⑩ 人魚姫の魔女・エンカウンター

 あわててアトラクションに入ったら、もうみんな席について、始まるところだった。

「こら夢っち、ももぽん。どこにいたの?」

 わたしたちの席をとっておいてくれたせいらちゃんに、しっかりお説教されちゃった。

「って、二人とも……?」

 さすがに敏感なせいらちゃんはわたしたちの目が腫れてるのに気づいたみたい。

「えっと、せいら、これはね……」

 ももちゃんが困ったように言葉に詰まる。

 言ってもいいものかどうか迷ってくれてるんだ。わたしにはわかる。

 代わりにわたしから、答える。

「せいらちゃん、あとでちゃんと話すよ。約束」

「もう、心配させないでよ」

 わたしはももちゃんに言う。

「ありがとね」

「え?」

「思いっきり泣いたら、大分すっきりした。ももちゃんのおかげだから」

 ももちゃんはちょっと照れて、前を見る。

「夢が泣いてたら、あたしだってやだからね」

 ぷくっとせいらちゃんがほっぺたを膨らませた。

「なによー。二人だけでずるーい」

「まぁまぁせいら。ひとまず、人魚姫とのおしゃべり、楽しもうよ」

 ももちゃんのその言葉を合図にしたみたいに、辺りが紫の光に包まれる。


 まるで本当に海の底。

 お魚さんたちやサンゴ礁のお人形をもった人たちが登場する。

 貝殻をいっぱいつけた制服をきた係の人の声が響く。

「それではみなさん、海底のお城の人魚姫の支度が整ったようです」

 なんか、おかしい。

 さっきまで泣いてたのに、今すごく楽しみになって来た。

 人魚姫に会える……!

 お話しができるんだ。

「それでは声を合わせて呼んでみましょう。人魚姫さ~ん」

 わたしはももちゃんとせいらちゃんと目を合わせて、叫ぶ。

「「「人魚姫さ~ん」」」

 海の暮らしの楽しさを唄った有名な歌が流れて、貝殻でできたステージが、赤、青、黄色……虹色に光った。

 白い霧がいきおいよく現れ出る。

 そこから出て来たのは……!

 濃い緑の長い髪に大きな巻貝のイアリング。そして……真っ黒い尾ひれ。黒い爪先。

 人魚姫さんにしてはちょっと、ダーク?

 あれ。

 この人って?

 同じことを思ったのか、ももちゃんの声がする。

「このビジュアル、なんかものすごく、見覚えある……」

 ステージに、甲高い笑い声が響き渡った。

 「残念だったね、ちびっこたち。

 今日は人魚姫の代わりにあたしが雇われたのさ」

 やっぱり……。

 海の魔女さんですよね!?

 本の中の世界でマーティンをさらってももちゃんと戦ったり、せいらちゃんに危険なグッズ渡したり、いろいろしてる方ですよね……!

 わたしたちは唖然。

 でも、周りの小さな子たちは、大うけしてる。

「海の魔女だー」

「かっこいー」

 舞台の上で魔女さんは、手鏡を取り出してお化粧直しなんかしてる。

「まったく。いつもこの時間帯は、昼食後のお茶を飲みながら海の中で昼ドラをゆっくり見てるのに。これでバイト代がまぁまぁじゃなかったやってられないさね」

 一つ前の席では神谷先生たちが話してる。

「なかなか気の利いた演出っすね」

「あたしは、人魚さんに会いたかったなー」

 小夏さんらしい感想。

 星崎さんもいつものように笑ってる。

 少しだけ、胸の痛みが和らぐのを感じる。

「随分と所帯じみた魔女なんだね」

 そうなんです……。

 でもどうしよう。

 このまま何事も起こらないといいけど。

 そう思った矢先、魔女さんの目がぎょろりとわたしたちの方をとらえる。

 ぎくっ!

「おやマーティン坊や、久しぶりだね」

 気づかれた!

 ももちゃんの隣に座ったマーティンが叫ぶ。

「海の魔女。もう同じヘマはしない。僕をさらおうったってそうはいかないぞ」

「あんたをさらう? あっははは」

 不気味な笑い声を響かせて、魔女さんは……ステージから空を飛んだ!

 すごい! 海の中みたいに自由自在にシアターを動き回ってる。

「心外だね。今日はあんた方を楽しませに来たんだよ。

 これでもストーリーリゾート所属のバイトリーダーの資格もってんのさ」

「なに、その資格?」

 ももちゃんがすかさずつっこんでる。

「マーティン坊や。彼女とデートなんて幸せそうだね」

 マーティンはさっと動いてももちゃんをかばう。うーん、さすが。 「仕事だから訊いてやるけど、もも叶嬢ちゃんをこの次はどこに連れて行きたいんだい?」

 え、という顔をして、マーティンは海の魔女を見て、続いてももちゃんの方を見た。

 これは……わたしも実はちょっと気になる。

 二人の次のデート場所はどこなんだろう。

 俯いたマーティンはぼそっと答えた。

「……ヘルムスドルフに」

 つまらなそうに、魔女は一回転。

「随分と地味なところだね。あんた、センスないんじゃないのかい?」

 でもマーティンがでてくる『飛ぶ教室』を読んだわたしは知ってるんだ。

 その意味を。

 マーティンはしばらく黙って、そうして、付け足したの。

「僕の家があるところだ」

 思わず、顔を見合わせるわたしとせいらちゃん!

「ずっと言おうと思ってた。父さんと母さんに、会ってもらいたいんだ。いいかな。もも叶」

 手を差し出すマーティンに、ももちゃんはそっと手を重ねる。

「……もちろんだよ。ていうか、超嬉しい」

 わ~っ。

 なぜか他のお客さんも拍手してるよっ。

 魔女さんは今度は話しかける相手を変えたみたい。

「そっちのお嬢ちゃん。お名前は?」

「あんたに酷い目に遭わさた露木せいらというこの名を忘れたとは言わせないわよ!」

「せ、せいら、なにも席を立たなくても……!」

 ももちゃんがあわててつっこもうとするけど、時既に遅し。

 前の席から振り返ってせいらちゃんを見てる人の中から声がする。

「せいら、やけにのりいいな」

「ほら、神谷先生も勢いに若干びびってるから」

 ももちゃんがさらにつっこむけど、せいらちゃんは聞いてない。

「あんたには、あたしも言いたいことがあるのよ!

 恋の便利グッズとかいって、あんなもの渡して、よくも騙してくれたわね! おかげですっごく危険な目に遭ったんだから」

 でもそこはやっぱり海の魔女さん。

 ぜんぜん悪びれずに、ついーっと、シアター内を背泳ぎ。

「おや、騙す? あたしゃそんなつもりはないね。あんたにやった恋のリトマス紙は、正真正銘本物だ。確かに危険もついてくるが、その分性能は確かだよ。

 好きな彼の気持ちはどうだったんだい? しかと、リトマス紙は染まったかね? ん?」

 まるでそれに答えるかのようにせいらの顔がピンクに染まる。

「それは……」

「え? なんならあたしが代わりに訊いてあげようか。前に座ってるせいらの先生とやら」

 神谷先生がびっくりして、えこれ、返事した方がいいやつ? とか呟いてる。

「どうなんだい? この子のことは遊びかい?」

 せいらちゃんが叫ぶ。

「や、やめて海の魔女。彼は先生であたしは生徒だから、迷惑はかけられないの。これは秘密の片想いなのよっっ」

 シーン。

 ももちゃんが、隣から一言。

「あの、そのわりにほかにも大勢お客さんいる前で堂々叫んでますけど」

 静まり返ったシアター内に、ふいに声が響く。

「片想いって誰が決めたんだよ」

 はっとして、神谷先生を見るせいらちゃん。

 ひゅ~。

 って、どこからか口笛が起る。

 なんか、ものすごいことになってきた……。

「おっと。そろそろ業務時間も終わりだね。じゃ、最後は誰にからもうかね」

 魔女さんは、そろりそろり、天井を移動して隅々まで目を凝らして……またわたしたちのところに戻ってきた。

「よし。そこのお姉ちゃん」

「はいっ。胡桃沢小夏。22才です」

 小夏さん、ノリノリ……。

 魔女さんもにんまり。

「隣にいるのは彼氏かい?」

「いいえ。彼氏じゃなくて、彼氏になってほしい人、かなっ」

 おおー。という声援。

 小夏さん……すごすぎる。

 隣にいる彼っていうのはもちろん星崎さん。

 泣きたい。

 彼も困ってる。

「小夏……。何もこういうとこで言わなくていいだろ」

「こういうとこででも言わなきゃ、のらくらとあと20年は交わされそうなのよね。

そろそろはっきりしてくれない?」

「知ってるだろ。君と違ってこういうの苦手なんだ。巻き込まないで――」

 狼狽えてる星崎さんの様子を見たら、あれ……。

 なんか、なんか。

 お鍋の底で煮え立つような感情が、ふつふつ沸き起こってくる。

 なんだろう、わたし。

 すごく、イライラしてる……?

 ひとりでに、すくっと足が立って。

「星崎さん」

 口が買ってに動いてた。

「小夏さんのいうことは、正しいと思います。はっきりしないのはひどいです。だからわたしも人前は苦手だけど、思い切ってここで、もう一度言います。わたしも、星崎さんが好きです!」

 ももちゃんが満面の笑顔で頷いてくれる。

 せいらちゃんも拍手の仕草。

「結婚してくれるって言ったのに。今日小夏さんとずっと楽しそうで。星崎さんのほんとの気持ち、知りたいです」

「夢ー、いいぞ、もっと言えーっ」

「夢っち、がんばってーっ」

「そうだ、がんばれー」

 ももちゃんとせいらちゃんのあとになぜか他のお客さんも応援してくれる。

「夢ちゃんまで。……弱ったな」

 星崎さんは困ってるけど、もう止められなかった。

「星崎さんは、いつもそう。

 ぜんぜん、自分のことは話してくれない。

 わたしにはいつも心配しなくていいとか、思い煩わないでっていうけど。

 星崎さんは、傷ついたままでもいいんですか」

 星崎さんがふいに真剣な顔になる。

「先輩、答えないわけにいかないんじゃないですか」

 神谷先生も、言ってくれる。

 頭の上から魔女さんの声がする。

「こりゃ、昼ドラよりおもしろそうだね。クライマックスをとくと見せてもらおうじゃないか」

 ついに、星崎さんは決心したように、言ったんだ――。

「オレは――」

 その瞬間。

 パッと、辺りが真っ暗になったの。

「きゃっ。なに?」

「停電か!?」

 お客さんたちが、口々に声を出してる。

 そのとき。

 誰かが、わたしの手を強く掴んだ。

 そしてそのまま、シアターの外に向かって走り出したの――。

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