第1章 ワンスアポンアタイムイン・異世界−3

3

 この世の中には2種類の人間しかいない。街で声をかけてきた知り合い風の人間に全く心当たりがなかったとき、またはビジネスシーンで、こちらは初対面のつもりで名刺を差し出しかけたのに、この間はどうも、などと先手を打たれたとき、「どなた様ですか。」と素直に尋ねられる人間と、知っているフリをして窮地を切り抜ける人間だ。たった一言聞いてしまえば済むことなのに、当たり障りのない会話でごまかし、その場を何とか耐え凌ぐことだけを考える。後者の人間はみんな不幸で無能だ。私のことだが。

 程なくしてパンや果物が盛られたカートを押して青年は戻ってきた。ベッドの上にトレーを置き、テキパキと配膳しながら青年は私の状況について説明してくれた。何でも私は、5年前に大怪我をし昏睡状態に陥って、16歳の誕生日である今日まで一度も目を覚さなかったらしい。食事はどうしていたのかと聞くと無理やり口ねじ込むと飲み込んだと言うので、この世界のチアキさんは生命維持に余念がないタイプなのだなと思った。フユキという名前はずいぶん日本的だが、実際のところ彼にオリエンタルな要素はなく、ジェームズ・ディーンを思わせる甘く、繊細な顔立ちの美青年だ。ブロンドの髪は傷んだ様子もなく、日光を浴びて淡く光る。私がパンを咥えている間、フユキと初老の男性はコロコロと話題を転換させながら話し続けた。彼らの話を聞きながら、フユキが私の一つ年上の兄で初老の男性が父親であること、父親の名前がナツオであること、フユキが寮制の学校に通っていること、今この家にはこの場にいる3人しか住んでいないことを知った。

「フユキさんは、いつ学校にお戻りになるの。」

「お兄様と呼びなさい。当初はあと10日ほどで帰るつもりだったけど、チアキちゃんも目を覚ましたことだし、もう少しここにいようかな。」

 私も学校へ通うことになるのかなと呟くと、空気が凍った。何事かとナツオの顔を伺うと、曖昧な笑顔を浮かべていた。

「そろそろ片付けようか。チアキちゃんも疲れてしまうよ。」

 あからさまに話を逸らし、兄と父は食器や食べ残しを片付け始めた。確かに、目を覚ましてから1、2時間は経っているはずだが、まだ頭が覚醒しきっていないようだ。時差ぼけだろうか。ひとまず、二人に手を貸すために起き上がろうとしたが、脚が思うように動かず、勢いよくベッドから滑り落ちてしまった。

「あわわ……」

「チアキちゃん!」

 情けない声を出し茫然としていると、フユキが抱えてベッドの上に戻してくれた。

「病み上がりなのだから、無茶しないで。」

 片付けは僕たちがやっておくから、と軽く窘められ、大人しく二人を見送ることにした。

 ガウンからのぞく脚を見やると、5年間寝たきりだったこともあってか、目に見えて筋力が衰えており、うまく立ち上がれなかったことにも合点がいった。筋肉にみずみずしさがないよな、と呟きながら、ナツオとフユキとの会話を思い出していた。彼らはどう見ても欧米人らしい出で立ちだったが、日本生まれ日本育ち、誓って言えるがモノリンガルである私と会話が成り立っていたことに今更疑問を抱く。自分が置かれた状況が異常なことは把握しているが、献身的に世話を焼く、家族だという彼らに対し、軽はずみに私は誰ここはどこなどと捲し立てることは憚られた。思えば、目を覚ましてすぐに聞いてしまえば混乱していたと言ってごまかせたものだが、過ぎてしまったことは仕方がない。彼らのチアキちゃんを演じながら、地道にここの情報を集めていくしかないだろう。そのためには、この痩せさらばえた足で立ち上がることが先決だ。

「この親指……親指さえ動かせられれば……」

 両足の親指に力を入れる。全ての神経を、意識を、私の中の集められるもの全てを親指に込める。回れ、回れ……私は知っている、16歳のチアキが知らないことを。何故なら私はチアキではないから。

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