6限目 絶対王者は褒めてみる①

 絶対王者こと、冠城侑李かぶらぎゆうりは放課後、トイレの鏡の前で怪しげな行動を取っていた。


「よ、よしいいぞ! その調子だ!!」


 誰もいない薄暗い空間の中で、ぎこちなく震えた声が響く。


「おぉ、よくできたな! えっ……偉いぞ! 偉い!!」


 そしてガチガチに震えた手を差し出して、頭ポンポン(?)のジェスチャーを披露。そして鏡の前で変に作り笑いを浮かべる。

 傍から見ればあまりにも気持ち悪い行動、あるいはバスケ初心者のドリブルだが、彼は今、千尋を褒める練習を真剣にやっているのだ。決してバスケの練習をしているのではない。


 痴漢の件でもあったように、彼は何事においても用意周到。かつ、完璧主義。

『相手を褒めるといい』と言われたからには、それを完璧にこなさなければならないと強く思っている。

 しかし自分が褒められることはおろか、誰かを褒めることも、誰かに褒められる機会すらもそんなに無かったものだから──。


「な、なんだこれ!? めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど!!??」


 絶対王者、高校生活初のノックアウト。鏡の前で崩れ、侑李は頭を抱えた。


「これでいいのか? こんなていたらくでもいいのか!? 教えてくれ! 伊織いおり!!」


 今日までにマスターせねば、と侑李は焦るが、褒めるようにとアドバイスをした伊織はいないし、時間も、そして茨木千尋いばらぎちひろも待ってはくれない……。



 〇



「遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い…………」


 一方、第二会議室にて。侑李がトイレで奮闘している間、時間にうるさい紅薔薇の令嬢こと、茨木千尋は足を組み、上に乗った足を小刻みに揺らしながら待っていた。


「もう! なんなの!? 時間にルーズだなんてありえない! お尻を触った上に、私のやる気への侮辱? ……ありえないんですけど」


 はぁ、と溜め息を零し、千尋は机に広げた数学の問題集の上に顔を伏せた。


「それに、あの人と一緒にいたり、あの人を待ったりして時間を使うの……、なんかヤダ……」


 そしてあの日、自分を助けてくれた彼に再会から少しだけざわつき始めた胸の鼓動に、千尋は悩まされていた。

 何故、胸がざわつくのかはわからない。だけど原因は間違いなく侑李にある──そう、千尋は考えている。


「そういえばあの人に、お礼言わなきゃだよね。一応、私を助けてくれたみたいだし……」


 そんな中、ふとあの日の自分を省みる──口を噤んだまま、お尻を触られたことばかりに怒っていた自分を。


「すまん! 遅くなった!!」


 それから一分も経たぬうちに、侑李がドアを勢いよく開けて入ってきた。


 ──来た!!


 それに気づいた千尋は咄嗟に体を上げて、再び勉強。シャーペンを手に持って走らせる。

 そしてスイッチ……オン。侑李を蛇のように鋭く睨んだ。

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