④ 仮装衣装はシェヘラザード
キルヒベルクから汽車に乗って、パレ駅へ。そこからさらに、名作の部屋まで、僕とジョニーは歩いていた。
僕の手には、一通の招待状がある。
「楽しみだね、マーティン。またもも叶ちゃんに会える」
隣を歩くジョニーがいつもながら穏やかに笑ってくる。
「もも叶、怒ってるだろうな……」
ついぽつりとつぶやいて、しまったと思った。
ジョニーがかすかに顔をしかめる。
「マーティン。怒らせるようなことしたの? このあいだのデートかい?」
溜息をついて、しょうがなくほんとのことを話す。
「ヒルデと鉢合わせしたんだ。彼女が、僕とはただの友達じゃないと言って、そこに居合わせた海の魔女もそれを支持して……」
しばらく黙ると、ジョニーは静かに言った。
「それは、マーティンもいけないんじゃないかな」
僕は密かに溜息を殺す。
こういう問題になると、どうしてか、ジョニーはいつでももも叶の味方をするんだ。
「よく考えてみて。君がヒルデちゃんを抱いて校庭の茂みまで走ったのは事実だ。手や足や、唇とまではいかないまでも、口元に触れたのもね」
頭をかかえたくなる。
だから困ってるんだ。
「でもそれは、もも叶が思っているようなことじゃ」
ジョニーは笑顔に戻っている。
「その通り。誤解を解くべきだよ」
やれやれ。思わず両手を広げる。
「もも叶も、早とちりなんだ」
「そんなこと言ってないで、今回は君が謝るんだよ。好きな子がほかの子を抱き上げて走ったって聞かされたら、焦る気にもなるよ」
うつむいたジョニーの顔にかすかに、違和感を覚える。
「ジョニー? どうしたんだ。君がそんなに強い言い方するなんて……」
彼は、大人びた顔をして、メルヒェンガルテンのきれいな空を仰いだ。
「ごめん。好きな子が他の子と幸せそうにしてるのを見てる気持ちは、少なからず、わかるから」
ジョニーは、何気なくそう言うと、歩いて行った。
立ち止まって動けない僕に気付かずに。
「どうしたの、マーティン。パーティーに遅れるよ」
進んで行く青い制服姿を、僕はしばらく見ていた。
ごめん、ジョニー。
君は幼い頃から苦労していて、みんなの監督者みたいで、親友ながら、どこかなんでも受け入れてくれる大人だと思っていた。
でも、君だって。
駆け寄って追いついて、これからのパーティーのことを話しながら、僕は心で彼に詫びていた。
親友なのに、ちっとも、気が付かなかった。
君の気持ちに。
❤
夢のマンションのリビングにあたしたちチーム文学乙女は勢揃い。
「夢っちったら~」
と、声をあげたのは、水色のフリルのドレスで小公女の仮装をしたせいらだ。
「今日はみんなで文学ヒロインの仮装であわせて、彼を虜にしましょうって言ったじゃない」
そうなんだよね。
あたしも、長ぐつしたのピッピになって、頭をツインテールにして、赤と黄色のカラフルな長い靴したはいてきたんだ~。
なのに夢は、ふつうのパーカーとスカート。
「ごめん……。やっぱり、恥ずかしくて」
「そんなんじゃ星崎さんとの恋も進展しないわよ」
はぁぁとうなだれるせいらに、あたしはこっそり耳打ち。
「大丈夫。あたしに考えがあるから」
「考え?」
「まっかして」
ぽん、とあたしは仮装の一部の大きな赤と黄色の縞模様のリュックサックをたたいた。
そこで、インターホンが鳴った。
うげっ。さっそく気まずい。
「お招きありがとう」
やってきたのは、ジョニーと、そして――。
「……お邪魔します」
マーティン……。
マーティンはジャケット、ジョニーはセーター。いつもの制服にそれぞれおしゃれなリボンを結んでる。
「色違いなのね。すてきだわ」
せいらが場をとりもつように話してくれる。
ほんと。
リボンの色はマーティンは紫のこうもり柄。ジョニーはオレンジ。かぼちゃ柄だった。
「マーティンがいつもの制服でいいってきかないからね。
せめて胸元くらいハロウィン仕様にしようよって言ったんだ」
そうなんだ。
「きみたちも、衣装すてきだね。もも叶ちゃん、似合うよ」
ジョニーがそう言ってくれたのに、なんだか悲しくなる。
つい、言っちゃったんだ。
「誰かさんもジョニーみたく女の子をさらっと褒められたらいいのにね」
そう言われて、はっとしたように、大きな声がした。
「もも叶!」
びくっとして、あたしは肩をすくめる。
マーティンが、真剣そのものの顔をして、あたしを見てる。
「話がある。夢未、ベランダを借りてもいいかな」
夢が嬉しそうにジョニーやせいらと目を見交わして、頷いてくれる。
「えっ。ちょっと!」
あたしはマーティンに手を引かれて、夢宅のベランダに歩いて行った。
❤
「ヒルデは空から降ってきたんだ」
ベランダの柵に両手をあずけて、いきなりそう切り出すマーティンにあたしはジト目。
「言い訳にしては下手すぎるよ」
「もも叶、ほんとなんだ」
マーティンはぎゅっとあたしの腕をつかむ。
「学園祭でハロウィン劇を上演してるとき、巨人を演じてたマッツの上に勢いよく落ちて。頭と頭がぶつかって、裏方を担当してた僕が彼女を医務室まで連れて行った。僕たちのどこから来たかって質問にぜんぜん答えなくて。ただ一言『家出した、ぜったい帰らない』って。所在不明の女の子を放り出すわけにはいかなくて、ひとまず先生たちは学校の臨時の生徒として置くことにしたんだ。男子学生だけのギムナジウムに、異例なことだけど」
あたしはじろりとマーティンを見た。
「男の子が大勢いる学校で、カレシに選ばれちゃうなんて、すごいじゃん」
つい皮肉が出る。
マーティンはほとほと弱ったって感じで頭をかいた。
「医務室で手当てをしてから、みょうになつかれちゃって。手足に包帯を巻いて、口の端もすり切ってたから消毒したってだけなのに」
……。
ぷっ。
思わず吹き出す。
手に触れた、唇に触れたってそういうこと。
すっと、胸のわだかまりが消えて行く。
もともと、そんなことだろうって、ほんとはわかってた。
でも、彼の口からちゃんとほんとのことを聴きたくて。
「今まで、ちゃんと説明できなくて、ごめん」
あたしは、ずっと胸につかえていたことを言った。
「あたしこそ、ごめん。デートの途中で急に帰っちゃった……」
恥ずかしかったけど、頭に手をやって、正直に言う。
「なんだろうな。マーティンのことになると、色々我慢ができなくなって。わがままになって、よくばりにもなって……。あたし、へんなんだ」
すごく、好きだから……かもしれない。
そう言おうとして顏をあげてあれ、と思った。
マーティンがいつものように照れてない。
ずっと難しそうな顔をして、ベランダの柵の外の景色を見てる。
「もも叶」
はい?
「ジョニーのことなんだけど」
なぜにここで、ジョニー?
「もも叶は、彼のこと、どう思ってる?」
へ?
なんだろう、いきなり。
「すごく、いい子だよ。優しいしスマートだし。マーティンのことも相談できるし……」
マーティンはますます難しそうな顔して俯いちゃった。
あれ、なんか、悪いこと言ったかな……?
策の上で両手を組んで、そこにじっと視線を落としたまま、彼は言ったの。
「……近いうちに、ジョニーと、話してやってくれないかな」
「話す?」
変なの。
「いつも楽しく話してるよ。キルヒベルクの学校のこととか、お互い、はまってることとか、マーティンの悪口だって」
「だから、そうじゃなくて!」
いきなり大きな声を出したマーティンに、びっくりする。
彼はごめん、とすぐに謝った。
「僕が言いたいのは、つまり……」
彼はまた言葉を探すように目線を動かす。
やっぱり。
いつもはきはきしてるマーティンが、変だな。
首を傾げたとき、ガラガラと、リビングに通じるガラスの扉が開いた。
「よ、少年、久しぶりだな」
さらさらの黒髪をなびかせて、白いシャツを着た、神谷先生だ。
マーティンはなぜだかむすっとしてる。
「……今、大事なところだったんですけど」
「そうはいくか。子どもには十年早いんだよ」
マーティンの頭に、神谷先生が拳を軽く落とす。
でも、マーティンはひるまない。
「それなら、神谷先生はまだ十年も待つんですか。せいらが大人になるまで」
ふっと神谷先生は不敵に微笑む。
「冗談。そんなに待ってたらこっちは老け込んじまう」
あたしは、耳ダンボ。
聴きましたか、みなさん!
マーティン、我が彼ながらナイスなかまかけだよ。
ってことは近いうちに、神谷先生からせいらにモーションが……!?
くーっ。たまらん!
あたしは思わず、スマホを取り出した。
❤
ベランダから戻ったときにはすでに、リビングにはお菓子と飲み物の準備ができてた。
ソファに座ったせいらがスマホ片手に真っ赤になってる。
ふふふ。
「ももぽんったら。どういうこと、これ?」
せいらが示したラインのあたしとのトーク画面には、プレゼントの箱のスタンプがある。箱が開いて、中から短冊が出てくる。
そこにはこう書いてある。
せいらがかみや先生と断定両想いになれますように!
「これはピンチのときに使いなさいって、モンゴメリさんが」
「かたいこと言いっこなし! 応援してるよ、せいら」
「もう~」
ますますトマトみたくなっちゃって。
せいら、かわいい。
「そろそろ、はじめようか」
マーティンがそう言って、ジュースを掲げた。
気づいたらジョニーも神谷先生も、みんなグラスを持ってる。
「ちょっと、待って」
あわてたように言ったのは夢だ。
「その。星崎さんが、もう少しでお仕事から帰ってくるから」
神谷先生が、ふっと笑ってシャンパングラスを傾けた。
「夢未ちゃん。女の子を待たせる男なんてほっときなよ」
隣でせいらがぼそり。
「どの口が言うのかしら。初デートでさんざん待たせたの誰だってのよ」
神谷先生はぎくっと肩をふるわす。
「覚えてたか」
はは。そりゃそうだ。
せいらは、ずっと前から神谷先生が好きだったんだもんね。
「夢っち。あたしも無理して待たなくていいと思うわ。待ってるときってじりじりするのよね~。あぁ思いだすわ」
「根に持つな~、お前」
神谷先生が苦笑い。
「でも、やっぱり……星崎さんと、楽しみたいから」
夢に頷いたのは、ジョニーだった。
「もう少し待とう。夢未ちゃん、彼が早く帰ってくるといいね」
夢は嬉しそうに頷く。
こういうとき、ジョニーって大人だって思うんだよね。
よし。
恋のラブリーチアガールのこのももは、夢のことだって応援しようと、ちゃーんと準備してあるんだから。
あたしは、赤くなってもじもじしてる夢の手を引いた。
「ちょっと、きて」
「え? なに?」
「いいから」
あたしは夢にウインクして、周りのみんなに宣言した。
「今から、このももが、夢をハロウィンの魔法にかけてきますので、しばしお待ちを」
❤
リビングから移動したのは夢の部屋。
あたしはリュックの中から、秘密兵器を取り出した。
「じゃーん買っちゃった~。今日の夢の衣装」
「これ、わたしが……着るのっ!?」
夢はかにさんみたいに口をぱくぱくさせてる。
ふふふ、それもそのはず。
これは『千夜一夜物語』のシェヘラザードをイメージした衣装。
『千夜一夜物語』っていうのは、簡単に言うとアラビアンナイトの物語。
賢い娘シェヘラザードが、王様に一晩に少しずつ物語をお話するんだ。
そのお話のなかにでてくるのが、じつは有名な『アラジンと魔法のランプ』とか『アリババと40人の盗賊』なんだって。知ってる人も多いよね?
そのシェヘラザードの服は、アラビアのセクシー衣装なんだ~。
「せくしーっていうか……これ、ほぼ水着だよね」
「大袈裟だな。ちゃんと長いズボンだってあるじゃん」
「長くても透けてたら意味ないよ!」
いちいちつっかかるなぁ。
そりゃ、ズボンの上は胸を覆うだけでちょっとばかし大胆だけど。
「絶対似合うよ。夢スタイルいいんだからさ」
衣装を手に、あたしは近寄って行く。
「や、やめてっ。ももちゃん!」
「つべこべ言わない、ほらバンザイして~。そして観念してっ」
「ひゃぁっ」
実は、夢のこと、これでも心配してるんだよね。
夢はあたしなんかより、片想い歴が長い。
それなのに、つつましやかというか、大人しすぎるというか、三人の中でいちばん恋が進展してないんだもん。
「こうなったらもう強制。女の魅力で彼を落とすしかないって」
「女の魅力って。わたしまだ小学生……」
あたしははぁと溜息をついて、夢のベッドを見た。
かわいいウサギ柄の枕の横には、読みかけの本が置いてある。
夢のマンションに来てびっくりするのは、各部屋ごとに本が置いてあるってこと。夢好みのちょっとむずかしい名作か、あとは星崎王子の超むずかしい本なんだ。
夢って文学博士だとは思ってたけど、部屋映るたび違う本読んでるなんて。
「本もいいけど、ちょっとはおしゃれも考えないとね」
「そういうの、あんまり自信なくて」
眉毛をハの字にして姿身を見ながら夢がぼやく。
「じゃたとえばさ、男心をぐっとつかむミステリアスな女の人が出てくる話なんてのはないの?」
そういう物語だったら、恋にも参考になりそう。
そうだなぁと夢は首をかしげる。
「あ」
「あるの!?」
「物語とは違うけど、せいらちゃんに借りた伝記で、昨日読み終わったんだ。クレオパトラって人。エジプトの女王様なんだけど」
ああ、それなら聞いたことある。
「世界三大美女って言われてる女の人の一人なんだって。きれいなだけじゃなく、強くてかしこくて、ちょっぴり大胆で、男の人がメロメロになっちゃうんだ。読んでておもしろかった!」
へぇ。
あたしも読んでみようかな。
「ほかには?」
「そうだなぁ……」
夢は本棚から黒い表紙に、ヨーロッパの街の風景が描かれてる本を取り出した。
タイトルは『二都物語』って書いてある。
「うわ。難しそうだね」
「大人向けの本だからね。でもこれは子どもようにわかりやすくした本なんだ」
へぇ。
「この本のヒロインはね、クレオパトラさんみたいなミステリアス美人とは反対ですごく清純な女の人なんだけど、男の人からびっくりするくらいすてきな愛され方をするの」
ほほう。
「この本の時代はフランス革命っていって、悪いことをしていない人も死刑になっちゃう怖い時代だったんだ。ヒロインの恋人も、無実なのに死刑を言い渡されちゃうの」
えーっ。悲惨。そんな!
「それから、どうなるの?」
夢は人差し指を口にあててお決まりのせりふを言おうとする。
「それは読んでからの――」
「お願い、教えて! さすがにここまで難しそうな本は読む自信ないよ」
しょうがないなぁと夢はそれでも楽しそうに囁いてくれる。
「……ヒロインを愛する別の男の人が身代わりになって、殺されちゃうんだ」
へぇぇぇっ!
「自分の命とひきかえに、愛する女性と恋人の幸せをとる!?」
なんてイケメンなの。
夢もうっとり。
「そんなふうに愛されたら、幸せだよね~」
「うん。じゃぁ夢もそんなふうに愛されるために、がんばろっ」
「えっ?」
仕上げに夢の頭に、ミステリアスなベールを頭にかぶせる。
思った通り。
「夢。大人っぽい! いい感じ! クレオパトラにもシェヘラザードにも負けないね」
「くふぅ~。ねぇ、ほんとにこれでみんなのとこに行くの?」
あたしは背中を猫みたく曲げて、項垂れた犬みたいな顔をした夢と、一緒にリビングへ戻った。
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