第1話 無敗の人

 ―――京都五条大橋きょうとごじょうおおはし

「今宵は満月。はてさて、鬼が出るか、蛇が出るか…」

 河原町通かわらまちどおりを歩いていた弁慶が立ち止まると、物陰から5,6人の男たちが現れて囲んでくる。

「ふっ」

「なっ…」

 男たちは倒れていく。

 弁慶は何事も無かったかのように目もくれず歩いていく。


「千勝で我が戦の旅も終わりにするか…戦勝だけに」

 誰が聞いているわけでもないのに一人で笑う弁慶。

 気が付くと、五条大橋についていた。


(きれいな音色だ)

 川の音をかき消すように澄んだ音が笛の音が鳴り響く。

 

「ふんっ、人払いは済んでいるようだな…」

(近頃、名刀は手に入っても、いい勝負には巡り合えてはおらなんだ。ここまでのお膳立ぜんたて…)

「期待してもよかろうか…?」

 白装束しろしょうぞく羽衣はごろも羽織はおり、笛を吹いている。

 弁慶は岩融いわおとしで目測する。

(5しゃくにも満たない身長…子どもか?)

 橋の手すりの上に居るその人物を測るのに苦労した弁慶だったが、身長は150㎝にも満たないのは明らかであることにため息をつく弁慶。


「おい、そこのお前。我は女、子どもとやり合う気はない。女と対峙たいじするにしても、かの有名な巴御前ともえごぜんならいざ知らず、お前のような小童こわっぱに振るう刀はここに1本もないわ」

 

 ピタッと音が止む。


「私は名家源家めいかげんじけ嫡子ちゃくし牛若丸うしわかまる元服げんぷくは済んではおらぬが、貴様の首を打ち取り、源氏げんじの力を知らしめる男だ」

 源氏という言葉を聞いて、弁慶は敵意をむき出しにする。

「ふっ、源氏か。我にまつりはわからぬ。しかし、この世の有様はなんだ。どこの国でも飢餓きが疫病えきびょう萬栄まんえいし、民は口々にいうぞ。源氏も平氏へいし癒着ゆちゃく御執心ごしゅうしんだと」

「…」

 牛若丸は無言で弁慶を見下ろす。

「源氏も平氏もいらぬ。そうだな…我が天下を平定へいていさせよう」

 千勝の区切り。新たな目標にするにはちょうどいいと弁慶は考え、にやりとする。


「ふっ…ふっはっはははっ。世迷言よまいごとを。笑わせるでない」

 牛若丸が下品に笑う。

「…なんだ…と?」

「お主は確かに強いのかもしれない。しかし、人々はお主を恐れておる。お主に命を預けようとするものはおらぬよ、弁慶。お前が背負えるのは、そのガラクタのみよ」

 牛若丸は弁慶の背負った武具を見る。

「ガラクタ…だと」

「あぁ、ガラクタよ。人々もわかっておるのだ。お主についていけば、その背中の武具のように真価も発揮できず、お主と一緒に錆びていくだけだと」

「我は武蔵坊弁慶むさしぼうべんけい!!999戦無敗の男。勝つごとにかせを自らにしてもなお、勝利する男。貴様のように、何も背負っておらぬ中身のない未熟の者の言葉など、吹いてしまえば消えてしまうわ!!」


 弁慶は威嚇いかくに岩融を振る。

 しかし、そこには牛若丸はいなかった。

「なっ」

 弁慶が上を見上げると、満月を背に舞っている牛若丸がいた。弁慶は一瞬、牛若丸に見惚れてしまうが、次の瞬間、嫉妬で怒りを覚えた。

(我ら平民には羽はない。ただただ、羽があるだけの貴様らが貴族が…憎い)


「ふんっ」

 岩融を振るが、その動く薙刀なぎなたをとんと指で弾いて、ひらりとかわす。

「なぁ、お主。お主が地にこだわってる間、私も天に舞うことを考えていた」

「貴様ら貴族は自由にできるかもしれんが、我ら平民は土地に縛られ、税に縛られ、自由を選べば異端とされるっ!!」

 もう一度、踏み込みながら切りつけるが、再び牛若丸はかわす。


「私はお主が羨ましい。その恵まれた6尺はある背丈。そして、己が運命を選ぼうとしているお主をな」

戯言ざれごとをっ」

「なぁ、弁慶よ。私の元に来ぬか?」

 

 弁慶はその言葉の意味がよくわからず、動きが少し止まる。

 それを見逃さず、牛若丸は軽やかに橋を走り、弁慶の一振りを下にかわして、弁慶のふところに滑り込む。

「てぇえええい、やああああっ」

 笛で弁慶のすねを叩く。


 弁慶は岩融の柄の部分で殴ろうとするのを牛若丸は間を開ける。

「軽い…軽いぞ。牛若丸」

「はぁ…はぁ…、だが、私の…勝ちだ。弁慶」

「何を言うか、私はまだ倒れておらぬ。一太刀ひとたち浴びせたとて、我が本気を出せば、貴様なんぞ。真っ二つだ」

「では―――」

 牛若丸が構える。


 弁慶はその目を見つめる。力強い目。しかし、やせ我慢の目。

 誰かに似ていた。

「だが…な、お前の言葉はここに、重く響いた」

 弁慶は自分の拳でしんぞうを叩く。

 

 武蔵むさしの国で生まれ、幼き頃からその体格と力ゆえに、化け物扱いをされ、村や家族を捨てた弁慶。その考えは安易だったかもしれない。武を示せば示すほど、人は彼を避け、彼を孤独にした。

 

 武蔵坊を名乗るのは自分の拠り所にすがるためかもしれない。

 どんどん鬼のように畏怖いふされ、自身も自分を鬼だと錯覚してきた中、自分を必要とする者が目の前に現れた。

 自分と似ていて、それでいて自分と全くの正反対の牛若丸。

(なんで、千本集めようと思ったんだっけか…。あぁ、誰かが…誰もが、認めてくれると思ったんだ…)

 

「我に…居場所をくだされ、牛若丸様。必ずや貴方様のお役に立ちましょうぞ」

 弁慶は自らひざをつき、頭を下げる。そして、弁慶の瞳には人の涙が出た。

「私の負けだ、弁慶」

 牛若丸は笛を腰に差す。

「何を…?」


「無敗の男が、私の仲間になった方が通り名がよいではないか?」

「なりませぬ」

 すぐさま否定する弁慶を不思議そうに牛若丸は見る。


「なぜだ?」

「我もまた、我が仕える方を負かすなどありえませぬ」

「だが、このまま続ければ私が膝を付いていただろう」

「私が貴方の膝を付けることなど決してありませぬ」

「では、こうしよう。私が弁慶の千本目の刀になろう。私を使え、弁慶、お主が天下を平定させるために」

「そのようなお戯れを…」


「私は嬉しかったのだ、弁慶。この私を必要としてくれたことが」

 

 整った顔立ち。先ほどまでの背伸びをした顔ではなく、無邪気な笑顔に弁慶は心を奪われた。そして、先ほどの強がった目が自分の昔に似ていたのだとわかった。


(この笑顔を…守りたい)


「我も…嬉しく思いました」

「はっはっはっ。我々は生涯無二の友に出会えたのだから。二人の勝ちとしよう。そうでなければならない。お互い全勝無敗とはまっこと幸先が良いな、弁慶!!」

「牛若丸様も無敗で?」

「あぁ」

 牛若丸が歩き出す。そして、振り返る。

「だって、今日が初めての死合しあいだったのだから」

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