② 恋バナは湯煙とともに

Side:星崎幾夜



 金に縁どられた窓辺から、広がる海原が見渡せるレストラン。

 高い天井は赤いカーテンに彩られ、テーブルに囲まれた舞台では、支給長が観光ガイドを務めている。

「えーみなさま。お食事の前に、あちらをごらんください。当客船はただ今、アラビア文学地方近くの海域に差し掛かっております。西方に東洋風の水色の丸屋根の城がごらんいただけますでしょうか」

「わー、見てももぽん、きれい」

「アラジンにでてくるお城みたいだね」

 女の子たちが窓に向かって身を乗り出している。

「あちらはかのシェヘラザードが暴君の王に千夜一夜物語を語ってきかせたまさにその宮殿にございます。屋根の下に無数にある窓のどこかで、すだれの奥、ヴェールに包まれた彼女の姿を見た者には、旅の間に幸運が訪れると言われております」

「よしきた、少年、どっちがさきに見つけるか競争だ。買ったほうが相手のヒレ肉もらうのな」

「望むところです」

「先輩もやりましょうよ」

 龍介が言ってくるが、あいにくそれどころではなかった。

 テーブルの下、ひそかに手元のカードをそっと開く。

 この席にだけこれが置いてあったときからどうも胸騒ぎがしていた。

 その中には、こう書かれていた。


 クルーズ中に、あなたの宝物をいただきにまいります。


 いたづらか、もしくは客船の趣向の類かと思ったが、筆記体で書かれたあて名は、確かにこの名前を示している。

 星崎幾夜様と。

 海の向こうの景色に夢中の面々に悟られないうちにカードを胸元にしまうと、オレは向かい側の席で瞳を輝かせているその子を呼んだ。

「夢ちゃん」

 波のかなたにそそがれていた栗色の目が、こちらを向いて微笑む。

「はい、星崎さん」

 微笑み返しながら、姿の見えない敵から防御線を張りめぐらす策を、頭に巡らせる。

 手始めには。

「今夜はオレの部屋においで」

 あたりが、静まり返った。

💛


side 夢未



 豪華なフランス料理を食べ終わって星崎さんやマーティンたちと別れて、大浴場に行く最中。

 可憐な回廊を歩きながら、頭はまだぼうっとする。

「やばかったね、さっきの爆弾発言」

 横からももちゃんがおもしろそうに言う。笑いごとじゃないよ。

「どうしよう。わたし、今夜星崎さんと……?」

「いいなーっ。あたしもマーティンにお持ち帰りされたーい」

「二人とも、なにを興奮してるのよ。夢っちが星崎さんと一つ屋根の下過ごすなんて、いつものことでしょ?」

 せいらちゃんの言葉が水のように頭を冷やして。

 そ、そっか。言われてみれば。

 そうでした。

 わたし、カレと暮らしてるんだった。

「それに、あたしは、カレの心配はもっともだと思うわ」

 へ?

 ずずいーと、せいらちゃんの顔が目の前に寄せられる。

「夢っち?  さっきは水一杯汲んでくるのにずいぶん長くかかったんじゃない?」

 どっきーん!

「そういえば。もしかして……あのとき、なにかあったとか」

 ももちゃんまで!

 どきどきどっきーん!

 きれいな金の髪。光る指輪。そして、手元に寄せられた唇。

 ひみつ、と言ったジャックさんの言葉が、よみがえる。

 黙っていると、せいらちゃんがため息をついた。

「夢っちがもってきた水に爆弾が仕込まれていたのよ。夢っちが狙われてる可能性だって否定できないわ」

 それはじつは、わたしも考えた。

 でも、ジャックさんはそんなことするような人には見えなかった。

 きっと、マーティンがさっき言っていたように、ほかのだれかが、ガラスのポットに忍ばせたんだと思うの。

「せいらちゃんたら……おおげさだよ」

 なんとかそう言うと、おでこをつつかれる。

「ダチのことは大げさに心配するのが当然でしょ」

「うう、ありがとう」

 ももちゃんも不安そうにこっちを見つめだす。

「せいらの推理は当たるからね。あたしも心配になってきた。夢、あんまりぼけっとしてちゃだめだよ」

「ま、夢っちにアダをなそうなんていうおばかさんは、このあたしのゲンコツで成敗するからいいようなものの」

 そう言って仁王立ちになるせいらちゃん。

 さらさらの藍色の髪が照明で光って、輝いてる。

 なんか、かっこいい。

 それなのに。

「さ、ついたよ。お風呂」

 ももちゃんが言ったとたん、その勇ましいポーズがいっ! っと盛大に崩れる。

「せいらちゃん、どうしたの?」

「あ、いや」

 張り付けたような笑顔で、せいらちゃんは言った。

「じつはあたし、このあと用事があって、客室に戻らなきゃならないのよね」

「ははん?」

 ももちゃんがちょんちょんと、せいらちゃんの肩をつつく。

「せいらまで神谷先生にお誘い受けてるわけだ? 『今夜は寝かせないからな』って?」

 えっ!

 そうなの?

 かっと、せいらちゃんの顔に赤みが増す。

「ばっ、ばか言わないで! あたしとカレは、清く正しいお付き合いを――」

「あー、ついに認めた! お付き合いしてるって~」

「~~っ」

 真っ赤な顔を片手で覆うせいらちゃんはさっきとうってかわってかわいい。

 消え入るような声でぽつり続ける。

「……ほんと言うと、一人で客室のお風呂に入りたいの」

 きょとんとするわたし。ももちゃんも口をとがらせる。

「えーなんでー? もしかして恥ずかしがってるの? あたしたちの仲で~?」

「ちがうのよ。じつは、最近お菓子の食べ過ぎで、ダイエット必須体形になりつつ、あるというか……」

 なーんだ、そういうことか。

「ほんと、ごめんなさい……」

 もごもごと口を動かすせいらちゃんはやっぱりかわいい。

「ももちゃん、わかってあげよう」

 じつはわたしも、胸が大きすぎるのがコンプレックスだから、気にしちゃう気持ち、わかるんだ。やれやれとももちゃんは両手を広げた。

「しょうがないな。じゃ夢、行こ」

「うん。せいらちゃん、あとでね」

「恩に着るわ!」

 ぱちっと手を合わせるせいらちゃんを残して、わたしとももちゃんは、大浴場に続く大理石の扉を通り抜けた。

💛

 白くて柔らかい明かりに、いくつものお風呂。

 なかでも一番広いバラのお風呂に、わたしとももちゃんはのんびり。

「あー気持ちいい」

「極楽じゃー」

「ももちゃん、おじさんみたい……」

 女子二人、幸せ気分に浸り始めると、やっぱり話題は恋のこと。

「マーティンと客船のどこをデートするか、もう決めた?」

「んー。事前にパンフレット見ながらいろいろ案は出し合ったんだけど。二人ともやりたいことが多すぎて、結局行き当たりばったり見ようってことになったかな」

「それもいいね」

 ちゃぷんと、お湯のはねる音がする。

「ももちゃん、幸せ?」

 黒いタイルに両腕を投げ出してほほをうずめたももちゃんが答える。

「まぁね。もうちょっとだけ、強引にせめてくれてもいいかな、なんて思うこともあるけど」

「マーティンがかけひき上手、とかだったら、マーティンじゃないよ」

「それなんだよね~」

 ぶくぶくとしばらく顔をお湯に沈めたももちゃん。

「ま、あせらずいくよ。今回のハイライトの舞踏会は明後日だしね」

 そのワードを出されると、どきっと胸がはねる。

 ドレスを着て、すてきな会場で好きな人と過ごす。

 女の子なら憧れだけど。

 星崎さん、誘ってくれるかな?

ももちゃんが、ふと思い立ったように顔をあげた。

「ねぇ夢」

 急に向けられた真剣な表情に、ちょっとまごつく。

「なに?」

「部屋わりなんだけど……やっぱり、あたしとにしようか?」

 どきっと、お風呂ではじける泡のように、胸が跳ね上がる。

「ど、どうして?」

「うーん、つまりさぁ」

 ももちゃんは言葉を探すように続ける。

「あたしの場合は、まず心配ないとしても。夢やせいらは相手が大人だから、そのへん気をつけないとと思うんだよね。相手のペースに飲まれないようにしっかりしないと」

「う、うん?」

 はぁというため息と心配そうな視線が、湯気に乗ってこっちに流れてくる。

「……夢、王子となんかあったみたいだったから。小学生生活の最後のあたりで」

 うっ。

 気づかれてたんだ。

 ももちゃん、それなのに一人、気にしていてくれたんだね。

 じっと湯舟を見つめて、わたしは答える。

「クリスマスに、お父さんといろいろあったとき。メルヒェンガルテンで星崎さんと、二人でいたときにね、わたし疲れて眠っちゃって。目が覚めたとき……キス、されてて」

「なっ! えっ? ぶくぶくぶく……」

 ももちゃんはあやうく、お風呂の犠牲者になりそうだった。

「だったら、よけいだよ。怖いんなら、あたしがそれとなくいっしょの部屋になるように言うけど、どうする?」

 ももちゃん……。

 わたしはほほ笑んで、ゆっくり首を横に振った。

「星崎さんがああ言うのには、きっとわけがあるんだと思う。だから、だいじょうぶだよ」

 お湯の中で、ももちゃんは腕を組む。

「うーん、そうかなぁ。もも的に、あるのはわけというより、黒いたくらみのような気が」

「それに、ホントはももちゃんも、部屋はマーティンとがいいよね?」

「!?」

 じゃっぶーん。

 正直なももちゃんは今度こそ、盛大にお風呂犠牲者になった。

💛

「うぎゃーっ!」

 脱衣所で着替えていると、ももちゃんがいきなり断末魔のような叫び声をあげた。

「どうしたの?」

「虫! あたしが服を置いたバスケットに、今赤い虫が入ってった……!」

「えー?」

 両肩をつかまれて後ろに隠れられちゃしょうがない。

 ももちゃんのバスケットを調べてみるけど、虫さんの気配なんかない。

「見間違いじゃないの?」

「ううん! たしかにロッカーを赤いものが……」

 首をかしげてさらに調べていると、別のことを発見してしまう。

 ピンク色に、赤いきらきらひかるビーズとリボンのついた下着。

「ももちゃんのブラジャー、かわいい……」

 ぱっとももちゃんはその下着をひったくる。

「て、てきとうに、家にあったのを持ってきただけだから! べ、別に、お泊りだからってかわいい下着をはりきって準備とかしてないから!」

だから、そんなに正直に言わなくても……。

「ほら」

苦笑いしながら、ももたちゃんの胸元でぎゅっと握られた下着を指さす。

「いないでしょ? 虫さんなんて」

「あれ? ほんとだ。おかしいな」

「きっと見間違いだよ」

 笑いながらわたしたちは服を着て、ドライヤーの置いてある洗面所に向かった。

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