2 魔女もふざけたい -カードの行方ー

第5話 不安と焦りがドブ臭い

 帝都ダ・アウロゼ、その旧市街の路地を急ぐ者がいる。


 先の大戦で人族の国々を滅ぼし、大陸全土を掌中に収めた “魔族の王による偉大なる国” のことを、今や人々は畏怖を込めて ”帝国” と呼ぶ。


 数百年前、魔族の国は大陸北部に広がるセラ大盆地に勃興し、帝都はそれ以後歴代王朝の都として栄えてきた。ここでは人口の大半を魔族が占め、魔王を頂点とする貴族社会が形成されている。当然ながら人族の地位は低く、そのほとんどが貧民街暮らしである。


 彼はゼッタ、彼もまた人族として貧民街に暮らす一人である。


 やがて、夕陽を真正面から受け、焼けるように赤く染まった煉瓦造りの建物が見えてきた。その一枚板で作られた風格のある扉が勢いよく開かれた。


 「大変だよ! ――カレリアさん達が帰って来ないんだ!」


 ドアを開け、いきなり叫んだゼッタに一瞬視線が集まった。よく聞くセリフだが本人は真剣だ。


 食堂や酒場を示す木彫りの看板と来客を知らせるための鐘が大きく揺れ、生ぬるい空気が淀んだ店内に流れ込んできた。


 酒と油で黒ずんだテーブルでカードを囲んでいた男達が手を止めたが、肩で荒い息をしているゼッタの顔をちらりと見ただけで、すぐに手札のカードに目を戻してしまった。


 すぐに何事もなかったかのように、いつもの喧騒が店内を包み込んでいった。


 「なんで、どうして、みんな平気な顔をしていられんだよ、仕事仲間でしょ! カレリアさん達に何かあったのかもしれない! 探しにいかなくちゃ! ねえ、ゴマさん!」


 必死な目をして叫ぶ声すら、カードに負けた腹いせにテーブルを蹴飛ばした男の怒声に掻き消された。


 「まあ、待て、ゼッタ。少し落ち着け。こっちに来い」

 カウンターの奥で磨いた皿を棚に戻した店主のバウンダが、振り返って顎で促した。


 「まっくも、もう! 薄情者!」


 その少年ーーーーゼッタが肩を怒らせながら入ってきた。赤毛でくせ毛の髪が逆立っているところを見るとかなり急いで来たのだろう。


 「ゼッタも何でも屋の一人なら分かるだろ? 他のチームが選んだ仕事には不干渉、それがルールだ。カレリア達が直接助けを求めない限り、彼らは勝手に動いたりしないし、できない。違うか?」

 バウンダは店内を見回して言った。


 この時間帯にここにたむろしている連中は、ほとんどが人族、そして貧民街に事務所を置く何でも屋組合の一員である。


 何でも屋はその名の通りどんな仕事や依頼でも条件に見合えば引き受ける連中だ。かつては冒険者と言われていた者達だが、先の大戦から数年、このご時世で便所掃除から家事手伝い、屋根の修理から道路の補修とありとあらゆる仕事をこなすようになったのが元々である。


 より良い仕事にありつくため、日々、連中は競い合っている。

 評価が高まれば優先的に条件の良い仕事が紹介されるのである。仕事はよほど単純なお子様向けの仕事でもない限りチーム単位で依頼されるため、あるチームが引き受けた依頼には他のチームは干渉しない。成功しても失敗してもその責任はそのチームが負うことを誰もが熟知している。


 ルールを知らないはずはないのだが、それでも目の前のゼッタは不満気だ。


 バウンダを睨んだ目の奥には深い闇がある。その感情は大切な人を再び失うことへの不安から来る苛立ちなのだろうか。


 「彼らはルールを破れない、だろ?」


 「それは分かるけど……でもバウンダさん! もうあれから2日なんだよ、帰る予定日はとっくに過ぎているんだ。もう夕方だし、何かあったに違いないよ! ああ、こんな事なら俺も一緒に行けば良かったよ」

 ゼッタがこんな表情をするのは珍しい。


 もちろん、バウンダにもその理由は分かる。孤児の彼にとってそれだけカレリアという魔女が特別な存在だということだ。


 大戦のさなかに親を失った彼を引き連れ、彼女がこの街に現れた時のことは今でも鮮明に覚えている。


 「そうか2日も帰らないのか、それは不安にもなるだろうな……それで? 今回、あの嬢ちゃん達は、どんな仕事を受けたんだ?」


 バウンダはゼッタのために冷たい水の入ったグラスを置いた。その物静かな口調がゼッタを少し落ち着かせる。


 「ええと、そうですね……今回、カレリアさん達は、魔王ゲセルトの宝珠とかいうのを探す仕事を引き受けたらしいんです」

 ゼッタは水を一息で飲みほして言った。


 「ぶーーっ!」


 後ろで二人の会話を聞いていた男達が噴き出した。

 バウンダも急に困ったような顔をした。


 「そんなガセネタの依頼を受けたというのかよ! あほかよ! 誰が聞いても嘘の依頼だって気づくじゃねえか!」


 カードに興じていた男がゼッタを睨んだ。


 彼は、同じ何でも屋で、通称“誤魔化しのゴマ”という奴だ。魔族からの無茶な依頼を巧みに誤魔化して有耶無耶にするのが得意なのでそんなあだ名がついているが、彼はカレリア達よりも数ランク評価が高い腕利きだ。


 「仕事は仕事だろ! ゴマさん!」


 「あいつら魔族のお貴族様は、俺達のような人族を馬鹿にしている。だから時折、ふざけた依頼を出して、俺達がてんてこ舞いするのを見て楽しんでいるだけだ。いい加減、嘘か本当か見極めて仕事をしないとな。今の魔王、いや、魔族至上主義の帝国にとっては、人族なぞゴミ屑扱いなんだぜ」

 そう言いつつ、手札のカードを1枚取り変えゲームを続ける。


 確かに上流階級の魔族は人間を雑草くらいにしか思っていないだろう。貴族が貧民街の人間を面白半分にからかうのは珍しいことではなく、当然、ゼッタも魔族からの依頼は危ないことくらいは知っている。


 この世界には魔法が使える魔族と、魔法が使えない人族がいる。魔族には、純魔族の他に妖精族をはじめとする亜人も含まれており、その姿も様々だが、帝国貴族は人族と同じ姿をした純魔族の者がほとんどだ。人族の国が魔族に滅ぼされて以来、人族は階級社会の底辺に位置付けられているのだ。


 そして、そもそも彼は両親を殺した魔族を深く憎んでいた。


 この街に来たばかりの頃は、大人になったら仇を討つと言って何かと暴れていた。もしもそのことが帝国兵の耳に入ったら……と周囲の人々を冷や冷やさせていたほどだ。


 「でも、カレリアさんは信頼できる筋からの依頼だと言っていたし、クロアだって引き受けることに納得していたんだよ……」


 「貴族からの依頼を信じるのは自由だが、それで命を落すのも馬鹿馬鹿しいぜ。それに、どうせカレリアだろ? いつものように失敗して足取りが重くなっているだけだろうよ」


 「だってさ!」

 薄情なゴマの態度に、ゼッタが反論しようと身構えた時……


 店のドアが静かに開き、カラン…………と控えめに、小さく鐘が鳴った。


 「た、ただいま、戻りましたあ……」


 「カ、カレリアさん! 良かった! 無事だったのですね!」

 目をぱっと輝かせたゼッタが振り返った。


 同時に、もわもわっと外気と共に入ってきた異臭が鼻を突く。

 見ると、全身茶色に汚れた三人が立っている。どう考えても、どぶにでも落ちたのだろう。頭の先から足元まで泥まみれで、とにかく臭い。


 「ただいま、ゼッタ君、戻ったよ」


 カレリアがいつものように魔女帽を脱ぐと、粘ついた汚いヘドロ状のものがベタリと床に滴り落ちた。


 「うわっ! ひでえ臭いだ!」

 店内で飯を食っていた窓際の客が思わず立ち上がる。


 「ほら見ろ! 言ったとおりだ! く、くせえ……」


 「ひ、ひでえ、ドブの臭いだ!」

 カードどころでは無くなった男達が鼻を摘まんで立ち上がった。

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