その二

二の一

「ああ、もう、えらい(しんどい)」

 旦那様、休みましょう、と茂平が息もたえだえというくらいに、大袈裟に云う。

「まだ、一里しか歩いておらんではないか」

「茂平も、もうじじいですから、いたわってください」

「まったく」

 これではどちらが世話役かわからんな、と三之助は、街道脇のちょうどよさそうな大きさの石を見つけると、そこに腰をおろす。茂平は離れて草の上へ。

 富田まであと三里もあるというのに、これでは日が暮れてしまいそうだ。

 おだやかな風が吹きすぎ、白鷺しらさぎがひと声けたたましく鳴いて、空をよこぎっていく。

 ついこの間まで、人を陰鬱な気分ににさせていた灰色の冬空は、いつのまにかさわやかな青色に満たされ、大地には草が萌え、野花が花をつけ木々が緑に色づいてきて、どこをみても色彩が豊かになりはじめた、心がどこかうきたつような季節だった。

 春原城下を十町(約一キロメートル)ほどもすぎれば、辺りは田畑と小川と、まっすぐな乾いた道しかない。

 その道を、老人とふたり連れでやっと一里。

 振り返れば、鞍祢山あんねさんから続く低い山並み、見渡せば、丸衣川まるいがわぞいの、苗を植えるのにはまだしばらく間のある田んぼが広がっている。ところどころにある畑では、百姓がなにかの作物の世話をしているようす。

 ところのものが、春野街道とよぶこの道は、今は小高い岡のふもとを通っていて、そこからは、丸衣川の流れがよく見え、鷺や鴨がいるのが見てとれた。

 ――白鷺は田のしらせ。

 と百姓たちは、いう。

 青鷺あおさぎは年中この辺りで見かけるのだが、白鷺は、稲刈りのころに見かけるようになり、田植えのころに姿を消す――。

 という一種の迷信なのだが、土地のものたちに根強く信じられていることも確かだった。

 なぜ、白鷺がそのようなあらわれ方をするのかは、わからない。

 青鷺が成長すると白くなる、という者もいれば、白鷺と青鷺は別の種で白はどこかからやってきて、ここで冬を越すだけだ、という者もいる。

 そんな鷺の生態に思いをはせながら、三之助は街道を、富田に向っている。

 富田という地区は藩の飛び地で、そこの代官所へと査察にいく途次であった。

 六十をすぎた老人とのふたり旅ということで、ところどころで休みをいれつつ、歩く。

 もう何度めの休息だろうか。

 三里ほども歩き、おおぶりの松の下で休んで、もう昼時だというので、持参したにぎり飯を食い、竹筒の水を飲む。

 水を飲んだ茂平が、ふうと吐息をつき、

「加代は元気にしてますかな」

 とだれに云うともなしに、つぶやいた。

 久しぶりに人の口からでた名前に、三之助の胸が大きく波うった。

 それでも、平静をたもつように、

「なんだ、知ってるんじゃないのか」

 と茂平に聞いた。

 そういえば、ここから北へ少し行けば、加代の暮らす勝山村かちやまむらがある。それで急に加代のことを、思いついたように云いだしたのだろう。

 加代の家からは、娘が世話になったということで、あれからも毎年季節ごとに、野菜や漬物などを届けてくれていたのだが、加代の話は伝わってこない。

「まあ、しらせがないということは、元気なんでしょうな」

 と茂平はすこし不安そうな顔をして、つづけて、

「たまには……、会ってみたいもんですな」

 と、寂し気に、なにか含みがあるような云い方をする。

 ――ははあ、寄って行こうと俺が云い出すのを待っているのだな。

 茂平は横目で三之助の様子をうかがっている。

 正直、加代とは顔をあわせづらい。会いたくないといっていいほどだ。だが、茂平の期待に満ちたその横目は、三之助に否と云わせないような、圧力のようなものをみなぎらせているようで……、

「ああ、わかった、帰りに時間があったら、足をのばそう」

 三之助は折れた。

「わあ、ありがとうございます、旦那様。加代、元気だといいですなあ」

 と茂平、最近めっきり皺の増えた顔を、さらに皺くちゃにして笑う。まるで生き別れた子供と再会するような喜びようだ。

 無理もない、と三之助は思った。加代とは、あわせて十年ほどもいっしょに暮したのだ。子供のいない茂平夫婦にとっては、まるで子供を気にかけるような情が、わいたとしても無理からぬことだろう。

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