第18話
タタタタッとミシンの小気味好い音が響く中、仕立て屋の店主に話を聞いた。その男はかつて勇者一行とも共闘したことのある腕利きの騎士である。もとは王都の守兵として前線にいたのだが、その王都で行われた大規模な防衛作戦の折、脚を負傷して退役。生まれ故郷に帰るも魔獣に村は滅ぼされ、ただ一人この街に落ちのびてきた、と。
彼の名前はロイド=カステール。今は結婚して、奥さんと一緒に食堂を営んでいると言うが……なるほどなるほど。
「お口に合いますかな。そちらは今朝市場で仕入れてきたカボチャとズッキーニ、それから鴨のテリーヌです。ソースに使っている卵とミルクはエンニオ老の牧場から飛び切り良いものを使って、私の畑で育てたレモンと合わせた、この街の匂いが感じられる優しい味わいに仕立て上げております」
なるほどなるほど、これは美味い。テリー……? とにかくこの世界に来てから食べた何よりも美味しい。惜しむらくは量が足りないことだが……
「……申し訳ございません。準備した食材は殆どランチにいらしたお客様にお出ししてしまって、オードブルを振る舞うくらいしか今の私共には……」
「いえいえすみません。突然やって来たのに、こんな美味しいものを振る舞って頂いて」
なるほど……なるほど。左右で足音の違う爽やかな偉丈夫。シェフ・ロイドこと彼こそが件の騎士、ロイド=カステール。この街で唯一、魔獣と戦う
「話には聞いていましたが、市長が本当に秘書を。それも私と同じ難民とは……いえ、失敬。それは問題ではありませんね」
慣れないフォークとナイフでテ……料理を頬張る僕を尻目に、彼は書類に目を通しサインをしてくれる。歳は三十前後……僕と同じか少し若いだろうか。元騎士と言うだけあって礼儀正しく、おそらくは義足だろうに立ち居振る舞いの凛とした姿はまるでロマンス映画の主演男優のようだ。洋画は殆ど見ないけど。しかし、同じアラサーでこうも違うものかと思わずにはいられない男前ぶりには嫉妬する。
「アギトさん。よろしければ市長も一緒にまたいらしてください。その時はフルコースでおもてなしさせて頂きます。勿論リンゴ酒も準備して」
リンゴ酒……シードルだったっけ? フルコースとは魅惑的な響きだが、未成年に対してお酒はどうなのか。この街では未成年飲酒禁止法とか無いんだろうか。いや、無くても変でもないか。ほのかに甘い柑橘類の香る水を飲み干してそんな事を考える。すべて食べ終えた頃を見計らって、彼は結局住民票に名前が決まった署名を丁寧に手渡す。ロイド=カステール。配偶者ニーナ=カステール。夫妻揃って食事処経営。住所の二番地六区十三という味気ないのはもう少し凝っても良いような気もするが、確かに間違いなく記入されている。確認しました。と、僕は受け取った羊皮紙を鞄に仕舞い込んだ。外はもう薄暗く日没も近いが、これで市長秘書としての仕事は終わった。あとは忘れず失くさず彼女に届けるだけだ。
だからここからは僕の個人的な仕事。情報を得て僕は意図的にこの家……この店を最後に回してさらに聞き込みを続けてきた。彼こそ間違いなく元王都守兵。彼の店が僕の受け持ち範囲に含まれていたのが偶然か否かはわからないが、僕は彼に不躾ながらお願いをしなければならない。
「ロイドさん、実は折り入って相談したいことが。えっと、これは市長秘書としてではなく、僕個人からなんですが……」
初対面の人間からそんな事を言われて彼は奥さんと顔を合わせて困惑していた。それでも突っぱねないで何でしょうと聞いてくれるのは、彼の人柄の良さが溢れ出まくってるポイントだろう。
「かつて貴方は騎士だったと聞きます。そんな貴方に僕達の……魔獣討伐の助力をお願いしたい」
彼はまた驚いた。が、すぐに難しい顔をして考え込む。それよりも彼の奥さん、ニーナ夫人の表情が一瞬で険しいものになった。それもそうだろう。と、彼の脚を見て思う。僕も心苦しいし申し訳ないとは思うのだが、頼るアテは他にない。かの老爺が彼女にしているのと変わらない、卑怯なこととも分かっているが、それしか選択肢を持たない自分の無力さはもっと分かっているつもりだ。
「……申し訳無いのですが、一つ先に確認したい。貴方はそれを、貴方個人の頼みだと言いましたね。それは何故ですか?」
返答は意外な質問だった。
「市長の身を……彼女の負担を少しでも軽減したいと。少しでも危険を減らして——」
「いいえ、そうではない」
彼は僕の言葉を遮って、先程までとは全く違う強い口調でそう言った。彼の表情はもう優しいシェフの面影を感じさせない、冷めきった顔に変わっていた。
「問いたいことは一つ。何故市長秘書という立場を利用して命令をしなかったか、という事です。元軍人を再徴兵というのであれば、私も悩む事なく首を縦に振ったでしょう。それは騎士の誉れでもありますから」
「それは……立場を利用して言うことを聞かせる様なことを……」
ドクン、ドクン。と、自分の鼓動が大きくなるのがわかる。シェフ・ロイドではない。威厳あるサー・ロイドを前に、自分が萎縮していくのがわかる。それでも自分の信念を伝えようと、あの老爺の様にはしないという決意を伝えようと震えそうになる声を絞り出す。
「では、貴方は言葉ほど彼女を案じてはいないのですね」
「〜〜違ッ! そんなわけ——」
冷たい言葉だと思った。ロイドさんではなく、老爺の事だ。心配はするがそれでも仕方がないから危険を承知で戦えと命じる彼の言葉を、血も涙も無いと。だからそうはなるまいと、身を案じるのならば本人に決定権をちゃんと与えようと……
「ならば命令するべきだ。戦え、と」
違う。それじゃあ一緒になってしまう。自分の口がパクパク動くだけで、なにも音を発しなくなったのがわかった。
「貴方は彼女を守りたいのでも、私を尊重したいのでもない。ただ自分が傷付きたくないのだ」
違う、違う! 叫びたいと暴れる心とは裏腹に乾いた唇同士が触れるのを感じた。
「何かを守りたいのなら、その為の最善を尽くすべきだ。たとえそれで他の何をも傷つけるとしても、そうしなければ守れない自分の弱さを恨んで切り捨てるべきだ。切り捨てたものになど、申し訳ないとだけ言って前を向いていなければいけない。決して立ち止まって慈しんだりしては駄目なんだ」
…………違う……
「そうして進む気高い精神にこそ、私達は敬意を評して死のう。礎となる為に生きられたという誇りと共に」
間違えたのは僕か……? 僕の薄っぺらい信念などは簡単に覆る。老爺と僕とでは見ているものが違うのだ。老爺はこの街を、国を、世界を。僕は彼女一人を守りたいと思った。その願いに優劣はなく、あったのは僕と老爺の覚悟の差だ。急に申し訳なさと恥ずかしさが込み上げてくる。
「申し訳ありませんが、この話はお断りさせていただきます」
「…………はい、無理を言ってすいませんでした」
きっと彼は今からでも、手のひらを返して、立場を使って命令すれば引き受けてくれるのだろう。いや、命令しなければいけない。彼女を、ミラを守ると決めた以上、今自分がかく恥など気にしている場合ではない。場合ではないのに……
「私は貴方のその弱さを否定しません。それは傷付ける恐怖を知っているものの、優しいものの弱さです」
どうしても言えなかった。恥ずかしさもある、申し訳なさもある。それに夫人の暗い顔を、ロイドさんの脚を見ておいてそんなことを言う勇気が無かった。彼がかける優しい言葉も今はただ苦しい。
「……アギトさん。貴方の優しさは私には新鮮なものでした。そのことのお礼として、こんな走れもしない料理人より相応しい人物を紹介しましょう。尤も、交渉までは関与出来かねますが」
顔を上げるとそこには優しい顔のシェフがいた。彼はにっこり微笑むと、手近にあったナプキンになにかを記し始める。
「偏屈で物好きな老騎士、名前をゲンと言います。元王族近衛兵でもあり、退役後も王都で指導官をしていた私の師にあたるお方です。今は丁度、故郷であるガラガダに隠居していると聞きました。おそらく彼を師事する若者を今でも鍛えているはずです」
これは……絵? なにやら曲がりに曲がったキュウリの様な……ラッパの様に先が広がっていて……なんだ……?
「もし彼を見つけられるとしたら、これが目印になるでしょう。偏屈なクソジジイはいませんかと聞き込んでもいいかもしれません」
「クソ……」
ロイドさんの口から思いもよらぬ汚い暴言が飛び出した。よっぽどな人物なのだろうと今から緊張してくる。
「私の名前を出しても特に意味はないでしょうから、紹介状なんかは書きません。どうせ忘れていることでしょう。それから……」
綺麗に三つに折ったナプキンを両手で手渡しながら彼はそう言った。そしてまたにっこりと笑って僕の肩を叩いて続ける。
「貴方はそのまま、優しいままの方がいいでしょう。きっとその弱さが強さになる時が来るはずです」
そんな意味深な言葉を最後に、彼は一礼して空いたお皿を片手に厨房へと消えていった。
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