⑦ 世渡り下手な天使 ~もも叶の語り~

星崎王子が出してくれたシチューはまろやかでめちゃめちゃおいしかった。

 一口スプーンにすくって食べると、ルーにからまったアツアツのにんじんの甘さが口いっぱいにとろける。

 すごいのはそのにんじん、桜の形に切ってあるってことだ。

 男の人なのに器用だな。

「口にあった?」

 しかも優しくそんなことをきいてくれる。

「むおっちろん! うちのママにも見習ってほしい、五つ星並みのサービスです!」

 思いっきりそう言うと、星崎王子は笑いをこぼすようにした。

「いいな~ぁ。夢は毎日このクオリティの料理食べてるんだよね」

 王子の肩眉がちょっと意地悪にあがる。

「あれ? さっきはよっぽど夢ちゃんにまつわるものをきれいに片付けようとしていたようだったけど」

 うっと、たまねぎをのどにつまらせる。

 やっぱり、バレてたんだ……。

「星崎王子は、夢とけんかしたことないんですか?」

 そう言うと、彼はしばらくうーんと考えるしぐさをして、

「わざとからかったり意地悪したりして楽しむことはあるけど」

 それはけんかじゃなくじゃれ合いの範疇だ。

 いつもながらののろけに苦笑していると、ふいに彼が蠱惑的に微笑んだ。

「でもね。ここだけの話、夢ちゃんといて、ストレスを感じることは、ほんとはよくあるんだよ」

 えっ?

「うそっ。夢にでれでれの王子が?」

「うん」

 でれでれも否定しないんだな。

「一般的な意味のストレスとは少し違うかな。すごく――胸の奥が痛くなる。切なくて、苦しい感じだ。この年の男が耐え難いほどにね」

「――あ」

 そういう意味でのストレスなら……なんとなく、わかった。

 たぶん、それが原因。

 あたしが、夢にひどいことを言っちゃったのも。

 じわりとせっかくの絶品シチューが涙でにじんで真っ白いキャンパスみたくなる。

「でも、だからってあたし。要領が悪いとか、みんなに誤解されがちとか、ひどいこと、言っちゃって」

 そんなふうに言われたら、怒るの当たり前だ。

 夢大好きな王子も、怒るかな?

 そう思ってちらと瞳をあげると、帰って来たのは予想外の言葉だった。

「でも、それは事実だよね」

 相変わらずとろけるような笑顔で、そんなことを言う。

「ももちゃんが言いたくなるのも無理ない。実際あの子の要領はとほうもなく悪いからね。

 宿題でもわからない問題があると、わかるまで何時間もとりかかっているし、答えを見てさっとすませるとかいう選択肢がないんだ。同じように、自分を良く見せようっていう打算がないから、いつもなにかと報われないし。正直っていうのはとても大事なことだけど、それにしてもあの生き方はなんというか、歯がゆく感じることは多々あるよ」

 そう言って、どこか遠い目をして、彼は窓の外の星空の彼方を見つめる。

 きっと、今あたしの瞼の裏にも、同じものが映っている。

 お父さんに殴られても、傷つけられても、いい人だとかたくなに信じている夢。

 裏切られても傷つけられても、本の中の大事なことをずっと胸に抱え続けて、人に優しく語り掛ける夢。

「少しだけひたむきさを捨てて、鈍くなればもっと楽になるって、何度喉をでかかったことか」

「う。ひっく。わかる~っ、わかりみ、が、深い~!」

 なんだか泣けてきて、あたしの声はまるで酔っ払いみたい。

 気づけばほんとにお酒でも飲んだように、王子と意気投合してる。

「もっと楽に生きればいいのにね」

「ほんとそれ!」

 夢を肴に、シチューをすくうスプーンが進む。

「でも」

 ことりと、ふいにあたしは、ぴかぴか光る銀のスプーンを置いた。

「……その世渡り下手な夢だから、あたし、誰より安心して、悩みが言えるんだ」

 純粋で夢見がちな親友の前でだけ、言えた。

 初恋が本の中の人だって。

 それは、夢ならぜったい笑ったりしない。

 応援してくれるって確信があったから。

「あたしは、夢とちがってそこまで純粋じゃない。算数は苦手だけど、人生の計算はする。この子は自分を傷つけないって、ちゃんとそう思えなければ心を開けなかったはずなんだ」

 星崎王子がまぶしそうに目を細め、その瞳にあふれたなにかにおされるように、うなずいた。

「よくわかる。オレにとっても、きみにとっても。あの子は、やっと見つけた安息の地なのかもね」

 うん―――。って。

 い、いや。

 さらっとかっこよく、なんか物騒なこと言い出した、この人?!

「あ、安息の地って」

 まるで永遠の眠りみたいで怖くてなんか笑える。

 そう言うと、彼は静かに微笑んだ。

「大げさじゃないよ。オレは最期のときは、彼女の膝の上で迎えるって決めているし」

 ばんと思わずテーブルをたたいてしまう。

「えーっ、なにそれずるい! あたしも!」

 そしてあわてて、ここが人のうちってことに気が付いて、さすがにお行儀悪かったと思い、ぺこりと頭をさげた。

「冗談はともかく。……ごちそうさまでした」

 頭を上げついでに、さらりと告げる。

「あたし、夢に謝ります。ほんとのこと話せばきっとわかってくれる」

 向かいの席で星崎王子はうなずいた。

「これからも、世間知にうといあの空の天使を、うまくリードしてあげてね。陸の天使さん」

 ちょうど、そのセリフが終わるときだった。

 がちゃりと、玄関の扉が開く音がする。

 聞き覚えのある明るくて、優しく、ハイトーンな声が響く。

「星崎さんーっ、ただいまです!」

 ナイスタイミング!

 あたしはガッツポーズして、そのまま玄関にダッシュし、帰って来た親友の胸にダイブした。

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