③ ホーレンソウは大事です

「あ……っ、星崎さん」

 どうしよう。変な声出しちゃった。

 客室の一角、ベッドの上で。

 星崎さんと、二人きり。

「夢ちゃん、もう少し、力抜いて」

 そんなこと言われても。

 力なんてもう全身から抜けて、入らないくらいなのに。

 それもこれも、カレが上手すぎるんだ。

「だめ。まだまだ緊張してるよ」

 甘い声が、半分むき出しになった肩をなぞっていく。

「緊張して、なんか……ない、です」

「それじゃ、今どんな心地?」

 恥ずかしいけど、求められるままに、口に出してしまう。

 だって、あんまりにも。

「気持ちいい、です。……あぁっ」

「このさきは、少し、痛いかもしれないけど」

「やっ」

「大丈夫。すぐ気持ちよくなるから」

 そう言って、彼が攻めたそこで、わたしは天国に上るような気分を味わったの。

 彼の声が、とぎれかける意識の遠くでかすかに聞こえる。

「夢ちゃん。右肩……」

💛

 終わったあと、わたしは彼と向き合っていた。

「まず一つ」

 微笑む顔が、怖い。

 これは、黒バージョンの星崎さんだ。

「きみは長時間本を読みすぎだよ。その年であの凝りはあり得ない」

「ごめんなさい……」

 でも。

「星崎さん、すごく上手だったけど、マッサージ師さんの資格とか、持ってるんですか?」

「星降る書店で使い古された身体を再生することを日々研究していたら、自然詳しくなった」

「……そうですか」

「さて、次に」

 きたっ。

 そっと、ついさっき手当てがされて包帯がまかれた右肩にふれる。

「けがをしたのをオレに黙っていたのはもっとありえないね。説明してくれる?」

 うっ。

 小さな声で、答える。

「実はさっき、船が進路を変えて揺れたとき、ぶつけちゃって」

 ぴくりと、彼のこめかみがひきつる。ひっ。

「水汲みから帰って来た時、だいじょうぶですって答えた夢ちゃんの声は空耳だったかな」

 うう。

 怖いよ~。

「いいことを教えよう」

 笑顔のままなのが、怖いんです。

「ひと昔前の、社会人の心得に、報・連・相というのがあって」

「ホウレンソウ? おいしそうですね」

 いつもなら笑ってくれる口元が、笑わない。

「報告・連絡・相談の略だ。どの分野であれ現場で働く人たちは、これを大事にする。つまり、問題が起きたら管理している部署にきちんと正確に伝えること。そうしなかったために問題がますます大きくなって、対処が困難になるケースがままある」

 ?……うん。

 なんか、難しい話でよくわかんないな。

「きみの健康や暮らしを管理している部署は今は一応オレになる。だから夢ちゃんは、困ったことや悲しいことが起きたらなんでも報告すべきなんだ。言うべきか迷ったときにはとりあえず話す。わかったね」

 でも、星崎さんがわたしのことをすごく心配してくれてるのはわかったから。

 はい。

 そう答えようとしたときだった。

 となりの部屋から、つんざくような悲鳴がきこえた。

 せいらちゃんの声……!

「星崎さん」

 わたしたちは視線を交わし合って、すぐに隣の部屋に向かった。

💛

 数分後。

 客室のソファにちょこんと座って両手に顔を伏せるせいらちゃんの背中を、わたしたちと同じようにかけつけたももちゃんが、さすっている。

「ももぽん。夢っち。あたしもうお嫁にいけないわ……」

「よしよし、このももの胸で思いっきりお泣きよ」

 わたしも、そっとその震える肩に触れる。

「せいらちゃん、元気だして」

 テーブルをはさんで向かい側のソファでは、神谷先生の額にマーティンがガーゼをあてている。

「いくらなんだって、体重計投げるか、フツー」

 星崎さんが涼しい顔で言い添える。

「浴室を覗くなんて卑劣な行為には当然の報いだよ」

 マーティンが、ガーゼをあてがう手をとめた。

「まさかほんとうなんですか? 神谷先生。――軽蔑する」

「だから違うって言ってんだろ!」

 星崎さん、口の端の笑いが隠しきれてません。

「あんだけの悲鳴が聞こえてきたら、浴室だろうがかけつけるでしょうが。それを、叫んだのは体重計の数値を見たからでした、もないもんだぜ」

 うーんたしかに、この場合、一番の被害者は神谷先生かも。

「まぁまぁ神谷先生。せいらはショックだったんだよ」

 ももちゃんの視線の先には未だ両手から顔をあげないせいらちゃんがいる。

「もういや。死にたい。戦に敗退した平家一族の最期に倣って、海に身を投げて自害する」

「その瞬発力と腕力じゃ、源氏にも圧勝だっつの」

 こんなときにも、神谷先生はさすが歴史の先生。なかなかなつっこみ。

 思わず感心していると、むっとしたようにせいらちゃんが言う。

「かみやんのばか!」

「せいらちゃん、だめだよ、そんなこと言ったら」

「夢っち。だって……」

 たしなめながらも、瞳うるうるのせいらちゃんの気持ちは想像できる。

体重以上に、今落ち込んでるのは――。

「ぜったいぜったい見られた……」

 うーん、これが乙女心だよね。

「見てねーって。ドア開けたとたんに空飛ぶ体重計だぜ? そんな余裕あるかよ」

 神谷先生のぼやくような声にふい、とせいらちゃんが手から半分顔を出す。

「ちょっとも?」

 二人の視線が、かちあう。

 見つめあう。

 ……見つめあう。

 さきにそらしたのは、神谷先生だった。

「……まぁ、ちょっとは」

「わーーんっ。お嫁に行けなーいっ」

「せいら、それ二回目」

 ももちゃんのつっこみも冴えわたる。

 まいったなと首筋をかいて、神谷先生はぼそりと付け加えた。

「オレのとこにくるなら、問題ないじゃねーか」

 ……きゃっ。

 ももちゃんと二人で叫んでいると、神谷先生は今度は星崎さんに向かって、

「だいたい、先輩がいけないんすよ。夢未ちゃんと同じ部屋に泊まって襲いたいとかわがまま言うから」

「協力してもらって悪いね」

 星崎さんはかるく受け流すと、ん、襲うってどういうことかな、星崎さんがそんなことするわけないのにとか考えていたわたしに向かってうなずく。

 そろそろ寝る時間だ。部屋に戻らなきゃ。

 フェアリーテイル号初日の夜は、ゆっくりと更けていく。

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