⑬ 文学は役に立たない?
わたしのアパートは、星降る書店から三十分くらい歩いたところにあるんだ。
家に帰るのはあんまり好きじゃない。
お母さんはだいたいお仕事だし、がらんとした畳の部屋に一人でいるとなんだか悲しくなってくるんだ。
でも今日は、星崎さんからもらったあの本がある。
わたしはアパートの部屋の扉を開けようとした――。
「相変わらずだな。お前は。そんななんの役にも立たないことをしてるのか」
びくりと身体が震えて、動けなくなる。
この声は……お父さんだ。
まただ。
お父さんが、中に来てるんだ……。
「……それでは、あなたのお仕事は、そんなに人の役に立っているの?」
お母さんが、言い返した!
こんなこと、今までなかったのに。
「文学なんて、よくわからない仕事をはじめて、好きにやっているくせに、少し気に入らないことがあるとそうやって当たり散らして」
わたしは両耳を塞いでしゃがみ込んだ。
お母さんの言葉も、聞きたくなかった。
きっとお父さんは、お母さんにものすごく怒るだろうと思った。
でも、次にお父さんが言ったのは意外な一言だった。
「そうだ」
そして、加速がついたように一気に喋った。
「お前の言うとおりだ。オレのやっている文学がいちばんくだらない。そうだ。オレはくだらない!」
お父さんはそう叫ぶと、テーブルを力任せに殴った。
その音もとても怖かったけど、わたしにはそのすぐあと、部屋の奥で小さくぱたんとした音にもっともっと震えあがった。
扉の隙間からそっと中を見る。
お父さんはその音がしたほう――小さな白い本棚に目を止めた。
空っぽの棚の中に一冊だけある、今倒れたその本は、星崎さんからもらった『南海千一夜物語』。
お父さんはその本に近づくと、それを手にとって、力任せに引き裂こうとした。
頭が真っ白になった。
わたしはとっさに、首にかかっている青い小瓶のフタを開けて、中身を一口、飲んだ。
すると、魔法にかかったように身体が動いていた。
「お父さん、やめて!」
生まれてはじめて、そう言えたことにも、気づかなかった。
「お願い。壊さないで。わたしの本――」
「うるさい!」
身体が宙を飛んで、頭に鈍い衝撃が走る。
「お前の頭もくだらないこんなものでいっぱいなのか。たたき直してやる」
お父さんが、近づいてくる――。
そのあとのことは、今思い出そうとしても、もやがかかったみたいで、あんまりよく思い出せない。
ただ、お父さんの目の奥に火みたいな先のとがった赤い形が見えたのを、すごく覚えてる。
お母さんが心が抜けちゃったみたいに、ぼうっとこっちを見ていた。
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