第17話
猛烈な睡魔と格闘しながら毎朝の
それは今なお鮮明に焼き付いている今朝のことだ——
ああ、朝日だ。一瞬たりとも気の休まるときはなく、これっぽっちも体を休めることも出来ぬまま僕は朝を迎えた。原因は背後で寝息を立てている少女だった。背中合わせで眠り始めたはずだったが、今ではがっちり背後からホールドされる格好になって身動き一つ取れない。背中が触れるたびに距離をとった僕が悪いと言わんばかりに、彼女は容赦なく寝返りをうって僕の領地へと侵入を続けて来た。無防備に眠る女の子一人相手に為すすべもなく撤退を繰り返し続け、ジンジンと痛む臀部はそんな彼女の膝がめり込んだ結果だろう。まさかこんなに寝相が悪かったとは……
今何時頃だろう。この部屋には時計が無いから、どうにも彼女のモーニングコールに頼り切った時間感覚で生活している節がある。以前あがり込んだ時、彼女の部屋にはゼンマイ式の壁掛け時計があったのは覚えているし、街のいたるところに時計はあるのだが……いかんせん値段が高いのだ。この世界では電子機器の発達はまだ殆ど見られず、発条細工は職人による手作業でしか作られていない為品数も少ない。結果、最近まで使われていなかったこの部屋に時計が無いことは必然と言える。さて、そんなくだらないことを考える程にすることがない。
そろそろ彼女を起こそうか。と、もう何度目かもわからない膝蹴りを食らって決心する。さぁどうやって起こそうかと言うのが問題なのだが。
「あ、朝だよー……起きてー……」
僕は小声で呟いた。臀部が痛い。時間もそろそろ。それに彼女が起きたとして、僕がすぐには起きられる状態に無いと言う点も踏まえて、もう彼女を起こさなければならない。ならないのだが……
「……ミラさーん(小声)」
誰かを起こすのなんて、小学校の運動会の時父さんを起こした時以来で勝手がわからない。というか大丈夫? 起こしたとして痴漢にならない? 眠ってる女の子に近付いた罪みたいなので投獄されない? そんなことを考えている内に、お日様がいつも見る朝日より随分高い位置まで行ってしまった。やはりそろそろ……いやでも……
「……んん…………」
背中で感じる体温にドキドキ、尻で感じる鈍痛がズキズキ、寝不足
「きゃあああああ⁉︎」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛‼︎」
我慢する必要のなくなった絶叫を上げて僕は悶絶した。尻が……尻が割れる……
「なっ⁉︎ なななんでアンタがこここッッ⁉︎ 何処ッ⁉︎ 私の部屋じゃ無……あ……」
「思い……出して……」
息も絶え絶えに僕も必死で言葉を絞り出す。しかし彼女の方へ振り返るわけにもいかず、尻を抑えながら海老みたいに丸まったり仰け反ったりを繰り返した。どうやら尻は無事らしい。穴も開いてなさそうだ。
「……えーと。ご、ごめんね」
そう言いながら近寄るミラに静止するよう、可能なら後退するよう手で指示を送る。ちらりと肩越しに彼女を見ると全く意味が伝わっていないようで、仕方なく僕はシーツ……のように薄い掛け布団を下半身にかけてやり過ごそうとした。
「だ、大丈夫? って今何時……なんて聞くまでもないわねこれ! ほら起きて! 早く行くわよ!」
「ちょ、ちょっと待っ、待ってくださいお願いします!」
今はまだ起き上がれない。いや、起き上がっているのだが。布団を剥ごうとする怪力娘と貧弱アラサー未成年との攻防は、ヘビー級王者と小学生が戦うより結果が見えていた。違うんです。そう言うよりも前に真っ赤になった彼女の拳は的確にわき腹を抉った。世界を狙える良いフックだったと識者(?)は語る。
「わ、私は先行ってるから! 早く来なさいよ!」
「お……おーけーチャンプ……」
バタンッ! と彼女が飛び出して行ったドアが閉まる。そしてまた同じ音が隣で二回、すぐそこで二回鳴って、元気な足音がどんどん遠のいて行った。霞む視界の中に捉えたのは、ドア付近に置いていかれた荷物鞄だった。これで最悪彼女と入れ違いになっても仕事は出来るね。鋭いボディブロウにさっきまでの元気印は倒れ、わき腹と尻さえ良くなれば動ける状態にはなっていた。
呼吸を整え、鞄を持って部屋を出たのは大体五分程苦しんでからの事。チラリと中身を覗くまでもなくいつもより重い鞄に仕事の多さを悟り、急ぎ足から駆け足に変速して教会までやってきた。彼女に合わせて形だけやっていただかの朝のお祈りだったが、それも無しに浴場直行は流石に勇気が足りない。とりあえず十字架の前で見よう見まねのお祈りをする。今更だが男と女で作法が違うとかは無いんだろうかと不安になった。
彼女は……見当たらない。まだお風呂だろう。僕も湯の効能が打ち身に効くことを祈りながらさっさと浴室に入る。流石にもう人が多い。いつもの様にはくつろげない物足りなさはあったが、今はそんな場合でも無し。寝落ちの不安と時間の不足を危惧して、今日はカラスの行水だ。そのおかげか教会で彼女と合流出来たのは僥倖だろう。
「……大丈夫……そうね。うん、大丈夫よ」
随分と押し付けがましい大丈夫を貰ったが、僕は文句を飲み込んだ。彼女には聞いておかなければならないことがある。
「そういえばその、やっぱりもう一人くらいは誰か一緒に着いて来てもらう方がいいんじゃないかな……って、思うんだけど。誰かいないかな、戦える……大人の人で」
「……残念ながらアテは無いわね。この街の兵士や魔術師は基本的に王都の方へ徴収されちゃったもの」
王都。また新しい単語が出て来たが今はそれは横に置いておいて、どうやら彼女は誰か思い当たる人物がいるようだ。街の人のことなら熟知している彼女が、本当にアテもなければ即答していただろう。そうでないと言うことは、彼女がその人物を戦いに巻き込むことを避けようとしていると言うことだ。
「……分かった」
きっと彼女も僕がそれに勘付いたことは分かっただろうが、僕らはそれで別れた。彼女としてはその人を戦わせたくない気持ちと、僕の危険を減らしたい気持ちの天秤が釣り合っているのだろう。
いつかボガード氏と出会った日の時を思い出す。僕が今日やるべきことは二つ。まず与えられた仕事をなるべく早く終わらせること。そして先の人物を探し出すこと。結局のところ街中走り回って仕事がてら聞き込むしかない。少し重い鞄の肩掛け紐をしっかり握って僕は走り出した。
——そうして今朝から走り回って、現在はお昼。得られた署名はノルマの三分の一。情報は……無い。しかし彼女の、ミラの話は毎度のことながら積もるように聞かされた。彼女の過去の話を散々聞いているにもかかわらず、家族のことや出自がわからないのも相変わらずだ。
今日は彼女と一緒にならなかったな。と、一人で昼食を済ませ、カエルの香草焼きと言う名の雑草とカエルの丸焼きはもう二度と頼むまいという感想を共有出来なかったことを悔やみながら午後のお勤めに戻る。満腹で眠たくなる事を危惧していたが、カエルのインパクトと香草の爽やかな原っぱの香りにそんな気分にもならなかったのは予期せぬ幸運と言えようか。いや、不幸だろう。行く先々でやれ顔色が悪いだの、クマがすごいだの、昨晩はお楽しみでしたか、だの心配されながら仕事をこなしていった。しかし先の人物の情報は得られない。
残りも五分の一といったところ、時間もそろそろ日が赤らむ頃か。一軒の仕立て屋で、僕はようやく彼の情報を手に入れることとなる
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