⑨ 隠れた傷跡

 今日は、ストリーシーの中にあるホテルに一泊。

「明日も遊んで帰れるなんて、もも叶幸せ~」

 ベッドにダイブしたももちゃんが歓びの絶叫。

「けどもも叶。夏休みの宿題はやったのか」

 上着をハンガーにかけながら、マーティンがつっこんでる。

 げっとももちゃんは今度は苦しみの絶叫。

「夢の国にいるときにいやなこと思いださせないでよ」

「勉強なら、僕が見てやれるよ」

「帰ってからお願~い」

 せいらちゃんは荷物の整理をしながら、呆れ顔。

「ももぽんったら。夏休みの学校の宿題なんて最初の三日で終わらせるのが基本でしょ」

「せいら、それ一般小学生の基本ではない」

 うん……。わたしも早めに終わらせるけど、それはすごいと思う。

「うちの塾じゃ、学校の三倍の課題は出すからな」

 奥の椅子で足を組んだ神谷先生がさらり衝撃発言。

「あたしに解けない問題が出せるもんなら、出してみなさいってとこよ」

 せいらちゃん、さらに上の衝撃発言。

「言ったな。社会の課題、難易度上げてやる」

 神谷先生が挑戦的に言う。

 文机に座ってる小夏さんがそんな神谷先生に言った。

「ところで、幾夜はどうしてるの?」

 そう。

 お夕飯が終わった今、わたしたち女の子チームの部屋に今、マーティンと神谷先生が遊びにきてるんだ。

 神谷先生は手を振った。

「疲れたから向こうの部屋で一人のんびりしてるってさ」

「いやね。これだから年寄りは」

「小夏ちゃん。先輩の疲れの原因誰だかわかってる?」

「さぁ~」

 小夏さん、歌うように言ってる。

 こそっと、せいらちゃんがわたしに耳打ち。

「小夏さん、やっぱりすごいわね」

 ももちゃんもわたしの側に来て、

「夢、せっかくだから、こっそりお隣の部屋お邪魔しちゃえば?」

 え……。

「でも、星崎さん疲れてるって」

 はぁ、とせいらちゃんが大袈裟に溜息。

「小夏さんの大物ぶりの一部でも夢っちにわけてほしいもんだわ」

 うう。……よし。

「わかった。わたし、星崎さんを尋ねてみる」

「そうこなくっちゃ」

 二人に見送られて、わたしはこっそり、部屋を出たんだ。

 星崎さんがいるお隣のお部屋を、さっきからノックしてるけど、返事がない。

 聞こえないのかな?

「星崎さん?」

 呼んでも返事がない。

 もしかして、なにかあったとか。

 どうしよう……!

 わたしは、神谷先生から預かったカードキーをそっと射し込んでみる。

 ドアが開いて、一気に部屋に駆け込んだ。

 あれ……?

 そこはがらんとして、誰もいなかったの。

 どこかにお出かけしてるのかな?

 ちょっとがっかりして戻ろうとしたとき、かすかに空いたバスルームの扉から明かりが漏れてることに気付いた。

 かぁっと顔に血が上る。

 そっか。

 星崎さん、お風呂に入ってるんだ。

 まずいとこにきちゃった。早く出ないと。

 あわてて部屋の扉の方に向き直ろうとしたそのとき――。

 ん?

 バスルームのドアの隙間から、赤い色が見えたの。

 どくんと、いやな予感が胸を打つ。

 あれは……なにかの傷の跡?

 ドアの先がバスルームってことも忘れて、確かめずにはいられなかった。

 隙間から、むき出しになった腕が見えた。

 全体が赤くて、すごく痛々しい――。

 ぐっと、胸がつかえて、息が出来なくなる。

 いやだ。

 わかりたくない。

 頭の中にもたげる予感を押しやろうとするけど、それは消えてくれない。

 座り込んで、泣きたくなる。

 なんとか体勢を立て直して、わたしは部屋を出た――。

 ストーリーシー二日目は、ずっと気分が沈んだまま。

 みんな心配そうにしてくれるのがわかるのに、作った笑顔さえできない。

 閉演間近の夜になって最後に、計画してた『マーメード・エンカウンター』に行こうってことになった。

 アンデルセン童話に出てくる人魚姫と会えて、お話ができるアトラクションなんだ。

 わたしも楽しみにしてたんだけど……。

 わたしは一人、エントランスに飾られてるイルカさんの馬車を率いてる海の王様の像の前で立ち止まった。

 よし。

 ここは気を取り直そう。

 みんなに続いて、中へ入ろうとしたとき、後ろから手を引っ張られた。

 真剣な顔して、わたしの手を持って、立ってるのは――。

「ももちゃん。みんなと一緒に中に入ったんじゃなかったの?」

「夢。人魚姫に会う前に、教えて」

 え……?

「昨日ホテルで星崎さんの様子見にいったとき……なにがあったの?」

 わたしは、つい地面に目を落とした。

 ももちゃんには、お見通しなんだ。

 わたしは、話すことに決めた。

 心がいっぱいでもう、一人で抱えきれなかったんだ。

 そこに現れたのがももちゃんなら、もう黙ってる理由はない。

「……ストリーシーに、一緒に行ってくださいって、星崎さんを誘ったとき」

 ももちゃんはそっとわたしの手を放して、じっとこっちを見つめた。

「星降る書店の事務室の彼のデスクの上で、新聞記事を見たの。十三年前、栞町の小学生の子がお父さんとお母さんに車に置き去りにされて、火をつけられたっていう」

 ももちゃんが肩をそっと支えてくれる。

「その子のことが、気になって、星崎さんに訊いても、わたしは気にしなくていいって言うだけで、ずっと気になってたの」

 そして、わたしは徐々に胸につかえていたことを話して行った。

 小夏さんに聞いたこと。

 星崎さんはなにかひどい事件を経験したあとで、児童施設にきたってこと。

 そして――昨日ホテルで見た、赤い腕。

 声が震える。

 やっぱり口に出すのは、怖い。

「あれ、ひどい火傷の跡だよ」

 ももちゃんが目を見開く。

「それって……」

 そう……。

 湧き上がってくる涙を抑えきれないままに、わたしは話した。

「十三年前の事件のその子って、彼のことなんだ」

 涙だけじゃなく、しゃっくりまで出てくる。

 つっかえながら話す言葉を、それでもももちゃんは黙って聞いてくれる。

「ほんとは、ね、ちょっとは、思ったんだよ。

 やっぱり彼は、わたしのことなんて、なんとも思ってなかったんだって。

 ただ、自分はもっと傷ついてるから、わたしのこと放っておけなかっただけだって」

「夢」

「でもね、今はそんなことどうでもいいんだ」

 その言葉に、嘘はない。

「すごく心が痛いの。苦しくて、悲しくなって、悔しくもなって。いろんな気持ちが渦巻きみたくぐるぐるして。わたしは、彼になにもできないって、そう思ったら――」

「もういいよ」

 ももちゃんは、ぎゅっとわたしを抱きしめた。

「誰かの痛い心をそのままもらっちゃう夢の心に気付いてたから、彼だって隠してたの。ぜったい、そうだよ。……でも」

 最後に、弱々しくももちゃんは言ったんだ。

「なんで、夢ばっかり、辛い目に遭うんだろうね。あたしだって……悔しいよ」

 わたしは、ももちゃんの腕の中で、思い切り泣いた。

『マーメイド・エンカウンター』に入って行く周りの人がびっくりしてこっちを見てくけど。

 そんなことおかましなしに、二人で、涙を流したんだ。

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