⑨ 恐怖裁判からカレを救って!

 大魔法使いは魔法の館の最上階の部屋にいた。

 ゆったりと豪華な赤い椅子に座って、こうもりの羽の形の受話器を手に話してる。

「大魔女か。……あぁ。さっき『死神宅配便』の業者から、死の薬は確かに受け取ったぜ。ガキどもだって? ふん。たわいない。みんな閉じ込めたさ。もう手も足も出まい」

「それはどうかな」

 僕が一言そう言うと、大魔法使いがその目をむいて、受話器を取り落した。

「そこまでだ、大魔法使い」

「なっ。マーティンじゃねーか。海の魔女の商品になってるはずじゃ」

「残念だったな」

 口元を上げて、笑ってみせる。

「もも叶のところにはジョニーが向かってるはずだ。必ず助ける。お前の計画は頓挫したんだ。大人しく僕らの解放を要求する」

 敗北が決定した大魔法使いは悔しそうにうめいた。

「オレたちもこれまでかっ、ちくしょう、ちくしょうっ」

 じたばたと地団駄を踏み、暴れまわり、ついに自分で自分の足を踏んで、大魔法使いはうずくまった。

 痛みに呻く声がとまると、顔を上げた。

 その口元はにやりと上がっていた。

「なーんて言うと思ったか、甘いな、小僧」

 なに?!

 大地を裂くような低い笑い声が響いた。

 屋敷の中だというのに稲妻が走り、辺りが暗くなった。

 強風から目の前をかばって、もう一度目を開いたときには辺りは一変していた。

「ここは……?!」

 天井に幾幕もぶら下がる、かぼちゃの描かれた紫色のカーテン。

 辺り一面が骨を組み立てて作った傍聴席で囲まれていて、人々が腰掛け、なにか囁きながらこっちを見てる。ところどころ、見知った顏もある。僕と同じ、本の中の世界の住人だ。

 中心に、傾いて壊れかけた正義の天秤を持ったドクロの像がある。

 そのすぐ後ろの高い位置に立派な台座があり、エプロン姿から、法衣のような真っ黒い服に着替えた大魔法使いが小槌を持って笑っている。

 なるほど。

 自分が、ドクロ像を挟んで三方を木板で囲まれた席に立たされていることを見て、把握する。

 ここは裁判所で、さしづめ僕は裁かれる立場らしい。

 裁判官席から、大魔法使いの声がする。

「最後の切り札の魔法をとっておいてよかったぜ」

「今度はどんな卑怯な手を使ったんだ」

「おっと口に気を付けるんだな。お前は被告人なんだぞ。まぁ、なんなら一つだけ教えておいてやろうか。これは再現魔法だ。本の中の恐ろしいシーンと同じ状況をそっくりそのままでっちあげられるっていう便利な魔法でね。――マーティン・ターラー。お前の罪状は、恋人を裏切ったことだ」

 ぱっと顔を上げる。

 なるほど、でっちあげだ。

 叫びたくなるのをなんとかこらえた。

「園枝もも叶のお前への恋心を我々魔族に渡した。つまり、魔族のスパイだという嫌疑がかけられている。我々の同類というわけだ」

 頭が真っ白になった。

 受けた屈辱にじゃない。それすらも、忘れていた。

「もも叶の心がお前たちの手元にあるのか! 答えろ」

 大魔法使いはひるまない。

「今ここがどの本の場面か当てて、物語と同じ方法で解決してみな。ま、無理だろうが。なにせオレが呼び出したのは、無罪の人間も有罪にしちまうような恐怖裁判所だからな」

 くそ。

 こんなときに、読書家のジョニーがいてくれたら。

 僕は舌を噛んで、うつむく。

 考えるんだ。

 裁判所が出てくる本といえば……。

 有名な作品が頭に浮かぶ。

「『不思議の国のアリス』。確かあの本の中で、主人公のアリスはハートの女王に理不尽な理由で裁判にかけられる!」

 頭の上からばかにしたような笑いがふってくる。

「はっはっは。残念だが、オレは近頃の軟弱な魔女たちとは違ってな、ファンシーな少女趣味の作品は好みじゃない」

 外れたか。

「さて、どうする、小僧。こうしているあいだにも裁判は進んで行くぞ。」

 高らかに大魔法使いの鳴らす小槌の音が響いた。

「証人をここへ!」

 四方にいくつもある扉の中の一が開かれ、証人なる人物が入ってくる。

 青白い顔をしてうつむいているその姿に、僕は目を瞠った。

「名を名乗りなさい」

「はい……パパ」

 大魔法使いの言葉に頷いた拍子に、紫の長い髪が揺れる。

「ヒルデ、です……。大魔法使いの、娘です」

 髪より少し深い、紫の目が、すまなそうに僕を見た。

 あたしとジョニーはマーティンのいる魔法の館に着くと、一も二もなく中に潜入した。

 階段を一段飛ばしで駆け上がり、ようやく一番上の大魔法使いの部屋に着く。

 そして……二人して顔を見合わせたんだ。

 目の前には席についているたくさんの人たち。中心には高い席についた大魔法使いと、木の台で身体を囲まれたマーティン! そのあいだに立っているのは……ヒルデ?

 となりのジョニーが呟いた。

「再現魔法だ」

 なにそれ。

「今マーティンは裁判にかけられてる。ただし、大魔法使いが、本の中の一場面を参考にして魔法で作り上げた裁判なんだ」

 なんだか、ややっこしい話。

 でも、彼がピンチなことは確か!

「どうすればいいの?」

「なんの本の場面なのかつきとめて、同じ解決方法で乗り切るんだ」

 ひぇぇ?

 あたしは頭をフル回転させた。

 裁判の出てくる物語? そんなのあったっけ。

 う~ん、だめだ。

 ドラマだったらいくつか思いつくけどっ。

「ジョニー、心当たりない?」

 冷静に、彼はうなずいた。

「考えてみる。まずは、僕らがここに助けにきたことを大魔法使いに悟られないように、傍聴席に紛れよう」

 あたしはジョニーに手を引かれるまま、なるべく目立たない後ろの席についた。

 でも目線は、裁判にかけられてる彼から離せない。

 マーティン、ぜったい助けるから……!

 膝の上でぎゅっと手を握り合わせていると、証言台に立ったヒルデがしゃべり出した。

「あたしは、パパの命令で、マーティンに近づきました……。もも叶って子の恋心を灰にするため」

「被告人の彼の特徴は?」

 大魔法使いに促されて、ヒルデがうなずく。

「きれいな茶色の目に、さらさらの髪。そのときはギムナジウムのお祭りだったから、紫のこうもりのリボンが目立ってました。彼はあたしに、彼女から盗んだ恋心を、く……くれたんです」

 マーティンが息を飲むのがわかる。

 まさか、そんな。

 周りのみんながざわめいてる。

 だんだん、と大魔法使いが小槌をたたく。

「マーティン・ターラー。お前に刑罰を言いわたそう」

大魔法使いの合図で、こうもりの羽をつけたお兄さんが、ワゴンに乗せてなにか運んできた。

 それがなにかわかるなり、あたしは真っ青。

 これはっ、首をはねるギロチン!

 でも、おかしいな。

 ずいぶんとミニサイズだけど?

 大魔法使いが叫んだ。

 「お前の恋心を死刑にする! その胸のなかから輝かしいブーフシュテルンをよこせ。彼女との記憶も、想いも全て抹消する!」

 えっ、うそ!

 マーティンの恋心が切り刻まれちゃう?

 今までのデートの想い出も、本と外と中の別世界に住んでることで悩んで、二人で一生懸命乗り越えようとしたことも?

 そんなのぜったいさせない!

 なんとかしなきゃ。

 でも、どうやって?

 焦っていると、すぐ横で声が上がった。

「異議あり!」

 すくっと、ジョニーが立ち上がる。

 あたしはほっと息を吐く。

 この裁判の描かれてる物語が、わかったんだ……!

 でも、そのあとのジョニーの言葉に、あたしは愕然。

「彼は罪人のマーティン・ターラーではありません! それは、僕のことです」

 周りがまたわざわざしだした。

 マーティンも真っ青になってジョニーを見てる。

 一人落ち着いてるジョニーは続けた。

「ヒルデさん。犯人の特徴は紫のリボンと言いましたね」

 すっとジョニーがマーティンを指さす。

「見てください、彼の胸元。鮮やかなオレンジ色だ」

 ジョニーはいっそう、通る声で言った。

「そしてこの僕の、紫色のリボンを! 罰を受けるのは僕だ」

 ふん、と大魔法使いの口元が歪む。

「そっちの小僧が見破りおったか」

 マーティンがくっと悔しそうに呻く。

「『二都物語』だったのか……」

 二都物語?

 あたしは記憶の中を必死に引っ掻き回す。

 そう言えば、夢が言ってたような。

 二都物語っていうのはフランス革命の話で。

 その時代は、無実の罪で捉えられて殺されちゃう人もいたんだって。

 えっと、夢はどんな話だって言ってたっけ。

『ヒロインの恋人も、無実なのに死刑を言い渡されちゃうの』

 そう。そうだった。それから?

『……ヒロインを愛する別の男の人が身代わりになって、殺されちゃうんだ』

 あたしはぞっとした。

 これが『二都物語』の正しい結末だ! 

 ジョニーは身代わりになろうとしてる。

 マーティンのため……。

 あたしの、ため?

 そう思い立ったとき、心が悲鳴をあげた。

「よかろう。海の魔女のしくじりを埋め合わせられるってもんだ。お前の恋心とやらも燃やせばすばらしいスパイスになる。こっちへくるんだ、ジョニーとやら」

 ジョニーは黙ってうなずいて、小さな処刑台に向かって歩き出す。

「待て!まだ証拠がない。確かに、ヒルデにもも叶の恋心が渡されたっていう証拠が」

 マーティンが言うけど。

「往生際が悪いぞ、小僧」

 大魔法使いに目で合図されて、ヒルデがすきとおった袋をかかげた。中に黒い砂のようなものが入っている。

「これが……証拠です。もも叶さんの恋心はもうすっかり灰になりました」

 マーティンが息を飲む。信じられないみたいだ。

「ヒルデ……」

 ヒルデが顔を背けた。その目が、なんだかごめんねって言ってるみたいで。

 あたしも見てられなかった。

 あれはきっと、メルヒェンガルテンの出店で売ってた黒い星の砂だよ。

 なんで、あんなこと言うんだろう?

 ヒルデはあたしの恋心を奪わなかったのに。

 そこまで考えて、あたしははっとした。

 そうだ。

 こんなに簡単なことだったんだ!

 ジョニーの胸の前に、大魔法使いが手をかざす。

 勢い、あたしは立ち上がった。

「ちょっと待ったっ!」

 みんなが動きを止めて、あたしに注目する。

「恋心を死刑とか、冗談ぽいだよ! 誰も罰を受ける必要なんかないってば」

 マーティンはスパイなんてしてない!

 ヒルデも恋心を燃やしてなんかいない。

 どんっと胸をたたく。

「このあたしが証拠です! 園枝もも叶、魔族新聞にでかでかと載ったあたしのことは、みなさん知ってますよね?」

 あたしは勢いに乗って叫んだ。

「マーティンに恋する心なら、まだここにちゃんとあるんだから!」

 マーティンがかっと赤くなる。

 そのとたん、裁判所が、群衆の人々が消えた。

「ちっ。物語の結末にさらに新たな展開を書き加えるとは」

 エプロンと赤いとんがり帽に戻った大魔法使いに、駆け寄った子がいた。

「パパ、あたしたちの負けだよ。マーティンを逃がしてあげて」

 ヒルデ……。

 大魔法使いにしがみついて、必死。

「ヒルデ。どういうことだ。もも叶の恋心を盗むのが仕事だと言っただろ」

 ヒルデはそっと大魔法使いから手を放した。ツインテールにしていた髪は今日は降ろして、裾の広がる黒服に小さなとんがり帽子を被っている。

「できなかったのっ。マーティンに、彼女の恋心を渡してって頼むなんて、どうしてもいやだった。誰かを好きな気持ちって、そんなに簡単に思い通りにできるもんじゃないよ。あたしは……そう思うから」

「ふん。恥さらし娘がっ。好きにしろ」

 大魔法使いは捨て台詞を吐くと、いじけて部屋から出てっちゃった。

 しゅんと小さくなってヒルデが呟く。

「ごめんなさい。……みんな」

 あたしは静かにヒルデに近づいた。

「ううん。あたしの、その」

 なんかやっぱ、口に出すの照れるな。

「こ、恋心を盗めってお父さんに言われて。それなのに助けてくれたんだよね?」

 そう言うとヒルデは今までのしおらしい感じがどこへやら、つんと上をむいて、

「ふんっ。だってフェアじゃないじゃんっ。魔族の力を使って恋のライバルの気持ちを消すなんてさ。あたしは正々堂々マーティンとカップルになるのーっ」

 まったく、素直じゃないな。

 でも、図太さと元気が健在で安心したかも。

「……最初から、パパの命令をきくつもりなんてなかった。マーティンのギムナジウムに送り出されたとき、このまま家出しちゃえって思ったの。

 でも、パパがマーティンたちと勝負するってきいて、心配でたまらなくなって、つい帰ってきちゃった」

「慣れないほうきで空を飛んでまでして出た家なのに?」

「……!」

 マーティンの言葉にヒルデの身体が驚いたように反応する。

 彼はゆっくりとヒルデに歩み寄る。

「君を見て思ったんだ。傷ついてるのに、それを隠してわざと明るい子を演じてるみたいだって。医務室で君を手当てした時言ったね。心の傷も早く治した方がいいって」

「……そのせりふで、あたしはマーティンに恋の魔法をかけられちゃったってわけね」

 マーティンは答えた。自信をもって。

「違うだろ。君にはちゃんと、大事にしてくれる人がいる」

 ヒルデは小さく吐息をついた。

「まるでマーティンのほうが魔法使いみたい」

「ごめん、どうしても気になって少し調べさせてもらったんだ。僕に恋をしかけるように振る舞ったのは、その人とのことがだめになるかもしれないから、やけになったから。そうかな」

 え?

 どゆこと?

 ヒルデは黙ってうつむいた。

「……マーティンは、結婚式前に、好きな花嫁さんが逃げちゃったらどうする?」

「追いかける。会ってわけをきく。大切な人がなにかかかえてるのにそれを知らないまま別れるなんてできない」

「……やっぱり。マーティン、大好き」

 ヒルデがマーティンの肩に……なぬっ。

 ちょっと、そこあたしの指定席!

 マーティンはゆっくりとヒルデを離した。顔を見ながら言い聞かせる。

「そんなこと、言ったらだめだ。君の大切な人が悲しむ」

 そう言うと、ヒルデはわっと泣き出した。

「でも彼とは、もう」

「大丈夫」

 一歩引いた位置で言葉をかけたのは、それまでずっと黙っていたジョニーだった。

「僕らのそれぞれの想いは守られた。君の恋心の行方だって保証するよ」

 前に向き直る瞬間、かすかにヒルデの濡れた目が微笑んだ気がした。

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