⑧ 恋愛劇に切なく揺れて

 マーティンが海の魔女に連れて行かれるのを見届けて、気が付くと僕は、見知らぬ台所にいた。

 隅にはキッチン道具がつりさがっている流し。すぐ傍らには木のテーブル、そしてその前にあるたった一つの椅子には――。

「まんまとかかりおったな、ジョニー」

 赤いとんがり帽子をかぶった大魔法使いが、悠々と腰掛けながら、じゃがいもの皮をむいていた。

「どういうことですか。僕は海の魔女と契約して、もも叶ちゃんのところに連れて行ってもらえると」

「当たらずとも遠からずってところだな」

 皮むきの手をとめずに、大魔法使いは言った。

「小娘は、この敷地内のどこかにいる」

 僕は溜息をついた。

 なるほど。

 確かに、海の魔女は契約内容に違反はしていないと言うわけか。

 しかし、よりによって天敵の目の前に連れてこられるとは。

「残念だったな。海の魔女も、オレたち魔族側の人間なんでな。諦めることだ」

 大魔法使いは宣言した。

「ジョニー。お前は一生、オレの召使いとして、ここでじゃがいもの皮むきだ」

 メルヒェンガルテンの最北の海底深くに、海の魔女の住まいはある。

 彼女に連れられるまま、僕は大人しく洞窟の中に入った。

 貝殻でつくられた化粧台や、テーブル、水晶玉なんかが置いてある。

「さぁマーティン坊や。これからさっそく、アタシの商品になるんだよ。それとも、この無敵のグローブに挑戦するかい? すごいボクサーでもなけりゃ、粉々に砕かれちまうだろうねぇ。大人しく諦めて薬になったほうがましってもんさね」

 僕は、まっすぐに海の魔女を見返した。

「それは、どうかな」

「……ほう。ぼこぼこにされるほうを選ぶのかい。男らしいことだ。いいさね。さぁ、かかっておいで」

 海の魔女が、貝殻でできた安楽椅子の上のグローブをはめて構えたそのとき。

 契約書から煙が出てきて、だんだん、体格のいい少年の形になる。

 現れた少年は人のよさそうな笑みを浮かべて、海の魔女に笑いかける。

「海の魔女さん、どうやら、対戦の相手はオレみたいだぜ」

 そして、僕に向かってぶつくさ言う。

「ったく、マーティンも人が悪いよな。こういう契約に、無断で人の名前使うなんてさ」

 さすがの僕も、これには素直に詫びる。

「すまない、マッツ。将来のボクサーチャンピオンである君なら、無敵のグローブなんかに負けるはずがないことを確信したんだ。許してくれ」

 少年、マッツはやれやれと肩をすくめた。

「あんま過信されてもなぁ。このあいだ落っこってきたヒルデと舞台の上で頭ごっつんしたときだって、女の子は真っ先に医務室に運んだくせに友達を放置するってどういうことなんだよ」

「ごめん。君は平気かと」

「ほんと、この借りは高いぜ。そうだ! ポテトチップがいいな。コンソメと、のり塩の両方な」

 僕は手を上げて請け負った。

「一週間分で手を打とう」

 戸惑っているのは海の魔女一人だ。

「な、なんだって? いったいどうなってんだい……」

「契約書をよく見るんだ、海の魔女」

 海の魔女はあわてて僕の指示通りにする。

 そこに描かれていたサインは、マーティン・ターラーではない。

 マチアス・ゼルプマン。

 名前が似ているから、『飛ぶ教室』の読者の人たちはよく、僕とマッツを混同するんだ。

 この通り、中身はぜんぜん違うんだけど。海の魔女も、うまく騙されてくれた。

「よしきた。このおばさんをやっつけたらいいんだな」

 マッツが、ウォーミングアップに化粧台を殴ると、それは真っ二つに割れた。

「ひいいい!」

「さぁ、海の魔女さん、どうしたんだ? 早くかかってこいよ」

 マッツが構えのファインティングポーズをとる。

「降参、降参だよぉ。ったく、小賢しい小僧め!」

「だってよ。マーティン。どうすんだ?」

 いささかがっかりしたようにマッツが言う。

「海の魔女。契約の対価をもう一つ支払ってもらおう」

「へぇぇ?」

 僕はほくそえんだ。マッツの名前をサインするついでに、契約内容に、海の魔女が一つ僕の欲しい情報を差し出すことも書き加えておいた。

「僕のほしい情報は、こうだ。先月の魔女新聞に、ヒルデという魔女の娘が行方不明とあった。彼女について、知ってるんだろう」

「むきぃぃっ。油断も隙もありゃしない小僧だ!」

 海の魔女は化粧ダンスの中をひっかきまわすと、しわくちゃの紙面を持って来た。

「仕方ない、契約はぜったいだからね。ほらよ、これが今月の魔女新聞だ。家出娘の事情について詳しく載ってるよ」

「ありがとう、マダム」

 紙面を受け取ってお辞儀をしたあと、

「へぇぇ。ヒルデがほんものの魔女だったなんて。でもこれであの子を無事に帰してやれるな」

 僕は呑気に感心しているマッツに向きなおった。

「それじゃ、僕はジョニーともも叶を助けに行く」

「二人とも無事か? 手、貸すぜ」

「いや。おそらく次は体術じゃなく頭脳戦になる」

 マッツはありゃと言って額をたたく。

「それだけは苦手なんだよな」

「ギムナジウムの宿に、休めるベッドの用意を頼むよ」

「おっけー。絶対帰って、ポテチおごれよ。マーティン」

了解の意味で、僕は親指を突き立てた――。

 毎日、魔法の館の台所のテーブルの上にはいっぱいのじゃがいもが積み上げられた。

 それを一日かけてぜんぶ剥くのが召使いのジョニーである僕の仕事。

 幼い頃から、家庭環境に恵まれてきたほうじゃないから、こういうことには慣れてる。

 僕は半日でその仕事を終わらせると、午後から館の中を歩き回って、もも叶ちゃんを捜した。

 でも一向に見つからない。

 そこで今日は、庭に出てみることにした。

 広大な庭は、柵で囲まれている。

 その庭の隅から隅までを、見て回る。

 とある柵の向こう側に、ついに見つけた。

 もも叶ちゃんの赤と黄色の縞模様のリュックサックが、落ちてる。

 きっと、彼女はこの先の暗澹たる牢獄に閉じ込められてるんだ。

 一思いに、柵を飛び越えた。

 いくらあたしの抜群の運動神経をもってしても、この牢獄の高さは乗り越えられない。

 あたし、もも叶はぐっと天井を睨んだ。

 よーし、こうなったら。

 すとん、と冷たい地面にあぐらをかく。

 助け待ちなう。

 ピロリンと音がする。

 さらわれるとき、スマホ、短パンのポケットにしまっといてよかった。

 夢からだった。


 

 ももちゃん、今どこ? 連絡ください!


 

 あたしを心配する短い文面のあとに、お願いごとスタンプ。

 プレゼントの絵柄の上の短冊にこう書いてある。


 『ももちゃんが無事好きな人のところに帰れますように』


 夢……。

 あたしは画面の向こうの親友に念じる。

 ごめん、ここがどこかわからないの。

 でも、必ずマーティンが助けにきてくれる。

 そして、また会えるって信じてる。

「久しぶり。もも叶ちゃん」

 柵の外から聞こえたちょっぴりおどけた声に、あたしはがばっと顔をあげる。

「ジョニー!」

 あぐらから立ち上がって、柵のすぐそばまで歩く。

「来てくれたんだ。マーティンは無事?」

「そう信じてる。しかし頑丈な柵だね。ぴくりともしない」

 なにか、牢屋を突破する方法はないかな……。

 考えつきそうもないことを考えていると、ジョニーが静かに言った。

「魔族は恋心を嫌って苦手としてるんだ。魔法でできた鉄柵もおそらくそういうものに弱いんじゃないかな」

 ほう! なるほど!

 確かに大魔女たちがそんなこと言ってた!

「もも叶ちゃん、ここで、恋のワンシーンなんか演じてみせようか」

  ぽっと顔から火が出る。

 好きな人と恋のシーンかぁ……。

「ジョニーの書く脚本だったら……」

 優しい声が返ってくる。

「褒めてくれてありがとう」

「……やっぱり、ジョニーがいると心強い。マーティンとのことも相談できるし。 あたしたちの味方って気がする」

 溜息と一緒に、ジョニーの肩が大きく下がった。

「やっぱり、相手役は、マーティンじゃなきゃだめかな」

 ちょっと怒った声にえっと固まる。

 当然みたいな感じで、彼を思い浮べてたけど。

 なんだろう。ジョニーの声、いつもと違う。

 ふだんはすごく優しいのに、ちょっとだけ怖く聞こえる。

 なんか、まずいこと言っちゃったかな。

 いろんなことずばっと言っちゃうあたしやマーティンと違って、ジョニーは大人だから、時々一人で我慢しちゃうことあるんじゃないかって心配なんだよね。

「ジョニーもなんかあったら、あたしたちに言ってよね。友達でしょ!」

 笑顔でそう言っても、ジョニーの顔は晴れない。

「……じゃぁさ、もも叶ちゃん」

うつむいて、切なげな低いトーンが響く。

「こういう役回りがほんとはたまらなくいやだって言ったらどうする? 親友と好きな子のために、気持ちを隠してるのがやりきれなくて」

 ……え?

「もも叶ちゃん。君が好きだった。ずっと」

 激しくて鋭い音がして、なにかがガタガタと崩れ落ちる。

 目の前が煙で真っ白になる。

 気が付いた時には、目の前にジョニーが立っていた。

 足元に粉々になった鉄柵の欠片を従えて、彼はかすかに、笑った。

「なんてね。恋愛劇はここまで」

 笑ってるのに、その顔は蒼白で。

 すごくつらそう。

「行こう。マーティンが待ってる」

 かすかに震えながら歩き出した背中に、あたしは駆け寄って寄り添った。

 あたし……なんにも知らなくて、マーティンのこと能天気に話したり、相談までして。

 ばか。なんてばかだったんだろう。

 涙で滲む声が出る。

「ジョニー。ごめ……」

「謝らないで」

 背中に触れた手に手が触れる。

「そういうもも叶ちゃんがいいんだ」

 あたしたちはそれ以上なにも話さずに、牢屋の外へ通じる道を歩き出した。

 ジョニーのことを想うと悲しいのに、それでも頭の片隅では彼の――マーティンの無事が気になってしかたない。

 それが余計に、痛かった。

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