⑩ 彼に連れ出されて ~せいらの語り~
ダンスの相手にせいらさん、とあたしの名前を呼んだ男の人は、あたしの手を強くひっぱったまま、広間を突っ切って行った。
「あの。……踊らないんですか?」
「踊る? 貴様と。冗談じゃない」
ぱっと手を放して、床にたたきつけられる。
「いた……っ」
ちょっと、なによ。そっちから呼んでおいて、失礼だわ!
そう言う前に、男の人は豪華な衣装をさっと取り去る。そこには、みすぼらしいやぶれた服が現れた。
「残念だったな。オレは迎えに来た王子様じゃない。それどころか真逆。貧しい民衆だ。
毎夜こんな贅沢な宴を開きやがって! 浪費家王妃め! 覚悟!」
わわっ。なにか飛んできた!?
あわてて避けたけど、鏡の壁にあたって落ちたのは。
ナイフ!?
なんて物騒な。
ここはひとまず、逃げるしかないわね。
あたしはドレスをさばいて一目散に、広間の出口へと走った。
広い庭園を抜けて、ひたすら走る。だだっぴろいお城の外にはまだ出てないけど。
さすがにここまでくれば……。
そこまで考えて、ふと立ち止まる。
目の前には、大きな鉄の門。
その外に、さっきの男と同じような恰好をした人たちが押し寄せてる。
狂ったように口々に叫ぶ声がする。
「せいら女王め!」
「贅沢と圧政で我々を苦しめた、悪人め!」
「なかなか職にすらありつけない我々に、『仕事がなくてヒマなら、勉強してればいいじゃない』と、暴言を吐いた! 許せない!」
って、言ってないわよ、そんなこと!
彼らはついに、硬く閉まった門を開いて、庭園の中に侵入してくる。
あっという間にあたしは武器を持った人々に囲まれた。
「女王を捉えろ!」
あたしは、人々の合間を縫って、門の外に駆けだす。
入りくんだ路地に入っても、執拗に追ってくる人々。
無我夢中で走っていると、逃げていると、細い路地の影から、いきなり手が伸びてきて、肩を掴まれて、力強く引っ張られた。
万事休す。捕まって、殺されちゃうんだわ。もうだめ――。
恐怖に、あたしはぎゅっと目を閉じた。
そして、硬くこわばった身体が――ふわりと抱き寄せられる。
「せいら、こっちだ」
……え?
あたしはゆっくりと目を開く。
ほっとして、涙が出そうになる。
「バカ。なんで危険な状況になると、必ず来るのよ」
けっと、微笑んで口の端を上げたのは、かっちりした紫の生地に、金色の襟。まるで貴族のような服を着た、かみやんだったの。
「女王の危機に駆けつけないで、騎士の意味があるか」
女王……彼まであたしをそう呼ぶのね。
そこであたしはようやく思いだした。
これは、物語ドレスが導いた、ヒロインの記憶。
となれば、ドレスの持ち主の正体は……。
せっかく冷静に考えているのに、かみやんがあたしの頭を抱いて、また囁く。
「もっとも、騎士っていうより、愛人かもしれないけどな」
眩暈がするように、あたしは頭を押さえた。だめだめ。不覚ながら、うっとりしそうになるわ。
そのとき、怒りに満ちた声がした。
「女王と愛人か。逃亡を企てるとは。二人まとめて焼き払ってやる!」
さっきの男の人が、ナイフをもって襲ってくる。
かみやんがそれを剣で弾き返した。
ぶつかり合う金属音。
どうすればいいの。
助けに行きたいのに、動きが早すぎて、目で追うことすらできない。
ぐさりと、いやな音が響いた。
傷を負ったらしい相手は、悔しそうなうめき声をあげると、夜の闇に消えて行く。
はっと見ると、かみやんが、肩を押さえて崩れている。
さっと血の気が引いた。
駆け寄ると、彼はまだ微笑んでいた。
「ちょっとばかし……どじったか」
「喋っちゃダメ」
スカートの裾を引き裂くと、彼の肩を縛る。
「やっぱ、面倒見いいな、お前……ほんと、奥さんかっての」
「バカ……かみやんが、いろいろ頓着ないからでしょ」
縛る手が、震える。
彼の呼吸が、浅くなってくのがわかる。
「泣くなって。これくらい平気だっつの」
「だって……」
深手を負っているのに、彼は立ち上がる。そして、あたしの肩を抱いた。
「必ず、逃がしてやる。だから離れるな。……そしたら、お互い身分を捨てて、一緒に暮らすか」
民衆に処刑された、悲劇の王妃。恋人との逃亡劇。
あたしにはもう、その物語の主人公の正体がわかっていたの。
せめて、この夢では、幸せな気持ちでいさせて。
顔を寄せながら、あたしはぎゅっとカレの手を握った――。
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