③ 大好きな作家さんのセレモニー

 ももちゃんがあんまり遅いから、わたしは呼びにいくことにした。

 古着屋さんの角を曲がると、いた。

「ももちゃん、どうしたの、なにかあった?」

 急いで駆け寄っても、ももちゃんはぼうっとしてる。呼んでも反応しない。

 その目はいつものようにくっきちぱっちり開いているんだけれど――なんていうか、その中身が空っぽみたいなんだ。

 まるで心に羽が生えてどこかへ飛んで行ってしまったのを、ぼんやりと眺めているような。

 そんな表情だった。

 変なの。こんなももちゃんはじめて。

「夢。やっぱり、クレープやめよう」

「えぇ?」

 うんまぁ、わたしは、そのほうがいいとは思うけど。

「どうしちゃったの? あんなに食べたがってたのに」

 わかんない、と呟くようにももちゃんは言う。

「なんか今、胸がいっぱいなの」

「?」

 やっぱり、変だよ。

 やっぱりなにかあったんじゃないってわたしが訊く前に、さ、と切り替えるようにももちゃんはわたしの後ろに回って背中を押した。

 一瞬見えた瞳は、いつもと同じように中身がぎっしり詰まっている感じ。

「行くよ、夢の愛しい彼のところへ!」


 結局ももちゃんに押し切られるまま、星降る書店に来ちゃった。

 新刊書の棚の奥で整理しているその人を、一つとなりのエッセイの棚の影からうかがう。

「えー、あの人なの? 確かに年上で大人。でもちょっと……」

 後ろから、ももちゃんの品定めするような声がする。

「ああいうのが趣味ってどうかしちゃったの、夢。こういうのって言葉ありそうだよね。えっと、そう。おじコンだ。うん、おじさまコンプレックスだからおじコン」

 お皿のような形の目でももちゃんが見ているのは、さっきまでわたしが見ていたあたり。そこには確かにふっくらしててかわいい感じのおじさんがいて、笑いながら話してる。

「違うよ、あれは夢売館ゆめうりかんっていう出版社の社員さん。星降る書店が本を仕入れるとき、来てくれてるの」

「随分詳しいじゃん。それじゃ、そんな本屋のあれこれを教えてくれた彼はどこよ?」

「その、そっちじゃなくて……」

 必死に指し示そうとしていたら、出版社さんの影になったその人――星崎さんが、こっちに向けて手を振ってくれた。

 うわっ。ど、どうしよう気づかれた。

 どぎまぎするわたしになんて気づいてもいないみたいに、なぜか初対面のはずのももちゃんが大きく手を振りかえしてる。

「あ~ぁ、なるほどねぇ。納得。っていうか合格」

 わたしはあわてて小声で注意した。

「ももちゃんっ、聞こえるよっ」


 「ちょうどよかった夢ちゃん」

 星崎さんは、切れ長の目を細めて笑った。

 普通にしてると、きりっとしててちょっと近寄りがたいけど、笑うと一気に優しい感じになるの。

 今日もお店の照明で藍色にも見える黒い髪がさわやかだなぁ。

「今日来ないかなって思って待ってたんだよ」

 ぼんっと音を立てて顔が熱くなる。

 待ってたんだよ、だって。

 その言葉が何回も頭の中でリピートして……。

「そっちの子は友達?」

 星崎さんが続けた言葉にはっとする。いけない。ももちゃんを紹介しなくちゃ。

 わたしがあわてて切りだす前に、本人が勢いよく手を挙げた。

「はーい! 園枝もも叶です! 夢の恋の偵察に来ました!」

「夢ちゃんの、恋?」

 あわわっ。星崎さんが不思議そうにこっちを見てる。

「ももちゃんっ!」

 小声で叱ると、ももちゃんは、ごめーんと舌を出した。もう。

「そうだ」

 ほんとはまだ秘密なんだけどね、と星崎さんは声を潜めて教えてくれた。

「ケストナー生誕百二十年の夢売館主催のセレモニーが今度この一つ下の、五階の大ホールで開かれるんだよ」

 知らされたとたん、あたしはももちゃんと顔を見合わせた。

 二人してふふっと笑っちゃった。

 じつはね。

 ももちゃんに、外国文学ってどんな本がおもしろいの? って訊かれたとき、一番に紹介したのがこの作家さんだったんだ。

 読んでくれたももちゃんも、一気に好きになってくれたのも、仲よくなれた理由の一つかもしれない。

「そこで、ケストナー作品の推薦文を募集してるんだ。一番になった作品は、当日売られるケストナーの本の帯に印刷されるんだよ」

「こりゃやるっきゃないね、夢」

 腕まくりするももちゃんにわたしは大きく頷いた。

「うん、書きたい!」

「そう言うと思って、これ」

 星崎さんはわたしとももちゃんに一枚ずつ、応募用紙をくれた。

 わたしたちは星崎さんにお礼を言って、いそいで一つ上の階、星降る書店の『名作の部屋』に向かった。

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