(2)となりの指定席

「あと一分……!」


 時間を確認し、マウスを握りしめる。こんな夜中まで起きていると明日の仕事に差し支えると分かっていながら、こうしてPCの前に張り付いているのは、日付が変わると同時に受付が始まる映画の座席ネット予約のためである。


 観ようとしているのは特に話題作というわけでもない、かろうじて全国公開が許されているレベルのB級映画である。はっきり言って、こんなに気張って座席を取りに行く必要などない。


 しかし、私には「初見の映画は最も見やすい座席で鑑賞すべし」というポリシーがある。好きになった映画は後からも繰り返し見返すが、初めての感動は一度きり。その瞬間を最高の環境で迎えるためである。


「3、2、1……ゼロ!」


 0時までのカウントダウンが終わると同時に、初日初回の予約ボタンをクリック。表示された座席の一覧から、中央やや後ろの席を選んで「決定」する。よし、これで週末の快適な映画ライフが確約される。


"ご選択の座席は既に予約されています。申し訳ございませんが、別の座席を選び直してください。"


「あっ!」


 取られた。先に。私のお気に入りの席を。


「……またアイツか」


 心当たりがあった。なにしろ、これで8勝9敗なのだ。


※ ※ ※


"只今より、15時20分から上映の『アサルト99 戦争警察』を開場いたします。チケットをお持ちのお客様は……"


 多くの客で賑わう週末の映画館だが、私のお目当て作品にはこれといって行列もできず、おじさんたちがまばらに入場していくだけだった。


 ま、指定席なので慌てる必要はない。私は売店で飲み物を購入し、のんびりと入場した。割り当てられた劇場は、シネコンの一番奥にあるキャパ200人ほどの小ぶりなハコだった。


(本当はもっと大きなスクリーンで観たいけど)


 入口から客席を見渡す。ひい、ふう、みい……初日初回にも関わらず、埋まっている座席は一割ほどだ。


(こりゃ、上映してくれただけでもありがたいね……)


 ゆるい傾斜の階段を昇って、中央やや後方のベスト席……の右隣の席へ向かう。本来取ろうとしていた席ではないが、ひとつ隣なら十分に許容範囲内だ。


(……やっぱり、いた)


 私のベスト席に座っていたのは、話したことはなくとも、幾度も見た顔だった。


 キューティクルの眩しい黒髪のボブカットに、少し勝気な切れ長の瞳。アースカラーでまとめた、ゆったりとしたパンツルック。偏見を承知で言えば、いかにもファッションでミニシアターに通っていそうな出で立ちの女性だ。


(とはいえ、コイツのB級映画にかける情熱に私は負けたのだ)


 その事実は動かせない。悔しい。


 ……それはさておき、映画は面白かった。


※ ※ ※


「週末、どっか行ったの?」


 週明けの昼休み。同僚のOLに尋ねられた私は「家で引きこもってた」と嘘をついた。彼女たちとの世間話に、私の趣味の映画は登場しない。以前、どんな映画観てきたの?と訊かれた時に、飛行機の中を埋め尽くした蛇と空中戦を繰り広げる作品について熱っぽく語ってしまい、ドン引きされたからである。


(住む世界が違う者同士は、無理に近づかない方がお互いのためなのだ)


 ……ふと、あの女の顔が浮かんだ。


 もしかしたら、アイツも職場で同じような苦労をしてるのかな。


 ……おい、何を考えてるんだ、私は。


※ ※ ※


(あっ、今日は私の勝ちだ)


 翌週末、私のベスト席の左に例の女が座っていた。勝者は後から取られた座席のことなど気にしないので、劇場へ足を運んで初めて勝利を知る。


(しかし、この映画でも被るのか)


 これから観るのは低予算ビデオ撮りのJホラーだ。同じB級映画と言っても、先週のハリウッド製アクション映画とはまた方向性が異なる。


(まったく、こんなのまで観るなんて雑食だなあ)


 ……あ、私もか。


※ ※ ※


(うーん、結構ベタな展開だなあ。低予算を補うような工夫も無いし、クリーチャーの造形もちょっとチャチいな……)


 思っていたより退屈な内容にあくびが出そうになる。……ああ、ほら、またどこかで見たことのある場面だ。


 暗い茂みの向こうでガサゴソと物音がし、登場人物がそこに注目する。しばらく無音が続き……。


(で、飛び出してくるのは小動物っと)


 予想通り、ウサギがピョンと現れた。こうやってフェイントをかけて油断させたところで、ワッ!と驚かすのが常道だ。


 ワッ!


 ほらね。


 と同時にガタン!と座席が揺れた。


(ん?)


 震源地は左の座席。つい視線を向けた。


 彼女の、いつもより見開かれた瞳はうっすらと潤んでいた。ハッと私の視線に気が付くと、ペコリと小さく頭を下げ、慌ててすぐにスクリーンに向き直った。平静を装ってはいるけれど、その頬が恥ずかしさで紅潮しているのが分かった。


 ちょっと。


 ズルい。


 それはズルいんじゃないの。


 映画は全然怖くなかったのに、私の心臓はバクバクしていた。


※ ※ ※


「えっと……さっきはごめんなさい」


 劇場を出たところで初めて聞いたその声は、想像よりもずっとか細くて頼りなかった。


 ズルい。


「あの……よくお会いしますよね。こ……こういう映画、お好きなんですか……?」


 クールな見た目とは裏腹な、小動物のようにおどおどした動き。


「わ、私、バイト先で趣味の映画の話ができる人が全然いなくって……せっかく面白い作品を観ても語り合える人がいないの、寂しいなって前から思ってて……」


 ズルい。


 同じ悩みなのに、私よりもずっと可愛い。


「きゅ、急にこんなこと言うの、不躾だって分かってるんですけど……あの、わた、私と……映画友達になってもらえませんか……?」


 ズルい。


 本当にズルい。


 そんなこと言われたら。


 今度から席をふたつ取らないといけないじゃない。


-おしまい-

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