⑪ 夢の外で待っていて

 踊って疲れたわたしを、星崎さんは、バルコニーに連れて行ってくれた。

 『わたしをお飲み』の、あのジュースを片手に、ソファに腰掛ける。

 バルコニーの柵にもたれて、こっちを向いた星崎さんがふいに言った。

「それで、今度はどんなことで悩んでるの」

 クランベリージュースで、思いっきりせき込む。

 わたしって、やっぱり単純なのかな。

 これじゃ、はい、悩んでるんですって言ってるようなものだよ。

 星崎さんは面白そうに目を細めて、右手に持ったグラスを傾けた。

「ここは夢の中だから、遠慮なく、話してしまったら」

 そっか。

 今目の前にいるのは、ほんとの星崎さんじゃなくて、わたしの中のカレなんだったら。

 言ってもいいかも。

「わたしと、ももちゃんとせいらちゃん、猫さんになっちゃったんです。信じられませんよね」

 こくりとグラスを一口飲んで、星崎さんは一言。

「知ってたよ」

 !

「なんとなくあの猫さんは夢ちゃんじゃないかなって思ったんだ」

 どうして?

 星崎さんって仙人?

 ふっと彼は微笑んだ。

「オレの一番大事なものになっておいて、オレから隠れようと思っても、だめだよ」

 顔から火が出る気がして、わたしは顔を背けた。

 ……夢の中にしては、星崎さん、妙にリアルだな。こういうことさらっと言うとことか、本物そっくり。

「たぶん、マーティンも龍介もじきに勘づくんじゃないかな」

「そ、そうかな」

「好きな子のことだから、わかるんだよ。……それで、もとにもどる方法はあるの」

 そうそう、真面目な話もしなくちゃ。

「今、ここでわたしたちに起きてる物語が、どの作品のヒロインのものか当てればいいんです」

「夢ちゃんはもう、わかってるんだ?」

「――はい」

 わたしはその名前をささやいた。

「似てるもんね、彼女と夢ちゃん」

「えっ。そうですか?」

 はじめて言われたな。

 アメリカの戦争を生きぬく彼女はとっても強いヒロイン。

 はっきりと言いたいことを言うし、時には自ら銃を持って戦う。

「わたしはあんなふうには、強くないです」

 言いたいことは飲みこんじゃうし。引っ込み思案だし。臆病なとこだってある。

 銀色の月影のように星崎さんのきれいな瞳が、ふと暗くなる。

「――そんな女の子が、あの話のヒロインのように、銃を手にした。去年のクリスマスに」

 はっ。

 お父さんが、星崎さんに危険を及ぼそうとしたとき。

「あれは、どうしても、お父さんにさせたくなかったの。わたしの大切な人を攻撃するなんて」

 どうしても、強くならないといけなかった気がする。

 あのときは星崎さんのために。

 今までは、お父さんもお母さんも、誰もわたしを好きじゃなくても、平気でいられるように。

 そう言うと、彼は、そうか、と少し痛むようにわたしに笑った。

「――強くなれって子どもに言う大人はおおぜいいるけど、強くって、ほんとうになれるものかな。人に傷つけられることは何度経験しても慣れるものじゃないし、もし慣れてしまうとしたら、それはどこか悲しい気がする。

 悲しいことに敏感で、痛みを感じやすくて。そういう自分を、もう少し、許してあげてもいいんじゃないかな」

 夜風に乗った優しい声が、肌をくすぐる。

 強くなくてもいいよって言ってくれてるんだよね。

「夢ちゃんが許さないなら、オレが全力で甘やかさせてもらうけどね」

「……星崎さんは、どうしていつもわたしに優しいんですか」

 うーん、と彼は星がまたたく夜空をあおいだ。

「そうせずにいられないところはあるね。傍から見てても、人生幕あけて間もない今の時期から、夢ちゃんはなにかと、気苦労多いからさ。かわってあげたくなるくらい」

 それは……。

 ちょっと、わたしは口ごもる。

 いたづらっぽく、星崎さんがほほ笑む。

「『そんなことないです』って、言えないでしょ?」

 そう。

 わたしは気苦労多い、ってその言葉が、ちょっとそうかもって思っていた。

「でも。幸せな事も、たくさんあります」

 わたしはグラスをソファの前の小さなテーブルにことり、と置いた。

 柵の外の庭と夜空に向き直った星崎さんの背中にもたれる。

 ヒロインは、苦難にあうたび、大好きな人に助けてもらえるんだ。

 それが、苦労なんて忘れちゃうくらい、幸せなことなんです。

「それじゃ今回も、期待に応えなくちゃかな――今度は夢の外で、待っていて」

 囁く声を聴きながら、わたしはゆっくり、夢から覚めていった。

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