① 美しき侵入者
乗船すると、もらったチャームと同じ小さな小花とかんむり模様の壁に挟まれたたっぷりとした回廊が続いていた。
三メートルおきくらいにガラスでできたショーケースがあって、オブジェや絵画が飾られてる。その中の一つの前で、わたしは立ち止まった。
「すごい……」
ひときわ大きなショーケースの中に飾られていたのは、大きな黄金の盾だった。
騎士さんが戦いで守りに使うようなあれね。
そのなかのに彫られた模様がきれいなの。
真ん中には大地や太陽、星。
その周りを都市や人々の姿が囲ってる。
さらにその周りにはブドウ摘みの様子、その周りはダンスしている人たち。
見つめているとなんだか別世界に飲まれてしまいそう……。
「アレキウスの盾だね」
気づいたら、すぐ後ろで星崎さんも興味深そうに眺めてる。
「アレキウス……?」
「ホメロスの書いた『イリアス』という叙事詩の主人公だよ」
そうか。
やっぱりこれも、物語の中のものなんだ!
「トロイア戦争でたった一人、不利だった形成を逆転させた伝説の戦士。高校時代に読んだときは憧れたよね。無敵の戦士とか、盾とか」
「へぇ」
星崎さんが憧れたって聞くと、ますますすてきに見える。
「じゃ、これが星崎さんの宝物ですね」
そっかぁ。本の中の伝説の盾じゃ、お守りのチャームをつけるわけにはいかないもんね。
だからわたしにくれたんだ。
そういうと、また彼はちょっと困ったような顔をして、
「まぁ、そうとも言えるんだけど、そうではないというか」
やっぱり、星崎さん、めずらしく歯切れ悪いよ。
首をかしげていると、
「夢~、なにやってるの? 早く行くよ!」
先へ行くももちゃんたちの声がして、わたしたちはあわてて歩を速めた。
💛
出航のアナウンスがあって、船は動き出した。
客室で荷ほどきしたあと、わたしたちはデッキのチェアでウェルカムドリンク片手にくつろぎタイム。
南国のプルメリアの花がささったグラスのグアバジュースはとってもおいしい。
ももちゃんがいたずらでこっそりマーティンの頭にお花を飾ってる。気づかないマーティンに、せいらちゃんが教えてあげてる。
後ろで神谷先生が星崎さんに話す声を、海風がいじわるのように妨げる。
「さっきのチャームは失敗でしたね。どうしていつものごとく王子然と言わなかったんすか。『オレの宝物につけさせてもらったよ』って」
「……夢ちゃん」
少し大きめの声で、星崎さんに呼ばれたのは聞こえた。
「悪いけど、船尾のテーブルで水を一杯組んできてくれる?」
彼が差し出す空のグラスを受け取る。
「はーい」
ここはマスト近く。船尾まで横切るってことは、デッキをぜんぶ見られるってことだ。
わたしはうきうきと、おつかいに向かった。
💛
Side:もも叶
デッキでマーティンにちょっとしたいたづらをして、怒られているときだ。
「このところ夢ちゃんとは、いろいろありすぎたから」
神谷先生にそう話す星崎王子の声をあたしは聞きとがめた。
このあいだの冬あたりから、二人のあいだにはなにかあったらしいことは、なんとなく気づいていた。
友達として、多少は心配だ。
「ですね。かなり強引なこともやらかしたあとだし、気まずいってことですか」
――なぬ!?
神谷先生の声に意識を集中する。
これは耳ダンボだ。
「あのときは、夢ちゃんはかなり弱っていたし、状況が状況だったし」
「だからって強硬手段はないでしょう」
「とにかく」
不機嫌なマーティンの頭をぽんぽんしながら、耳は後ろに集中する。
「今は、よけいなことでわずらわせずに、楽しませてあげたいんだ」
優しい南風が、ほほをなででいく。
誘われるように海に目を向けると、波風が優しく揺れていた。
心で、水を汲みに行ってしまった親友につぶやく。
夢、よかったね。
でも同時にちょっぴり不安だよ。
優しくて純粋すぎる友達のことが。
束の間なごんだのをあざ笑うように、船内に激しい警報が響いた。
『進行方向先で、海賊間の争いが勃発。ただちに進路変更します』
いじけた顔をぱっと返上したマーティンに、腕をつかんでひきよせられる。
ざわめく船内にさっきのカエルさんの声が響く。
「みなさま、ご安心ください。我がフェアリーテイル号が、野蛮な海賊どもの手に落ちるなどということは、決してございません。進路は安全な方向に転じております。どうぞ落ち着いてください」
💛
船がぐらりと揺れて、進路を変えた。
がたんとヘリに肩がぶつかって、床に手をつく。
ここは船尾。
南国フルーツと一緒に、ガラスのポットに入ったお水は、すぐ先にある。
たった今聞いたアナウンスがもたらす緊張が、ぶつけた肩をよけいに痛ませる。
海賊さんがこの付近にいる。
星崎さんに頼まれたお水をくんで、すぐみんなのところに戻ったほうがいいよね。
急いでテーブルに駆け寄ろうとしたときだ。
船のへりの上に、傷らだけの手がある。
深い緑の宝石が、中指に輝いていた。
たぶん、外側から、誰かが船に上ってこようとしているんだ。
ひょっとして、海賊さん……?
周りを見ると、みんなどよめいていて気づいていないみたい。
どうしよう。
大声をあげたほうがいいと思ったけれど、震えて声が出ない。
射抜かれたように立ちすくんで、ただその手を見つめていると、その上から顔が現れて、目があった。
――!
想像してたのとだいぶ違う、きれいな顔だった。
金髪のショートカットに、宝石と同じ、緑の目。
若いお兄さんだ。
引き締まった口元が、切羽詰まったように動く。
「レディ、すまないが、手を貸してくれないか」
目をぱちくり。周りを見渡す。
「きみだ。そこの、小さなレディだよ」
レディって、わたしのこと?
「このままでは海に落っこちてしまう。たのむ」
その言葉にはっとして、わたしはへりに駆け寄った。
傷だらけの白い手をとって、ひっぱる。
なんとか彼を引き上げたときには、船の甲板に尻餅をついていた。
「ありがとう。優しいレディ」
声を変えられて顔を上げると、お兄さんが手を差し出してくれている。
緑の目は太陽の光をはじいて、まるで魔法のように澄んでいる。
よく見たら、布のような服も黒いズボンも、ぼろぼろ。
全身どころか顔にまで切り傷があった。
気づいたら、早口でまくしたてていた。
「手当したほうがいいです。わたし、星崎さんに知らせてきます――!」
踵を返してダッシュしようとするけど、手をつかまれる。
「待って」
「――ひっ」
そのまま引き寄せられて、抱き寄せられる。
真剣な瞳が、見つめてくる。
「この出会いは、ぼくときみだけの秘密にしてほしい」
ペリドットのような石を飾った指輪が光る手が、頭におかれる。
「世の中には、人には知られたくない身の上の輩もいるんだよ。こりすちゃん」
そう言われてよみがえったのは、お父さんとお母さんのことだ。
知られたくないことは、誰にでもある。
「わかります。……でも」
言葉の途中で、遮られた。
「震えているね。怖いかい?」
ぶんぶんと、首を横にふる。
「お兄さん、けがしてる。このままじゃ……」
緑の目が戸惑ったように大きく見開かれる。
お兄さんはわたしの手を離して、数歩後ずさった。
「やっぱり、星崎さんを呼んできます。きっと助けてくれます! だから――」
目に揺れる戸惑いを消して、お兄さんはほほ笑んだ。
「きみの彼?」
あわっ。
危うくまた肩をへりにぶつけるところだったよ。
「い、いえ。わたしをひきとって、育ててくれてる人です。とっても優しくて……大切な、人です」
お兄さんから表情が消えた。
じっと、わたしの目を見つめてくる。
「美しい……。きみが持つのは、数億カラットのブーフシュテルンだ」
びっくりして、思わず聞いてしまう。
「ブーフシュテルンを、知ってるんですか?」
きいたあとで、あたりまえか、と気がつく。
ここは本の中の世界だもん、それを作ってる魔法の星のことくらい知ってるよね。
恥ずかしくて頭をかいていると、お兄さんが手を差し出してきた。
「レディ。きみの名前は?」
握手、か。
わたしは手を差し出す。
「本野夢未です」
「夢未。覚えておくよ」
差し出した手がとられて、お兄さんの口元に持っていかれ、
「出会いに祝福を」
チュッと音がして――。
えぇっ!
「僕はジャック。幸運な出会いのしるしに」
どこから取り出したのか、ジャックさんはいつの間にかお水が注がれたワイングラスを持っていた。
「これを、きみの好きな人に」
わたしはグラスを受け取って、ぺこりと頭をさげた。
「もう行きなよ。仲間たちが心配してるだろうから」
数歩戻りかけて、振り向いた。
「あの。ほんとに大丈夫?」
おかしそうに片手をあげて、ジャックさんは言った。
「流れ者というのは、少しくらいの傷の手当は心得ているものさ。それに――またすぐ会える」
急に低くなった声にどきりとする。
不思議な人。
みんなのところに戻りながら、わたしはもう一つの謎に気がついた。
星崎さんに頼まれてお水をとりにきたこと、どうしてわかったんだろう?
💛
「ごめんなさい。遅くなっちゃって」
星崎さんにグラスを渡すより早く、抱きしめられるように背中に手を置かれる。
「さっきの揺れ、だいじょうぶだった?」
ちらと、まだかすかに痛む右肩のことを思ったけど、心配かけちゃいけないと思い直して、笑顔をつくる。
「はい。だいじょうぶです」
星崎さんは安心したようにうなずいて、グラスを受け取ってありがとう、とささやいてくる。そんな何気ないことに、どきっとする。
数か月前の冬のことが、よみがえる。
お父さんにまた殴られて、心配かけちゃったあのとき。
星のまたたくメルヒェンガルテンで、わたしは助けてくれた星崎さんの膝に横たわって眠ってた。
目を覚ました時。
たしかに、カレは――。
あぅ、だめだ、思い返しただけでふっとうしそう。
わたしを回想から現実に戻したのは、いつになく切迫した神谷先生の声だった。
「なんか、匂わないか。こう、焦げ付くような」
顔をしかめたマーティンが続ける。
「はい。それでいて、薬品のようだ」
言われて鼻をひくひくとさせると、ほんと。
すぐ近くから、鼻につく香りが――。
「みんな、伏せるんだ!」」
星崎さんがそう言ったのと、とどろいた爆音からかばうように体を地に伏せられたのと、同時だった。
💛
あたりが騒然とした直後、視界が煙で真っ白になった。
ようやく煙が晴れると、すぐとなりにわたしの肩を抱く星崎さん、すぐ前ではマーティンに抱き寄せられたももちゃんがぎゅっと目を閉じていて、少し離れた場所で神谷先生がせいらちゃんの手を握って引き寄せている。
わたしたちの、その中心には――こぼれた水と、こなごなに割れたワイングラス。
「爆風の根源は、これか」
そのすぐ近くに落ちている赤く光る粒の残骸を、星崎さんが拾い上げて、じっと見つめる。
「落ち着いて、みなさん落ち着いてください~」
いちばん動揺しているように見えるカエル支給長さんが、ばたばたと駆け寄ってくる。
「Oh、なんということだ。我がフェアリーテイル号にこんな野蛮な代物が!」
星崎さんの持つ赤い粉を受け取ろうと、手を差し出す。
「まことに、まっことに申し訳ない! 早急に調査いたしますゆえ」
「いえ、運よく、けがもなかったようですし。それより」
星崎さんは支給長さんに言った。
「この爆発源について、なにかご存じなんですか?」
「あぁ、はい」
かわいそうなくらい申し訳なさそうに緑の大きな顔を垂れて、支給長さんは説明する。
「メルヒェンガルテンの悪しき輩が使う、マイクロボムのようです。いったいどこから当客船に……」
にらむようにその赤く光る宝石のような粉たちを見つめて、星崎さんは続けた。
「少し、こちらであずからせてもらえませんか」
おどろいたように、支給長さんの頭についた目がきょろっと動く。
「けろっ? で、ですが……」
援護射撃のように言葉を添えたのはマーティンだ。
「ボムについて調べるんですね。僕も賛成です。身に迫った危険に対処しないで客船の人に任せるのは、しょうにあわない」
二人の熱心な視線を受けて、支給長さんも困り顔。
「しかしですねぇ……われわれのほうにも、お客様の安全を守る義務があるのでして。警備の者もおることですし、けろけろ」
やれやれと肩をすくめて立ち上がったのは、神谷先生だ。
「まぁ、お三方。不幸中の幸いと言っていいか、物騒な爆発源は粉々でいくつもあるわけだし、ここは、各々調べることにしましょうや」
これで決まりだ。
小さな爆弾の残骸を透明の二つの袋にわけて片方を支給長さんに渡すと、わたしたちは客室に向かって歩き出す。
「……さすがに爆弾は、びびったよ」
元気印のももちゃんも肩をすくめる。
それを励ますように、マーティンが言った。
「デッキのウェルカムウォーターに入っていたということは、不特定多数を狙ってたんだと思う。とはいえ、しばらくは用心しよう」
これを受けて、せいらちゃんが女性警官のようにびしっと敬礼。
「任して。科学捜査なら得意ジャンルなの! ぜったい犯人とっつかまえて――いたっ」
その額を神谷先生が小突いた。
「いいから大人しくしてろ。また危ないまねしてオレの寿命を縮めてくれんな」
みんなに続きながら、ふと、振り返る。
星崎さんが深刻な目をして、まだ袋の中の赤いかけらを見つめていた。
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