13限目 絶対王者は忌まわしき事故(ラッキースケベ)と戦う
絶対王者こと、冠城侑李は通学電車で過度に怯えていた。
──くそっ、またこのパターンだ……。
九条駅を過ぎてから次の駅に電車が近づくにつれて、侑李の表情がどんどん曇る。
そして……
『京都、京都です』
──ヤバい、来る!!
車窓から数多の通勤通学客を見て、侑李は咄嗟に千尋から距離を置いた。
そして扉が開き、ダムを決壊させるほど勢い強く流れる川の如く客が車内に流れ込んだ。満員電車の完成である。
満員電車といえば、ラッキースケベが起こりやすいシチュエーションで──。
──逃げるんだ! もうあのような過ちを起こさないために!!
冠城侑李は慎重派であり、同じ過ちを起こさまいと敏感になる男だ。
わざとでないとはいえ千尋のお尻を触った前科がある侑李は、千尋から離れてサラリーマン集団に一人で積極的に混ざりに行こうとした。
彼にとっては加齢臭や汗の臭いなど、もう慣れっこである。
けれど、そのときだ。
「ん?」
何かが引っかかったときのように服を引っ張られる感じがした侑李。振り向くと人混みの中、千尋が侑李の服の袖に手を伸ばしているのが見えた。
「茨木?」
「……ここにいてください」
確信は無いが、なんとなく意図がわかった。
千尋はきっと、あの時みたく痴漢に遭うことを恐れているのだろう。だから侑李を傍に置いて盾になってもらいたいのだろう。
「わかった」
そう考え、侑李は千尋の真横に並んだ。そして片手で握り棒を、もう片手で吊り革を持つ。
これでラッキースケベもとい、
あとは電車さえ強く揺れなければ……。
「きゃっ!!」
「うぉぁ!?」
侑李と千尋は声を上げてふらつく。
電車が四条駅を着くと同時に、満員電車は停車の反動で大きく揺れたのだ。
足をふらつかせて、千尋はバランスを崩し──
──ちょっ、近い近い近いっ!!
侑李は人混みに押された反動で自分の胸に飛び込んできた千尋に驚いた。
「……あの、茨木さん? 近くないですか?」
「そんな事言われても、わ、私にどうしろと言うんですか……」
満員電車で客に挟まれ、身動きが取れない両者。侑李はこれ以上、彼女に触れぬように両手で一つの吊り革をガチリと強く掴んだ。
ラッキースケベなんかに巻き込まれてたまるか、と。
「どうしろって言われてもなぁ……」
とりあえず混雑する状況が過ぎるまで耐えるしか無い。
そうわかっていても、異性との交流が少ない、年頃の思春期野郎にこの状況を耐えろと言うのは無理がある。
それなのに、だ。
「…………」
「茨木!?」
何かに目覚めたのか、千尋は更に侑李にもたれかかった。
「おい、近いぞ? 茨木」
「疲れました。もたれかかるので壁になってください」
「えぇ……」
千尋との距離が近くなり、気持ちが爆発しそうになるのを耐える侑李を一切気にせず千尋はいつも通りを貫く。
──茨木、もしかして?
そんな中、侑李は彼女の行動に意図があるのでは無いかと察し、何も言わず彼女に身を委ねさせ続けた。
──耐えろ、僕の理性!
〇
「……………………」
「……………………」
学校への最寄りである
──やだなぁ、気まずいなぁ。でも、茨木に言わなきゃなぁ……。
烏丸御池駅にて、急に多くの乗客が降車してからもずっと一言も会話していない二人。
そのままホームからコンコース、そして出口へと黙々と歩みを進めた。
ちなみに、もちろん電車の混雑が過ぎてからはすぐ、千尋は侑李から身を引いた。身を寄せる理由が無くなったのだから、このまま続けるのは実に恥ずかしいものだ。
「あっ、あのさ、茨木!!」
駅を出て数分後、赤信号で足を止めて初めて、侑李は千尋に話しかけた。
「一つ、提案なんだけどさ?」
人差し指を立て、気恥しそうに言う。
「……これからさ、一緒に通学しないか?」
「…………は?」
首を傾げることも怪訝な表情を浮かべることもなく、千尋は真顔で返した。
「なんでわざわざ、それを私に頼むんですか?私以外に通学する友達いないんですか?」
「いや、まぁ確かにそんな友達がいないのは事実だけど。てか、それはキミもだろ?」
「いえ、普段は友達と一緒に登校するんですけど?」
「えっ、そうなの?」
「まぁ、最近は早めに学校行って、遅くまで学校に残る機会が増えて、登下校は一人なんですが……」
「やっぱり一人じゃん。……じゃなくて!!」
脱線した話を戻すべく、侑李は一呼吸置いた。
「……ほら? この前みたいな痴漢がまたあるかもしれないからさ。今日も僕の袖に捕まったのって、痴漢除けのためなのかなって」
「あれは、まぁ、確かにそうとも言いますが……」
「だろ? だからさ……。痴漢除けの役割くらいは担えるかなって」
顔を真っ赤にし、唇を震わせながらも、侑李はなんとか勇気を振り絞った。
「そっ、それなら……」
そんな彼の提案を引き受けるも、千尋は更なる提案を持ちかける。
「帰りもお願いしていいですか?」
「あっ……あぁ。わかった」
まさか帰りも一緒になるとは思いもしなかったので、侑李は少し戸惑った。
普段の千尋は、侑李の授業が終わってからはすぐに一人で帰るもので。
どういう風の吹き回しか? それとも朝と同様に、痴漢除けが欲しいだけか?
おそらくは後者だろうと、侑李はすぐに納得した。
「そういうことなので、よろしくお願いします」
「あぁ、よろしく」
時刻は午前8時過ぎで、登校時間から30分も早いから、周辺に生徒はほとんどいない。
その状況は非常に都合がいい。きっとこの姿を多くの生徒が見ていれば、噂になっていただろう。
なんせ『紅薔薇の令嬢』という異名がつくほどの有名人が一緒にいるのだから。
しかも千尋は数多の男子生徒の告白やお誘いをバッサリと断るので有名。
もし千尋が好きで好きで仕方がない、過激なファンのような存在が侑李との会話を聞いていれば……。
ゴトン!!
地べたに固いものが落ちる音が、後ろから聞こえた。
振り向くとそこには、
「そんな、千尋……」
千尋の知り合いと思しきポニーテールの少女が、目に涙を浮かべて立ち尽くしていた。
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