㉗ ついた決着としのびよる危機

メルヒェンガルテンであんなに時間を過ごしたのに、もとの世界に戻ってみると、まだ夕暮れ時。時間が数分しか経ってなくて驚いたの。

 考えてみれば、メルヒェンガルテンって本の中だし、こっちと時間の流れが違うのは当然かしら。

 それにしても、ももぽんとマーティンくん、ほんとよかったわ~。

 まさかあんなところでこのあたしの鉄道マニアが役立つとはね。

 さて、こっちも一つ、決着つけますか。

 あたしは迷わず、さっき試験を終えた塾に行って、遅くまで自習した。

 もちろん、狙いは、先生たちが遅くまで残って出す、テストの採点結果。

 うきうきしてると、もくろみ通り、かみやんが自習室に入ってきたの。

 きたのね。

 ついに。

 でも、かみやんは笑顔じゃなかった。

「テスト終わった日くらい遊べって言ったろ。そのうち勉強中毒でぶっ倒れても知らねーぞ」

 急いで席を立ち上がって、彼に駆け寄る。

「もう採点した?」

 かみやんがやれやれって感じで肩をたたいてるそれは、テストの答案用紙の束!

「ねぇ、どうだったの?」

「悪いんだけどさ」

 えっ。その反応。

 あたし、百点取れなかったの?

「受験シーズンと入学シーズンの塾の先生ってのは修羅場なんだよな」

 ん?

「それがどうかしたの?」

 ぺち、と紙の束で頭をたたかれる。

「次の夏。どこ行きたいか考えとけ」

 そう言い残して、彼が事務室に戻ったあと。

 よくやくなにを言われたか理解して、あたしはかっと熱くなった頭で、帰り支度を始めたの。

 身体が信じられないくらい軽くて、なんだか自分のものじゃないみたい。

 地に足がついてないとはきっと、今のこのあたしのことね。

 頭の上は夜空だけど、まさに雲外蒼天の心地よ。

 夏にかみやんとデート!

 はっ。

 あたしは立ち止まった。

 事が現実味を帯びてくると、いよいよ諸々の問題が迫ってくるわ。

 まずは当日の服装ね。

 さすがにいつものジーパンルックってわけにはいかないわよね。

 家に母さん趣味の夏物のワンピースやスカート、ブラウスはいくらもあるけど、ありすぎるのも問題。

 あの中のどれを着て行ったら、少しでもかわいいって思ってもらえるかしら。

 彼、女の子の好きな服装とかあるの?

 よし。

 今度それとなく訊いてみるか。

 むふふふふ。

 星降る書店の近くを通りかかった辺りで、あたしの心のにやにや笑いを、穏やかならぬ声が吹き飛ばした。

 その声は平生穏やかな調子しか出さない声だったから、余計。

「だから、夢ちゃんは今どこなんだ」

 そっと通りの先を見てみると、やっぱり。

 星崎さんじゃない。

 夢っち、まだ帰ってないのかしら。

 あたしは雑貨屋さんの陰に隠れて、様子を見ることにした。

 誰かと言い争ってるみたい。

「あたしが嘘を伝えたの。

 あなたにプロポーズされたから、もう一緒に暮らしてもらうわけにはいかないって」

 そう言っているのは……小夏さん!

「どうして、そんなことを」

 星崎さん、怒ってる。

 そうよ。

 小夏さん、ひどいわ。

 いくら星崎さんが好きだからって。

 夢っちも、水くさいわ。

 メルヒェンガルテンで、あんなにももぽんの恋の成就にこだわってたのは、自分の恋が叶いそうにないからだったの?

「じゃぁ幾夜は、このままずっとあの子と暮らすつもりなの?

 幾夜はそれでよくても、夢未ちゃんはどうなのよ。 

 あの子はほんとの家族といる方が幸せに決まってる。

 見捨てられたままの人間がどんなに惨めか、それは、あなたが一番よく知ってるはずでしょう」

 聴きながら、あたしは混乱してきた。 

 小夏さん、もしかして、夢っちのことを想ってひどいことを言ったの?

「オレの質問に答えてくれ、小夏。夢ちゃんはどこだ」

 小夏さんは少しためらってから、答えた。

「お父さんのところに帰るって」

「なんだって。君に教えたじゃないか。彼女は父親に何度も暴力を振るわれてるって」

「だけど、その父親はあなたのところに、娘の様子を尋ねにきた」

 そうだったんだ……!

 夢っちのお父さん、少しは反省しているのかも。

 だけど星崎さんは、まるでそここそが一番悪いことみたいに、顔をしかめて、別人のように低い声で言ったの。

「……それがなんだよ」

「親にひとかけらでも愛情が残ってるなら、一緒に暮らしていく可能性をとっておいてあげるべきなんじゃないの。暴力をふるわれたって、子どもは親が大好きなままなのよ」

「そのとおりだよ、小夏」

 静かに、星崎さんの声が夜の空気を振動させる。

「それが、心を病んだ親をもつ子の運命なんだ。

 気まぐれに見せられる愛情に、繰り返し期待しては裏切られる。

 そんな失望を繰り返したら、あの子はもたない。

 優しくて、純粋で、本好きな夢ちゃんが、死んでしまう」

 小夏さんが、目を瞠る。

 星崎さんはそのまま、走って行ってしまった。

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