第6話 何があったのだろう
「お、お前達! 営業妨害だ! まずは外の馬小屋の井戸で身体を洗ってこい!」
バウンダが青筋を立てて、奥の扉を指差した。
「は、はーい……」
「じゃあ、また後で、ゼッタ君」
「飯をたのむぜ」
三人は、追い立てられるように店内を横切って井戸のある中庭に姿を消した。
「あーあ、まだ臭いぞ、ひどいもんだ。おい、ゼッタ、その床を洗い流しておけ」
バウンダが窓を開けて空気を入れ替えると、掃除用具を投げてよこした。
「わ! バウンダさん! 投げるなんて!」
ゼッタは慌ててそれを空中で受け取ったが、モップの柄が脳天に当たった。
「痛っ、つつつつ……」
思わず屈みこむ。
「まあ、良かったじゃねえか。カレリア達は生きていたな」
いつものように床掃除を始めたゼッタに、振り向きもしないでゴマが声をかけた。
「ありがとうございます」
ゼッタはモップを動かしながらその背中をちらりと見た。
ゴマは、相変わらず興味が無さそうな顔をしているが、内心、少しは気にしていてくれたらしい。
「戻りましたよ、バウンダ、いつもの頼むね」
「右に同じ」
「俺もだ」
しばらくすると服を着替えたカレリア達が店に顔を出した。
少しやつれているが、その容姿をふと見て、飯を食っていた男が思わずスプーンをぽろりと床に落した。
見かけない客だけにカレリアの美少女ぶりに免疫が無かったのだろう。
ちらりと男を見た澄んだ瞳、愛らしいがちょっと生意気そうな唇が醸し出す表情は、彼女をよく知らない男が思わず見惚れてしまうには十分なのだ。
そんな男共の視線を一身に集めながらカレリアは奥のテーブル席についた。
絹のように滑らかに光を放つそのトレードマークの銀髪は、多様な姿の魔族にあっても非常に珍しく、愛らしい髪飾りが魔族の特徴である小角を巧みに隠している。
まさに美少女だが、少女のような姿の時期が長いのは種族の特徴であって、既に立派な大人の美女なのだとカレリアなら言うだろう。
標準的な魔族の女性に比べるとやや背が低い気がするが、人族だったら平均だ。
スタイルは上々で何より胸が魅力的だ。でかすぎるというわけではないが、言ってしまえば大きめの美乳なのだろう。
通り過ぎた男がその胸に思わず見惚れて何かにぶつかる事もしばしばで、バウロは歩く凶器とすら呼んでいる。普通は魔女服を着ると胸が目立たなくなるものなのだが、カレリアは唯一の例外なのかもしれない。
カレリアは、仲間内ではそこそこ知られた魔女である。ゼッタ達のように劣等種族として冷遇される人族ではなく、立派な魔族なのだが、一族の後ろ盾をもたない、いわば“ハグレ”なのである。
そのせいなのか、魔女としての腕前ははっきり言って微妙だ。
それに、魔女のくせに魔法が嫌いと断言しており、仕事柄、攻撃魔法も使うことは使うが、一撃で敵を倒したところなど見た事が無い、その他の魔法も強弱不安定で頼りなく、そのせいで失敗も多いというのが一般的な評価だろう。
「ゼッタ、これを持って行ってやれ、サービスだ」
バウンダがカウンターにアツアツの夏芋の煮込みをメインとした料理を準備した。
「カレリアさん達にだね?」
「ああ、あの表情、今日はだいぶキテるようだからな」
ゼッタはそれを受け取ると強い香草の匂いを漂わせながら急いで運んだ。
カレリアの正面に座っている二人はカレリアの仲間で、筋肉ムキムキの身体の大きな戦士のバウロと少し線が細いが端正な顔立ちで賢そうな神官クロアである。彼らは人族だが、クロアは人族にしては珍しく若干の魔法を使える。
二人は帝都の遥か南に広がるシズル大原の端っこの港町で育った幼な馴染みで、当然、ゼッタとは大の仲良しである。何でも屋の仕事を四人でこなすことも多い。
そんな二人だが、クロアはともかく、いつも威勢の良いバウロまでなぜか大人しい。
「何があったんです? 皆さん落ち込んでいますよね、2日も帰って来なかったし」
暗い顔をしている三人に食事を運び、ゼッタは空のお盆を手に尋ねた。
クロアとバウロが無言で肩をすくめた。
組んだ腕に顔を埋めていたカレリアだが、その美味しそうな匂いにつられてようやく顔を上げ、ゼッタをちらりと見た。
良かった、どんな時でも食事には良い反応だよね……いつもと変わらないカレリアの様子に、ゼッタは少し安心して微笑んだ。
「ゼッタ君だけだよね、心配してくれるのは、はああ……」
カレリアは茹でた芋に手を伸ばしながら、いかにも疲れた~~という表情を見せた。
勘の良い大人の男なら、よく頑張ったね、と頭を撫でて欲しそうな、少し甘えた目を見せている事に気づくのだろうが、残念ながら当のゼッタには全く伝わっていない。
むしろゼッタの後ろの席の男が、デレデレと鼻の下を伸ばした。
「一体どうしたんです? 何日も帰って来ないから、俺、心配したんですよ」
ゼッタは少し怒って頬を膨らませた。
「例の依頼ですよ。ほら、魔王ゲセルトの宝珠を探すやつですよ」
クロアはテーブルナプキンを丁寧に広げて、芋にフォークをぶすりとさした。
「え、やっぱりその仕事だったんですか? あの嘘くさい依頼を真面目に受けたんですね?」
「ああ、いかにも怪しい依頼だったが、凄かったぜ、まさに想像を絶する展開だった。俺達の冒険談、聞きたいのか?」
バウロがそう言って口をもぐもぐさせながら、早くも二つめの芋に手を伸ばす。
「ぜひ、聞かせてくださいよ! 冒険だったんですね?」
ゼッタは目を輝かせた。ゼッタは冒険や騎士が活躍する話には目が無いのだ。
「そこに座りな、聞かせてやろうじゃねえか」
ゼッタはさっきまでとは打って変わって、わくわくしながらカレリアの隣に座った。
周囲の男達も遠巻きに盗み聞きしているようだ。
「俺達はな、その依頼を受けて、街外れにあるとある貴族屋敷に行ったんだ。執事に案内されて門をくぐると、とても大きなお屋敷でな。なんと敷地の中には小さいながらも石垣が組まれた運河まで通っているんだ」
バウロが芋をむしゃむしゃと齧りながら話を始めた。
うんうんとクロアがうなずく。
「その話はやめよう、うんざりだよ」
カレリアだけが思い出すのも嫌という感じで、力なく二つ目の芋に手を伸ばす。
「そのお屋敷に仕事の依頼を受けに行ったんですね?」
ゼッタは身を乗り出す。
「いや、違うんだ。依頼は既に事務所で受けていたからな」
バウロが芋を左右に振った。
「え? まさか、そんな所に魔王ゲセルトの宝珠が? そうか、そこに隠されたダンジョンの入口があったんですね!」
ゼッタは少し興奮気味に両手に拳を握る。
心躍る展開、男なら誰もが憧れる冒険譚が頭の中を駆け巡る。
謎のお屋敷の地下に隠された迷宮……ここは数百年続く古い都だ、そんな事があっても何ら不思議ではない。
しかし、バウロはゆっくりと首を振った。
「いや、そこにダンジョンなんて無かったぜ。あるのはそのドブみたいな臭いの運河だけだった。まさにドブ運河というやつだ」
その表情から、どうやら思い描いた冒険談とは違いそうだ、とゼッタにも察しがついてきた。
「はあ? ドブですか?」
ゼッタも思わず気が抜けた。
「そう、ドブ運河だ……」
バウロが両手でジョッキを掴んでうつむいた。
「うおおーー! もう、こうなったら飲むしかない! バインダ、麦酒をちょうだい! こぼれるくらいの特盛りで!」
急にカレリアは立ち上がると、大きく手を振ってバウンダを呼んだ。
ヤレヤレという表情で、バウンダがカウンターから分かった分かったと合図した。
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