ゆりのたね。

権俵権助(ごんだわら ごんすけ)

(1)カーコとミライ

 2020年の冬。


 ある土曜日の午後。


 駅前に着いた私は、待ち合わせの相手が既に到着していることに遠目から気付いた。通り過ぎる人々が、彼女を二度見してはスマホで無許可撮影をしていたからだ。それだけ彼女の格好は周囲から浮いていた。


「おいーっす、ミライ〜!」


 私を見つけた彼女が、ぴょんぴょんと跳ねながら笑顔でこちらに手を振った。すると人々の視線が今度は私に集まった。「あの女性も仲間なのかな。なんの仲間かは知らないけれど」……視線からそんな声が聞こえた。


「……もう、その格好は目立つからダメだって言ったのに」


「や〜、いっぺん家に帰るのがメンドくさくってさぁ。今日半ドンだったから制服のまま遊びに来ちゃった」


 彼女、カーコは高校2年生である。学生が制服を着て何がおかしいのかと思うだろう。しかし問題は「制服を着ていること」ではない。


 たとえば。


 現代の警察官が十手を持ち歩くか?


 現代の公務員が烏帽子を被るか?


 そういう視点で彼女の格好を見てみよう。


 ストレートの茶髪に、ほんのりと焼けた肌。首に巻いたチェック柄のふかふかマフラー。制服に合わせたカーディガンに、膝上いくつというより足の付け根から測ったほうが早そうな、あまりにも短過ぎるスカート。まあ、ここまではいい。


 最大の問題点は、両足首から脛までを覆い隠したダブダブの靴下……いわゆるルーズソックスである。


 今からおよそ四半世紀前に女子高生の間で流行したというそのコギャルファッションは、この2020年に24歳を迎える私からすれば、もはや教科書に載っているサムライゲイシャと同列の歴史上の存在である。


「ていうか、カーコ」


「ん?」


「半ドンって何」


「えっ? 土曜日の授業のこと半ドンって言わない?」


「土曜日の授業って何」


「……待って。もしかして、今って土曜日ぜんぶ休みなの?」


「私の頃はずっとそうだったよ」


「えええ〜! いいなあ! それいつからよ!?」


 スマホを取り出して検索する。


「えっと……公立の学校は2002年からだって」


「げっ、その頃あたしもう卒業してるじゃん! 意味ない! 意味ないよその週休二日!」


「別にカーコのための制度じゃないから。……それよりも」


 周囲を見回すと、また数名がこちらにスマホを向けている。今時コギャルの格好なんてコスプレ以外で見ることはないし、ましてや現役の女子高生が着ている場面は確かに写真に残しておきたいほどレアな光景だ。とはいえ、撮られている方は決していい気分はしない。


「とりあえず、その格好なんとかしないとね」


※ ※ ※


「まあ、これでマシかな」


 カーコを連れて駅前にある大型ショッピングモールの衣料品量販店に入り、適当に地味な靴下を見繕って彼女を着替えさせた。


「え〜、こんなん穿いてんの中学生じゃん」


「今はみんなこういうのなの」


「え〜……?」


 私の言葉にカーコは明らかな疑いの目を向けた。


「なによ? この時代のことは私の方が詳しいのわかってるでしょ」


「いやあ、時代って言うかさあ……」


 なんだ、妙に口籠るな。


「?」


「だってミライ、今年24でしょ? 今の女子高生の流行わかんのかなって……あっ待ってゴメンて! 暴力なし! その鞄下ろして!」


 まったく失礼なやつだ。……それにしても。


「……な、なに。なんであたしの足ジロジロみてんの」


「いや、すっごく細いなと思って。なんでその足わざわざルーズソックスで隠すかなあ。もったいない」


「ちょっと! 視線がなんかエロいんですけど!」


「太もも放り出しといて何言ってんだか」


「もう〜! それより早く連れてってよ! おいしいデザートのお店!」


「スイーツね」


「スイーツ! それ!」


※ ※ ※


「電車はあんまり変わってないんだね」


 細い指でつり革に掴まりながらカーコが言った。目的地までは7駅。休日だけあって乗車率も高く、ふたりで立ったまま四半世紀変わらぬ乗り心地を感じていた。


「けどさあ、まさか地元にあんなチョーでっかいショッピングモールができるなんて思わなかったわ。あそこだけでなんでも揃うじゃん」


「うーん……あれができたの、確か私が小1の時だったかな? もう、あるのが当たり前すぎてそんな感動ないよ」


「ぜーたくもんだなぁ。けどさ、なんでわざわざデザ……スイーツ食べに市内まで出るわけ? 地元のモールにもそういうお店あったじゃん」


「言ったでしょ。私にはもう特別感が無いの、あそこには」


「じゃあ、今日は特別なやつが食べられるんだ!」


「そうだね」


※ ※ ※


「わっ、並んでる!」


 目的のお店から伸びる行列を目にしてカーコが驚きの声をあげた。


「去年の夏はもっとすごかったよ」


「へえ〜。で、これ何のお店?」


「タピオカ」


「タピオカって、あの小さいツブツブしたやつ?」


「小さいかな? ツブツブはしてるけど」


「ココナツミルクに入れるやつでしょ」


「ミルクティーじゃなくて? そういうお店もあるのかな」


 どうも話が噛み合ってない気がするが、昔のタピオカはそうだったのだろうか。まあ、全然違うものになっている方が連れてきた甲斐があるというものだ。


「いらっしゃいませ。お待ちの間に、こちらの用紙に注文をご記入ください」


 最後尾の私たちのところまでやってきた店員さんが、そう言ってメニューボードと注文用紙を渡してくれた。


「へ〜、タピオカ入りの紅茶かぁ。たしかに美味しそう。……うわ〜、結構種類あるんだね。で、どれがオススメなの?」


「えっ?」


「だから、ミライのオススメどれって」


「あー……オススメ? オススメね……うーん、とりあえずミルクティーが定番かな?」


「甘さは? どれ?」


「え、甘さなんて選べるの?」


「…………おい」


 カーコの冷たい視線が私に刺さり、思わず目を逸らした。それが彼女に確信を与えてしまった。


「さては貴様、ここに来るの初めてだな……?」


「………………だって」


 ちらりと前方の行列に目をやる。並んでいるのはほとんど女子高生である。


「本当は去年流行った時にね……飲んでみたかったのよ……」


「でも、女子高生に混ざって並ぶ勇気がなくて? そうこうするうちに流行が終わりそうになって? あたしをダシに使って飲みに来たと?」


「………………その通りです」


「はぁー! その童顔で何言ってんだか! つか、そんなの誰も気にしてないし!」


「そ、そう?」


「そーだよ。あたしハンバーガーショップでバイトしてっけど、いちいち客のことなんか覚えてないって!」


 それが事実なのか、それともカーコの記憶力の問題なのかはさておき、これだけ自信たっぷりに言われるとそうなのかも……という気がしてくるから不思議だった。


「それにしても……うーん……」


 と、今度はなぜかカーコが行列を眺めて唸りだした。


「どしたの」


「……いや、並んでる子たち、みんな似たような感じだなーと思って」


 言われて、改めて前に並ぶ女子高生たちを見てみる。白い肌にストレートの黒髪。ほどほどのスカート丈。鞄につけた小さなマスコット。確かに、後ろから見ているとほとんど区別はつかない。


「まあ、カーコほどの個性は無いかもね」


「んー……ミライはあたしのこと個性的って言うけどさあ、あたしの時代じゃこの格好が多数派なんだよね。美白で黒髪の子なんてクラスに何人いるか……」


「なに、急にどうしたの」


「いや、あたしも周りからはあんな風にみんな同じに見えてるのかなって。髪染めて、ルーズソックスはいてさ」


「……ま、そうかもね。でも、自分が良いと思ったからその格好してるんでしょ。じゃあ、堂々としてればいいじゃない」


「そっか、確かにね……って、会うなりルーズソックス脱がせた人がそれ言う?」


「そりゃあ、この2020年にルーズソックスなんて、髪型をチョンマゲにするって言い出すのと同じだもん。止めるでしょ普通」


「チョンマゲて! ルーズソックス、いくらなんでもそこまでヒドくないっしょ!」


「ん」


 私はスマホを取り出してSNSの検索結果をカーコに見せた。


"ルーズソックス! 実物はじめて見た!"


"【速報】コギャル最後の生き残りを発見"


 そんな見出しと一緒に、カーコの写真が珍品扱いで投稿されていた。


「まーじか〜……」


「まじよ」


※ ※ ※


「うんまっ! チョーもっちもちしてるし!」


「ほんと……。これは流行るだけのことあるわ」


 近くのベンチに隣同士で座って、ふたりで初めてのタピオカミルクティーを味わう。


「おいしー。あたしの時代にもできないかなタピオカのお店〜!」


 ちらりと覗いたカーコの顔に満面の笑みが浮かんでいるのを見て安心した。元々は私のワガママだったから。


「……さて。飲み終わったら次、どこ行く?」


「この時代のことはミライの方が詳しい。……でしょ?」


 カーコがいたずらっぽく笑った。


「んー、それじゃあこの間できたランドマークタワーにでも行きますかぁ」


「やった!」


「……この間って言っても8年前だけど」


「フフン、あたしにとってはまだまだ未来の話だからそんなことは関係ないのだ!」


 そう言って、ふたりでゲラゲラと笑った。


※ ※ ※


 一日、たっぷりと遊んで。


「カーコ、駅着いたよ。起きな」


 行きと違って、帰りの電車はほとんど貸し切り状態だった。私にもたれかかって無防備な寝顔をさらしている彼女の肩を揺する。


「んん〜。……あれっ、もう着いたの!?」


「カーコ、座ってソッコー寝てたよ」


「まじ? よだれ大丈夫だった?」


「セーフ」


「セーフ! あ〜、今日ほんっと楽しかったなー! 帰りたくないよ〜!」


「喜んでいただけてなにより」


 電車が大きく揺れて、扉が開いた。駅を出てカーコと別れた瞬間に、今、胸いっぱいに詰まっている楽しい気持ちは思い出に変わる。


「……カーコのいる時代ってさ」


「ん?」


「こっちと比べて、そんなにつまんないの?」


「うーん、そうでもないよ。あっちはあっちで楽しいこといっぱいあるよ。あたしが帰りたくないのは、こっちにミライがいるからだし」


 そういうことを、高校生は何のためらいもなく言ってしまえる。そのまっすぐな気持ちをどこかに置いてきてしまった今の私には、「そっか」ぐらいしか返してあげられない。


「カーコ、次はいつ来るの?」


「んー、わかんないけど、たぶんまた次の土曜日かな。……あっ、今度は第2土曜で学校休みだからね!」


「24年前の私服のセンス、楽しみにしてる」


「ふふっ、一周回って流行るかもよ。……あ、靴下はき直さなきゃ」


 と鞄からルーズソックスを取り出して、駅の待合室でカーコはまたコギャルの姿へと戻っていく。私には馴染みがなくても、彼女のいる時代ではそれが普通なのだ。


「じゃー、待たね!」


「うん。また」


 軽やかに駆けていくカーコの背中に少し寂しさを感じていると、ふと彼女が振り返って言った。


「そうだ! ココナツミルクのタピオカ、今度作ったげるね!」


 不意の言葉に、私は自分でも驚くほど素直に「うん」と頷いていた。


 ……なんだ。


 時間の壁、意外と薄いじゃない。


-おしまい-

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