7限目 絶対王者は褒めてみる②
「遅いです。九分五十三秒の遅刻。やる気あるんですか? 無いですよね?」
「いや悪かった! ちょっと先生に引き止められただけだって!!」
そう言って、侑李はいつも通り千尋の隣に座る。
ちなみに彼が近くに座ると、同極の磁石みたく千尋がズズっと少し離れるのもいつも通りである。
「あっ」
ここで、侑李は独自で数学の問題集を進めている千尋を見て声を上げた。
「またやり方間違ってるぞ、その数列」
「えっ?」
「言ったろ? ここは──」
間違いに気づき、侑李は千尋に再び説明して納得させる。そう、ここまではいつも通り……。
「──とまぁ、こんな感じだ」
「あっ、ありがとうございます」
「次こそは抜かるなよ?」
「言われなくても、そのつもりです」
……………………………………………
………………………………………
…………………………………
……あれ?
いつもなら淡々と進めるのに?
見ると侑李の様子がおかしい。
目線を
「あの、何ですか?」
千尋が問いかけると、侑李は口を震わせながらゆっくりと開き──
「……そ」
「そ?」
ぎこちなく震える声で、こう言った。
「それにしても自分でここまで進んだんだなぁ! やっ、やるじゃないか!」
そして終いにぎこちないスマイル。
これを見て、千尋は──
「……は!?」
突如放たれた変化球に、声を上げて驚いた。
そしてキッと睨んで
「先輩、言いましたよね!? そうやって褒めるのとかいらないって。なんですか? 以前といい今といい、私に喧嘩売ってるんですか!?」
「あっ、いや、いいだろ? 頑張りを褒められるってのは」
「そっ、そんな
「きっ、気持ち悪い……」
ノックアウトされる侑李から目を背け、千尋はボソリ。
「(……下手くそ。びっくりしたじゃない)」
「あぁ、悪かったよ」
ショックから立ち直ったのか、侑李は顔を上げていつも通りの顔つきに戻った。
……らしくない。先輩はいつもみたく厳しくしてればいい。じゃないと自分は、甘えて先に進めないんだから。
さっきの侑李の行動に動揺する千尋だが、我を保つべく自分に言い聞かせる。
自分は甘えられるべきではない、と。
〇
「じゃあ続き、やってみな」
「はい」
侑李のイレギュラーな行動はどこへ行ったのやら。
普段のように真面目な二人が、他に誰もいない空間に堅苦しい空気を醸し出す。
だが、そんな空気がほんのちょっとだけ弛緩するタイミングがあった。
「……あっ、できた!」
それは、自力で問題を解けたことで得られた達成感と快感故に、千尋が
──よし、このタイミング!
その隙を逃すまいと、侑李は目をつけた。
「おっ、よく出来たな。さすがだ、茨木」
タイミング、
「い、いや、それほどでも……ないというか……。へへっ……」
喜びを更に刺激されて、千尋が反射的に口元を緩ませたのだ。
「……って!? はぁ!!? だから、なんなんですか!?」
そして直ぐに我に返って、侑李を怒鳴りつけた。
茨木千尋の褒めるのは、もう止めた?
そんなこと、匂わせただけ。
侑李は「褒めない」とはちっとも口にしていない。
侑李は口元をにやつかせながら、更に続ける。
「いや、今が好機かなって」
「だから、いらないって言ってるじゃないですか! 別にそんなことされても嬉しくないというか……。てか、なんですか好機って!」
「でもさっき、笑ってたし」
「あれは人間の本能です!!」
「それ、『嬉しいです』って言ってるのと同義なんだけどなぁ~」
「……うぐぅ」
ちょっとだけ楽しくなってきた侑李は、調子に乗ってこんなことを口走った。
「あっ、そうだ。茨木」
「今度はなんですか……」
「……つ、次の問題できたら、あっ、頭ポンポンって撫でてあげようかなー」
「ふぇっ!?」
「……なんて」
けれど気恥しさに駆られてしまい、侑李は目線を千尋から逸らした。
顔に貼り付くのは、目も向けられない程の残念なニヤケ顔。だが──
「(えっ!? 頭ポンポン?? ホントに? やってくれるの?? じゃ、じゃあ……)」
小声で何かを呟く千尋。身体を
校長先生いわく、千尋も侑李みたく厳しい環境で育ってきたとのことで。
だが環境によって植物が育つのに向き不向きがあるように、人間にもそういう特性はある。
侑李が厳しい環境で育つなら、千尋はその逆に違いない。
そう確信した侑李が繰り出す一手こそ、頭ポンポンである。
「まぁ、冗談だけど──」
しかし残念。
絶対王者はメンタル弱者。
できないことは率先せず、逃げてばかり。
しかしもう遅い。
千尋は頬を朱に染めながら言う。
「……じゃあ、一回だけお願いします」
「えっ!!?」
これ以上
「い、茨木! 冗談だぞ? 冗談!!」
「いっ、一回だけ! 一回だけお願いしますって言ったじゃないですか!! 今更言い逃れようとしないでください!!」
「わっ、わかった! わかったから!!」
茨木千尋、勢い止めず。
結果、侑李は冗談を実現させることになった。一回だけ。
「じゃ、じゃあ問題変更だ。これを解いてみろ?」
けれど侑李はなんとか逃れようと、意地の悪いことに、千尋には難しい問題を指し示した。
「うっ……、わかりました」
問題文を見て顔を
「……できました」
「えっ!!?」
そして、その問題が解けてしまった──。
「どれどれ……。あっ、合ってる……」
まさかと思い、侑李は再び千尋の答えと模範解答を照らし合わせる。
一回、二回、三回も。それでも、彼女の答えは完璧だったことに変わり無く。
さっきまで基礎でつまづいていた千尋にとっての無理難題を、ヒントも無しでクリアされるとは思いもしなかったのだろう。
「じゃ、じゃあ……」
「あぁ、わかったよ……」
ここまで来たらやるしかない。侑李は覚悟を決めた面持ちを向ける。
「ほら、やるぞ?」
「……お願いします」
そして侑李は初めて犬を触る子どものようにぷるぷると震える手を、千尋の頭に伸ばして置いた。
「よ、よく出来たな。えっ、偉いぞ、茨木」
「……………………」
顔をトマトのように赤くしながら、千尋は黙ってコクリと頷く。
そして目を瞑り、僅かながらに頬を
「………………」
「………………」
初めて妹以外の女の子の頭を撫でた侑李。
きっと千尋も、この感覚は初めてなのだろう。
二人が初めての感覚に照れながらも、緊張の中に、どこか安心感を得ていた。
【後書き】
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