうついでに、この夢もも探偵事務所に立ち寄ったらしい。
「ついででもなんでもこのさいどんと来いよ! で、どんなナゾを解いてほしいんですか??」
低いガラステーブルに向かい合う探偵ももロックと依頼人神谷先生。そのあいだに腰をおろして、わたしは事件の書記をつとめていた。
神谷先生は、傍らに横たえた黒い大きなかばんから、一冊の手のひらサイズの本を取り出した。
「じつはさいきん、マーティン少年に本を借りたんだよ。星降る書店でばったり会ったあと、帯紙公園で話をきいてさ。なんでも、『さいしょは主人公の名前にひかれたんだけど、すごくおもしろかった』って猛プッシュされて。『とくに物語の構成が絵画のごとく美的ですばらしい』とか、絶賛してるから」
へぇぇ。なんの本なんだろう?
自他ともに認める本大好き人間のわたしは興味津々だ。
構成とは物語のつくりのこと。それが絵のように美しいって……?
「なんのこっちゃ。マーティンてば相変わらず無駄にむずかしい言葉使うよね。絵なのか本なのかはっきりせいや」
そんなことをぼやいているももロックにくくっと笑うと、神谷先生は話を続けた。
「ところが今朝になって、少年からラインがきてさ。やっぱり返してほしいって。わけはいえないって言うんだ」
ほほう、と、ももロックはうなずいてまとめる。
「つまり神谷先生は、マーティンが本を返してほしいわけをつきとめてほしいってことですな」
神谷先生は腕をくんで大きくうなずく。
「そういうこと」
「でも、どうして?」
わたしは率直な疑問をさしはさむ。
「マーティンは知られたくない秘密なんですよね。それなのに」
そう言うと、神谷先生はうつむき、笑い声を漏らす。
ちょっと不気味だ。
突然がばっと顔をあげたかと思うと。
「だからこそだよ! あいつの弱みをにぎればからかうネタができる!」
「ええっ」
そんな動機に協力していいものだろうか。
助けを求めるように、ももロックに視線を送るが、
「神谷先生! この依頼、受けさせてもらいます!」
あっさりそう言う。
「マーティンの秘密。あたしだって超気になる~」
あらら。
まぁ、そうだよね。マーティンはももロックの彼なのだ。隠し事はしてほしくないっていう気持ちもわかる。
「さっそくだけど、夢ソン。文学博士として、この本がどんな物語なのか、かるく解説してくれたまえ」
ももロックってばいつものことながら、かんたんに言ってくれるなぁ。
こめかみをかきつつ、わたしはテーブルの上に神谷先生が置いた本のタイトルを見た。
そのタイトルは、『りんご畑のマーティン・ピピン』。
イチオシのイギリス文学の一つが目に入ってきて、ほっと息をつく。
「イギリスのサセックス地方を舞台に、マーティン・ピピンっていう歌い手が、りんご畑で六人の娘たちに語る形をとって展開する、六つの恋のお話だよ」
「恋!? へぇ、おもしろそう」
ももロックが身を乗り出し、主人公はマーティンと同じ名前だから、興味を持ったんだねと確認する。神谷先生は、腕を組んだままうんうんとうなずいている。
わたしは解説を続ける。
「今でこそ子ども向けの本ってことになってるけど、じつはこれ、もともと大人の人に向けて書かれた本で……」
「わかった!」
ぽんと手をうったのはももロックだ。
「え? わかったってなにが?」
「決まってるじゃん! マーティンのひみつだよ」
ええっ! まさかもう真相にたどりついちゃったの?
神谷先生がさすがだなと目を丸くする。
「その本……お子様には見せられない、エッチなシーンがあるんだ! マーティンのやつ、そんなものをあたしに隠れてこそこそと……」
え? え?
ももロック、なんか一人で黒い炎を背負いだしちゃったけど。
「うん。オレもじつはさいしょそう思って」
神谷先生まで、冷静になに言ってるの?!
「こりゃからかいの種になるって思った。けど読みだした感じ、どうもそんな感じじゃないんだよな」
はぁぁ。
「もう、ふたりとも、この世界で有数の美しいお話にヘンな言いがかりはやめてください!」
わたしはひとり、ぷんぷん頬をふくらませる。
「あ、やっぱ違うのか?」
「なーんだ」
「とうぜんです。大人に向けたっていうのは、作者さんが、戦地にいるファンに向けて書き送ったっていうことなの」
バックグラウンドまで美しい逸話に、神谷先生とももロックは、なんかすみません……とそろってうなだれてる。
「でも、ほんとうにちょっともないの? そういうシーン?」
「ももロック、しつこいよ!」
うーんでも強いて言うなら。
第一の物語。王様の恋の話の中で、瞑想中に出会う女の人が、なにも身に着けていなかったっていう描写ならあるけど。
そのシーンの挿絵をひらいて、わたしは二人に見せる。
泉と暗がりの中の女性。そして王様が自然豊かな風景の中に描かれている。
「……きれいで幻想的な雰囲気出てるね」
「とてもそういうよこしまな感じじゃないな」
ぱたんと本をとじて、どうだわかったかというように大きくうなずいた。
ひとまずこれで、マーティンの無実は証明できそうだ。
そこへ、星崎さんがしぼりたてぼりんごジュースをもってやってきた。
「探偵さんたち。推理は進んだかな?」
りんごジュースの登場にもかかわらず、ももロックは情けない顔をして言う。
「どんづまりです~、事務所管理人星崎王子~」
庶民なのかじつは王族なのかわからないあだ名でよばれた星崎さんは、黄金色の液体の入ったグラスをわたしたち三人の前に置いた後、
「どれ。オレにもマーティンのものだっていうその本、見せてみて」
そう言うので、わたしは星崎さんにその本を手渡した。
王子でも管理人でもさすがは星崎さん、その本の価値や美しさは知っているようで、愛おし気に見つめ、ぱたぱらと何度か中身をめくったあと、
「なるほどね」
あっさりとこう言った。
「わかったんですか! マーティンのひみつ」
「解明されたんすか、少年の弱み」
ももロックと神谷先生が声をそろえて言う。
不敵に微笑んだ星崎さんは、人差し指と中指のあいだに、なにかを挟んでいた。
「本のさいごに、挟まってた」
さっとテーブルの上におかれたそれは緑色で、りんごの形をしたカードのようなもの。
りんごのヘタの部分に、茶色のリボンが結ばれている。
これ。
わたしは呟く。
「手作りの栞、ですね」
「マーティンの……?」
ももロックも不思議そうに見ている。
「たしかにそれ、オレも見ましたよ」
親指と人差し指でつまんでしげしげと見やりながら、言ったのは神谷先生だ。
「たしかに、少年が使うにしてはかわいい形かなと思ったけど、わざわざ隠したがるほどすかね?」
がっくりと肩を落とし、これじゃなんのゆすりの材料にもならなんなとか物騒なことを呟いている神谷先生に、星崎さんはどうかなといたずらっぽく首をかしげる。
「おそらく彼が隠したかったのは……これじゃないかな」
長い人差し指で星崎さんが指示したのは、しおりの隅に書かれている文章だった。
ローマ字が並んでいて、マーティンの出身国からしておそらくドイツ語だ。
読めない。
と思ったら、いちはやくももロックが声をあげた。
「あっ! さいしょ! 文章のいちばんさいしょのところにあたしの名前がある!」
おおっ! よく気が付いた!
たしかに、文の最初にはMomokaの文字が。
りんごの栞を食べちゃうかと思うほど顔を近づけたももロックだったけど、
「続きは……読めん……」
がっくりと肩を落とした。
そうかと思うとばっと顔をあげて、
「さてはマーティン、あたしの悪口をそんなところに!?」
ええっ! まさか!
「じゃなきゃこんなに焦って取り返そうとする?」
そう言われると……。
栞に向きなおったももロックは、文章の日本語訳を推理しはじめた。
「『もも叶、このあいだ貸した百円返せ』とか、『もも叶、デートに遅れるな』とか? いやいやもしくは……『もも叶、ぼくの分までケーキを食べるな』」
「ももロック、心当たりありすぎだよ……」
そのとき、流暢なドイツ語で、星崎さんがその文章を読み上げた。
Momoka ist ein Apfel von meiner Auge.
「英語に訳すとこうなる、 Momoka is the apple of my eyes.」
がくりと、首をさげたのは神谷先生だった。
「古い洋楽の歌詞かよ」
「ええっと、アップルはりんご、アイは目だから、『ももロックは、僕の目のりんご』?」
星崎さんはほほ笑んだ。
「日本語らしく言うと、『目に入れてもいたくない』かな。古い英語の歌で、「きみはぼくの心の太陽」に続いて歌われる言葉でもある」
え。えぇぇっ?
「それって、目に入れてもいたくないほど……きゃっ、そういうこと?」
あまりの甘酸っぱさにその先が言えず硬直していると、星崎さんの笑顔がいっそう深くなった。
「そのさきに続く言葉は、我らが名探偵ももロックの推理に任せるとしようか」
「けっきょくのろけか。まぁいいや。もも叶ちゃん、今度あいつもろともつついてやるからな」
星崎さんと神谷先生に視線を向けられて、ももロックはまさにりんごのように顔をほてらせた。
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