⑥ 魔法不要の友達 ~夢未の語り~

 帯紙公園ブランコに座って、わたしは一人、暮れゆく空を見つめていた。

 じっとしていると、昼間受けた言葉がまだじわじわと胸をえぐる。

『みんなに誤解されがち』とか、『要領が悪い』とか。

 そんなの自分でわかってるよ。

 じわりと、地面の砂が涙でにじむ。

 いっぱい言われてきたことだもん。

 同い年の子にも、大人の人にも。

 そのたび自分にばってんを描いて。

 でも。

 ももちゃんは、そういうわたしでもいいって。いっしょにいて楽しいって思ってくれてるって。

 そう、信じてたのに。

 つんと奥が痛んで、鼻をすする。ポシェットの中をさぐって、勢いで飛び出してきたからティッシュを持っていないことに気づいた。

 と、目の前に、藍色の上品なハンカチが差し出される。

「今そっちに向かうところだったんだ。途中であえてよかった」

 それをもって微笑んでいるのは、ダークブラウンの柔らかな髪に、ダージリンのようなきれいな目の男の子。

「マーティン」

 ももちゃんのカレのその子は、うなずくと、黙って隣のブランコに腰かける。

 しばらく何も言わずに、時が流れて、ふいに彼が口を開いた。

「せいらから一通り話はきいた。二人の問題なのに、立ち入るようなことをしてごめん」

 年下のわたしにまで礼儀正しいのは、ももちゃんがいつも言っている通り。

「ううん。なぐさめにきてくれたんだね。ありがとう」

「うん。それも、あるんだが」

 そしてちょっと気まずそうに顔を赤らめて、

「その、僕は、女の子同士のこういうことはいまいちうとくて。ただ、いっしょに整理ができないかと思ったんだ」

「整理?」

 あぁと横顔を思索の色で彩ったマーティンはうなずく。

「ギムナジウムではもめごとや事件がおきると、そうするんだ」

 ふぅん、そうか。

『飛ぶ教室』のなかで、マーティンたち生徒が正義先生たちと、起きた事件について語る場面が思い浮かんだ。

「まず、今回夢未が憤っているのは、もも叶がひどいことを言った点と、かげで悪口を言った点の二点ということでいいか」

 まるで討論や研究発表のようになった口調に戸惑いながらも、わたしはうなずく。

「う、うん、そうだよ」

 そういえば、ひどいことを言われたことにとらわれて、薄れてたけど。最初は、ももちゃんがわたしのことをかげでみんなと悪く言ってた可能性があるっていうほんのちょっとの疑問からはじまったんだった。

「おかしいと思わないか、夢未」

 まっすぐに、アールグレイの大きな二重が、わたしを見つめてくる。

「え?」

「ほんとうにもも叶は、夢未と席がとなりの男子と夢未のことを悪く言ったのかな」

「うーん」

 そしてさらに思い出す。

 わたしも最初は、信じられなかったってこと。

「そんなももちゃんの姿……想像つかないや」

 正直にそう言うと、マーティンの形のいい口元がわずかに弧を描いた。

 彼はまっすぐ前を見て、語りだす。

「以前、この公園の、まさにこの場所で、泣いてるもも叶を慰めたことがあったんだ」

 そこでくすりと笑みをこぼして、

「あのときも、きみとけんかしたあとだったな」

 はっとわたしは息を飲む。

 そう。一度だけ、ももちゃんと大きなけんかをしたことが前にもあった。

「『なんで夢みたいないい子が苦しまないといけないの』あのとき、もも叶はそう言っていた」

 あ……。

 お父さんに殴られて。

 はっきり自分の意見を言えない、怒ることすらできないわたしにあのときもももちゃんは怒って。

 泣いてくれた。自分のことのように。

 今回もきっとそうだったんだと思う。

 でも。

「それなら、遠山くんが悪口を言ったこと、わたしに教えてくれてもいいと思うんだ」 

 その一点だけがどうしても気にかかる。

「その疑問は当然だ。でも」

 マーティンは少しだけそのアールグレイに切なさを宿して、言った。

「言わないことの理由が、ほかにあるんだとしたら、どうかな」

「え?」

「そうだな……たとえば」

 彼は、じっと目をとじて考えると、突然ぱっと目を開いて、ブランコから立ち上がり。

「僕なら、もも叶と隣同士の席になりたくないな」

 両手を広げていきなりこんなことを言う。

 え??

 なに、いったい?

 そうかと思えば、腕を組んで、いかにも参ってますというしぐさで、

「怒りっぽいし、口かずが多いから、ともに勉強をがんばるクラスメートとしては不向きだ。

 彼女と実際に教室をともにしたことはないが、大方しょっちゅう教科書を忘れて隣の子に借りてるんだろう。相手だって教科書が見づらくなるし、あまりいいことじゃない」

 う。容赦ないな。

 たしかにぜんぶ図星だけど。

「そんなこと、言っていいの? 本人の前で、冗談交じりとかならともかく。いないところで言われてたって知ったらももちゃん傷つくんじゃ」

 マーティンはそう言うけど、あれで大事なところはおさえてて、陰口が誰よりきらいなのは、自分がすごく傷つきやすいからなんだ。

「ももちゃんがかんかんに怒るときは決まって誰かのため。大声で泣くのも誰かのため。自分の悩みのとき、ひっそり一人で泣いてて。人に心配かけないように」

 そういう子なんだ。

 そう言うと、マーティンは、きれいな顔をゆがめて、にこっと笑った。

「それじゃ、夢未ならどうする? 今僕が言ったことを、もも叶にそのまま伝えるか?」

「あ――」

 そうか。

 だからなんだ。

 ももちゃんが、遠山くんの言葉をはっきりわたしに言わなかったのは。

 すっと、マーティンはポケットからなにかをとりだした。

 夕日を浴びて金色に輝くそれは、ディナー・ベル。

「どうしても気になるのなら、これで過去の幽霊を呼び出し、真相をたしかめるという方法もあるけど」

 そう言って、ちょっといたずらっぽく笑うと、

「どうするかはきみに任せる。ただ、一つだけ言っておくよ」

 一歩、また一歩と、公園の外に向かって歩き出しながらそう口にして。

 最後にマーティンは立ち止まって、言った。

「きみがさっき、思わず彼女を評した言葉。そのすべてを僕は、全面的に支持する」

 はっと思う間もなく、笑顔の彼が、振り向いた。

「短気で泣き虫な彼女の理解者でいてくれて、ほんとうにありがとう」

 じゃ、僕はここでという声がして。

 気が付いた時にはマーティンはもう去ったあとだった。

 手元には星屑からできたディナー・ベル。

 紫になりかけた空に、自分自身の胸に、問いかける。

 夢未。どうする? どうしたい?――うん、わかった。

 きゅっとポケットにベルを突っ込んで、けるようにブランコから立ち上がった。

 そのまま公園を出て、街灯のともりはじめた道を急ぐ。

 今回は、文学の魔法はいらない。

 わたしはたしかに、友達が多いほうじゃないけど、その数少ない友達のなかには。

 魔法に頼らなくちゃ信じられない友達なんて、いないんだ――。

 道に植えられたジャスミンの香りが鼻をくすぐる。

 なんだか誇らしい気持ちで胸がいっぱいになって、家への足取りがテンポアップした――。

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