⑥ 文豪たちのほんとうの議題 ~もも叶の語り~
ケストナー先生がそろそろ会議の時間だからと、星降る本屋でいう『名作の部屋』にあたる場所――ガラスでできた鉛筆型の会議室に戻ってしまうと、あたしは夢に耳打ちした。
「文豪たちの会議、聞いちゃわない?」
「えっ」
それまで周りの景色に見惚れていた夢は、あたしのほうを見て驚く。
「だめだよそんな。盗み聞きなんて」
「有名な児童文学作家の話し合いだよ? 気になるじゃん。決めた。夢がこないならあたし一人で行く」
そう宣言してあたしは鉛筆型会議室『名作の部屋』へと足を向けた。
「あぁ、ももちゃんってば。もう~、知らないよ」
夢の声が追いかけて来るけど、気にしない。
地獄耳には自信があるんだ。えへ。
あたしが悪いんじゃない。
悪いのはモンゴメリさんだ。
「それで、今日の会議の本題は?」
「わかった。観念して話すよ」
それからケストナー先生も。
「困ったことになったんだ」
オレンジの扉を少しだけ開けて、カーテンの隙間からのぞくと、二人はさっきまであたしと夢が座っていた席についていた。六角形の対角線上に、向かい合って。
ケストナー先生が困ったように両手を広げて話し始める。
「近頃、ブーフシュテルンの力が満ちてきて、本の中の登場人物達がいささか元気がよすぎてね。とある作中のわんぱく坊やたちが、お話の中に飽き足らず、この時代の身勝手な大人をやっつけるとか言って計画を始めてしまって。現代日本の一人にターゲットを決めて、いたずらなんてしているらしいんだ」
ほらね。こんなおもしろそうな話、子どものいないところでするから悪い。
モンゴメリさんが呆れたように、
「そのわんぱく坊やたちを生み出したのはどこのどなたか、おわかりなのかしら」
「いやぁモンゴメリ嬢、勘弁しておくれよ。わかっているからこそ、僕は今こうして策を講じているわけだからね」
なるほど、とあたしは納得する。
ケストナー作品の登場人物たちが、現実世界でおもしろいことをしているようだ。
どの作品の登場人物だろう。
わんぱくって言えばなんとなく、想像はつく。
「あなたという人は、どこまでも楽観的で困るのよ」
「面目ない。悲しむのは性に合わなくてね。そういえばきみのお好みは、悲劇のヒロインを大袈裟に演じてしまう赤毛の女の子だったかな?」
くすり、と思わず笑ってしまう。
赤毛のアンのことを言っているんだと思う。事件を起こした時、コンプレックスに想いを馳せる時、すっかりマイ・ワールドに入ってしまうアンの大袈裟な台詞がなんだかおもしろくて、アンは悲しんでいるのに笑いながら読んじゃったっけ。
そうこうしているうちにケストナー先生がさて、話を戻そうと微笑む。
「えぇと、どこまで話したっけ」
モンゴメリさんが落ち着き払って答える。
「あなたのわんぱく坊やたちがなにかをしでかしてくれそうというところまで」
「そうそう。そこで僕はぜひとも」
作者として責任をとってとめるんだろう。
「この偉大なる計画を成功させたいんだ」
がくっ。
「ケストナー!」
モンゴメリー嬢は眼鏡の奥からきつく睨む。
いやぁ困った困ったと、ケストナー先生は笑った。
「こんなおもしろいことをされてしまっては、仮にも一時代の児童文学界の代表者としては、中途半端に終わらせるわけにはいかないじゃないか」
あぁ、冒険者の血か疼く。
ケストナー先生じゃないけど、もうがまんできないっ!
あたしはカーテンを翻し、二人の前に躍り出た。
「あたしも協力します、ケストナー先生!」
「あぁ、驚いたわ」
胸を押さえるモンゴメリさんの向かいで、ケストナー先生はちっともびっくりしていない。言葉ばかり、おやいたのかいとか言っている。
「先生の著書の『五月三十五日』にあるような、子どもが大人を教育する国を、現代日本にも作るんですね」
「そういうこと。さすがは現代のルイーゼちゃんだ。呑み込みが早いね」
当たり前だ。
大人が必ずしも立派な存在じゃないってことくらい知っている。
身近に、ひどい大人を知っている――。
あたしは気付いてたんだ。
いつの間にかホワイトボードに書いてある文字が変わっていたことに。
議題:少女がほんとうに困っていることについて
「で、でも、それってその、大人の人を困らせるってことだよね。子どものわたしたちがそんなことしていいのかな」
盗み聞きの内容を喋ると、夢は予測通りの反応をした。
全く、夢は大人に遠慮しすぎる。
あのあと、それじゃぁその作戦は次回の会議の議題ということで、と言ってケストナー先生はモンゴメリさんと一緒に光になって消えてしまった。
気がつくと、あたしは名作の部屋の外のYA(ヤングアダルトコーナーのこと)の棚の前でぼうっとしていた夢を見つけたってわけ。
あたしたちはモンゴメリさんとの約束の時間まで駅前通りのアクセショップや子ども服屋さんをぶらぶらすることにした。どれもかわいいけど、小学生のお小遣いで買えるかは別問題。今いるのはファンシーな雑貨屋さん。パリやロンドンの街を旅するくまちゃんがラブリーに描かれた手鏡がたくさん置かれている棚の前で立ち話だ。裏の値札を見たら六百円。うーん、来月お小遣いもらったら買おうかな。
まだ30分ほど、余裕がある。
「うう。四時にまた星降る書店に行くのかぁ。星崎さんにしつこい子って思われないかな」
しょぼんとする夢にあたしは呆れる。
「あのねぇ。まだ星崎さんは、夢の気持ちを知らないんでしょ?」
「そうだけど……」
「やれやれ」
あたしはアメリカ人みたく肩を広げて両掌を宙に向けてみせた。
「出会って一年経つんなら、普通だったらとっくに行動起こしてるよねぇ」
「う」
「モンゴメリさんだって、自分で努力してない子に力を貸してくれるかなぁ」
「え」
夢はおもしろいように青くなって、あわてて手を振る。
「わ、わたしだってなんにもしてないわけじゃないよ」
お、そうなんだ? あたしは聴きながら、手鏡の一つを手に取る。エッフェル塔のてっぺんに立ってバランスをとるくまちゃん。このデザインがいちばんかわいいなぁ。
「星崎さんに、お願いしたの。観たい映画があるって」
「え? それって」
あたしは、手鏡を放り出した。
「デート?」
ぎゅっと目をつぶって夢は頷いた。その背中をどんっと叩く。
「なぁんだ、やるじゃん」
「で、でもね。観たい映画なんてほんとはそんなのなくて」
そんなのよしよし。どうとでもごまかせるって。
「水曜日は映画館半額だから行きたいんだけど、お母さんはお仕事で行けないし、うちお父さんはいないからって言ったら、星崎さん、『もしかしたら連れていける日があるかもしれないから』って。お父さんたちのこと、使わせてもらっちゃった……だめだったかな」
あたしは首が取れるかと思うくらいぶんぶん横に振った。
「そんなの。じゃんじゃん使いなよ。だめな親もだめなりに役立ってもらわなきゃ」
「……」
「あ……」
夢の悲しそうな目を見て、あたしは我に返った。
「ごめん、夢。傷つけるつもりはなかったの。あたし、夢につらい想いしてほしくなくて、それで、夢のお父さんたちについ怒っちゃうっていうか。ほんと、ごめん」
夢はすぐに笑った。
「わかってる。ありがとね、ももちゃん」
夢はそれだけ言って話題を戻した。
「それでね、実は、わたし、水曜日は、星崎さんがお休みの日ってことも知ってたんだ。むしろ、だから映画館にしようって思いついたくらいで」
あたしはうーんと唸ってしまった。
ぼうっとしているようで、夢は意外と計画的なところがある。
予定を立てて物事を進めるのがうまいから、勉強の成績も結構いいんだ。でもそのせいで、あたしまでママに、夢ちゃんを見倣いなさいってお小言を食らうのだけは勘弁してほしいけど。
「夢、うまくいくといいね」
はにかんで頷く親友の笑顔が、並んでいる手鏡のひとつに映って光った。
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