③ 贈る本言葉

 その夜、星崎さんの部屋の前を通ると、彼が大きなカバンに荷物をまとめてた。

「出発、明日ですね」

 服を詰める手を止めて、星崎さんがこっちを見る。

「なんだ。夢ちゃん、案外平気そうだね。泣いてひきとめてくれるかなって楽しみにしてたのにな」

 わたしは微笑んだ。

 ほんとに泣きそうになったけど。

「星崎さん、わたしもう6年生です。お留守番くらいできます」

「ごめんごめん。こういうのって案外、大人のほうが弱かったりするんだ。夢ちゃんと離れるの、オレは寂しいよ」

 ふふって、笑い声が出た。

「嘘ばっかり」

 星崎さんはちょっと驚いた顔をして、すぐに笑顔に戻った。

「ほんとうだよ。その証拠に、夢ちゃんへのお土産ばかり探して、仕事にならないかもって本気で心配してるんだ」

「大切なイベントなんですよね。しっかりお仕事しなきゃ、だめです」

 星崎さんの、カバンに荷物を詰める手がまた、止まった。

「なんか、調子狂うな。夢ちゃん、今日はどうにも大人っぽくて」

「え、そうですか。……星崎さんのことが、心配だからかな」

 わたしは部屋の中に入って、星崎さんの隣に座る。

「出張先の本屋さんでは、どんなイベントをやるんですか」

「本言葉を大切な人にって掲げて、本の中のいい言葉をたくさん知ってもらおうって試みなんだ。栞町店でもやっているけどね。

 作家さんが本の紹介の講演をしたり、タイトルを表紙に書かずに、中の一言フレーズだけ書いて本を売ったり、なかなかおもしろそうだよ」

 へぇ……。

「そうそう、イベントを通じて印象に残った言葉を栞に書いて、大切な人へのプレゼントにするっていうコーナーも設置するんだって」

「すてきです」

 わたしは、カバンのチャックを閉めてる星崎さんを見つめる。

 今しかない。

 決めたんだ。

 わたしはなるべく何気ないかんじになるように、きいた。

「出張、どこまで行くんですか」

 星崎さんはあっさりと答えてくれる。

 なんの疑いもなく。

「言ってなかったっけ。本店のある折丁だよ」

 折丁の星降る書店の本店――。

 わたしはしっかり、訊いたことを胸にしまいこんだ。

 朝の今は5時。

 星崎さんが出張にでかける日。

 わたしはベッドから起き上がった。

 キッチンに行くと、星崎さんがそこに立ってお料理してる。

 わたしの今日のお夕飯、作り置きしてくれてるんだ。

 きゅっと胸が切なくしまる。

 そっと、その背中に近づいて行って。

「!……夢ちゃん?」

 星崎さんがびっくりしたように包丁をとめて、振り返る。

 わたしは彼の背中に後ろからぎゅっと抱き着いたの。

「いいんだよ、まだ寝てて」

 優しい声に、泣いちゃいそうになる。

「星崎さん。星崎さん……」

 何度も名前を呼ぶ。

 噛み締めるみたく。

 彼が頭に手を添えてくれる。

「どうしたの」

 一言、答えるのがやっとだった。

「寂しい……」

 星崎さんはしゃがみこんで、わたしを見てくれる。

 じっとわたしは彼を見返した。

 伝えておきたいこと、今伝えないと。

「星崎さん」

 彼が落ち着かせるように微笑んでくれる。

「なに?」

 クリスマスの靴下が描かれた栞を差し出した。赤いラメが散ってる紙の真ん中ある、これが、わたしの言葉。

「わたし、星崎さんが大好き。そのこと、覚えててください。このさきもずっと」

 星崎さんは目を細めて笑った。

 普段の知的な感じよりぐんと優しいかんじになる、わたしが好きな目。

 栞がそっと受け取られて――ぺち、とほっぺたに彼の手が触れる。

「まるで今生の別れだね」

 わたしは、何も言わなかった。

「そんなのはこれから夢ちゃんが何度でも言ってくれたらいいんじゃないかな」

 やっぱり、答えられなかった。

 お料理を作り終わって、お仕事に行く支度をする星崎さんをわたしはずっと見てた。

 玄関までお見送りする。

 星崎さんは渡した栞を肩の上に掲げた。

「すぐ帰るよ。……そしたら、オレからも伝えたいことがあるから」

 わたしは笑った。

 伝えたいことって、なんだろう。気になるけど。

「それじゃ、行ってくるね」

 栞を胸にしまって、ジャケットを羽織った星崎さんが扉の前に立った時、わたしはがんばって笑った。

「行ってらっしゃい」

 それから。

 心の中で、呟く。

 さよなら、星崎さん。

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