第1章 ワンスアポンアタイムイン・異世界−4

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 この場所で目を覚ましてから二週間が経った。まだ一人で歩くことは難しいが、何かにつかまりながらならゆっくりと歩けるまでになった。父と兄は甲斐甲斐しく世話を焼き、私は日増しにこの生活に馴染んでいった。

 兄の腕に掴まり何度か自室から出してもらったが、どうやらここはかなり大きな屋敷であるようだった。まだ全貌ははっきりしていないが、私が自室として使用している部屋は建物の二階にあり、父の部屋、兄の部屋、客間が二つと書庫が同じ階にある。各部屋にはロココ調の豪奢な家具が設えられており、詳しい物の価値は分からないものの、この家がそれなりの名家らしいということは推測できる。ゴブラン織の絨毯が敷かれた廊下は長く、果てしない。父と兄と私だけが住むには過剰な広さで、手が足りないのか掃除も行き渡っていない。濁り気味の窓や、廊下の隅に積もった埃は一向に改善される様子はなかった。この家に家政婦はいないのか、と一度兄に聞いてみたが、まあ、そうだね、としか答えず、すぐに話を逸らされてしまった。

 部屋を出ることがあると言っても、まだ1日のうちほとんどは自室にこもり過ごしている。暇そうにしている私を見かねて時折フユキは書庫から小説を持ってきてくれる。その中で気になるものがいくつかあった。まず、歴史小説だ。この屋敷にある本の奥付には、すべて「マクラノミヤ王立出版」と記載されており、まず間違いなくここは「マクラノミヤ王国」と呼ばれる国と考えて良いだろう。フユキから与えられた歴史小説には、「マクラノミヤ王国は、250年前に勃興した」という記載があった。マクラノミヤ王国というと……同じ地球にそんな変な名前の国があっただろうか。ここでの暮らしぶりは不便というほどではないが、家電の類が一切ないことからも文明の発展が、私が以前いた地域からはかなり遅れているように思う。一度それとなく「今は西暦で言うと何年か?」と言うことをかなり濁しながら父に尋ねたものの、濁しすぎたあまり容量を得ない尋ね方になってしまい困惑させるだけに終わった。歴史小説はスキャンダラスな後宮での諍いを取り扱ったもので、正直なところ史実に忠実かどうかは定かではないが、愛憎にまみれた世界でたった一人身を立てる主人公の美しさに心を奪われた。この大衆小説の他にも、この国には出来の良い文学作品が多くあり、私があまりにねだるので、フユキは毎度うずたかく積み上げた本の山を抱えて部屋に来る羽目になった。というか基本的に娯楽が少なすぎるのだ。フユキは、チアキちゃんが目を覚ましてから、腕の筋肉がついたみたいだ、と笑っていた。ただ、妙に妖怪や幽霊が出てくる小説が多いことが気になった。フユキか父の趣味なのだろうか、恐ろしい怪物というよりはコミカルに面白おかしく読ませる老若男女問わず楽しめるような内容のものだが、個人的には少し物足りない気持ちがある。次に本を持ってきてもらうときに、もっと怖いものが良いと頼んでみようと思う。そして、その他にも重大なことに気がついた。マクラノミヤ王立出版の書籍は、日本語ではない言語で書かれている。それなのに、この聞いたこともない国の文字を、どういうわけだか母国語と遜色なく読むことができてしまう。初めて書物を開いたとき、恐ろしいと思った。ここでも何か、私をいきなり異質な環境に追いやった力と同様の特殊な力が働いていることに気がついた。この不可解な現象の理由を解き明かすためにはどうしたら良いのか、私はまだ手がかりすら掴めていない。

 気がつけば大した情報も集まらないまま2ヶ月が経とうとしていた。脚はかなり良くなり、一人でも部屋をでて屋敷を歩き回れるようにまでなった。父からの許しがでず、家の外には出してもらえなかったが、兄は大量の単行本を運ばせられることがなくなりほっとしていた。

 食事は1日3回で、すべて父と兄が作っている。味に文句はないが、粗末とは言わないものの上等な銀食器に合わない、小さくまとまった印象の料理が多い。小海老のカクテルサラダとか、ミラノ風ドリアとか、そんな感じだ。そうした日々を送り、私はようやく一つの仮説にたどり着いた。この家は、お金がないのかもしれない。

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冬を待つアルターイプセ @chansam_owari

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