第16話
ドアから外に出ると、そこにはドレスから着替えたミラの姿があった。着飾っていない、見慣れた子供っぽい彼女を見てほっと胸をなでおろす。どうやら不敬罪は問われずに済んだようだ。
「アギト……」
彼女はひどく申し訳なさそうな、そして寂しそうな顔で僕を呼んだ。さっきの今で僕もまだ動揺を抑えきれた訳ではなかったが、精一杯明るい顔を作って彼女に駆け寄った。
「帰ろう」
そして勇気を出して彼女の手を取ってそう言った。偉い人相手にあんな事言った後で今更だが、随分度胸がついた……というか人と関わることに慣れたものだ。ミラは嬉しそうに目を輝かせ、でもすぐに曇った表情で頷いた。それでも帰り道の間、僕らは手を離さなかった。
「それじゃ今日はもう寝よう。おやすみ」
そう言って僕は彼女と別れて部屋に入った。手を離した時にみせた彼女の口惜しそうな表情に少し後ろめたさを感じたが、僕も彼女のことばかりを考えていられる状況じゃなかったのだ。
煎餅布団を敷いて僕は仰向けに寝転んだ。目を瞑っても眠気はまだ来ない。
老爺の言葉を思い出していた。彼女を心配する願いと、彼女を死地へと追いやる命令。きっと彼もあの命令を下すのは苦しいのだろう。それでも許されるものじゃない。しょうがないとか、事情があるからって傷付けていい人なんていないんだ。憤りはきっと老爺に対するものだけじゃなかっただろう。今まで散々垂れ流してきた誹謗中傷の言葉を、今一斉に浴びているような気分になった。
「アギト……まだ起きてる……?」
朝以来に壁越しからミラの声が聞こえた。あまりに声が近いものだから飛び起きて辺りを見回してしまう。壁お前……薄すぎやしないか……
「あぁ、起きてるよ」
動揺を悟られぬよう淡白な返事をした。しかし返事はなく、ぎぃぎぃと床の軋む音が数度あっただけだった。
「……ミラ?」
もどかしくなって今度は僕から呼びかけた。彼女の小さな背中を思い出して、無性に声が聴きたくなったから。彼女が消えて無くなってしまうんじゃないかという、ありえない恐怖を搔き消したかったから。
突然ガチャリとドアの開く音がする。ゆっくり入口の方を見ると薄暗い中にミラの姿を見つけた。
「ごめんね。顔、見たくなって」
不意にしおらしいところを見せるものだからドキッとする。同時にギャップ萌えは良いが、やはり彼女には笑っていて欲しいとも再認識した。
彼女は上着も着ずにやってきて、それから一言も発せずにゆっくり僕のところまでやってきた。実を言うと小生、うなじとか首筋とか、肩とか鎖骨とか首を中心に多くのフェチを抱えていましてな。薄着になってそこら辺無防備になった彼女はどこに目をやったらいいかとても困惑するのですな。顔? いやいや見れたら三十路まで引きこもりやってませんってほんと。
「…………」
「………………」
彼女は僕の前にぺたんと座り込んで、そのまま黙り込んでしまった。僕も僕で女子に対して話を切り出すスキルを持っていなくて、奥義“相手の後ろ一メートル辺りを見つめる”を発動したまま時間が過ぎるのを待つ他なかった。
俯いたままの彼女と虚空を見つめる僕の間に長い沈黙が流れ、意を決したように彼女が顔を上げたのは、この部屋に二人の息遣いだけが聞こえるようになってからおよそ十分と言った頃だっただろうか。
「昼間のこと、ごめんなさい。せめて貴方には説明しておくべきでした」
僕は金槌で頭を殴られたような気持ちになった。遠くに合わせていた焦点も驚いて彼女の顔に自動補正される。
「貴方の言う通り、魔獣の討伐も市長としての仕事も全うします。二人で頑張って倒しましょう、蛇の魔女なんて」
唇を噛んで彼女の言葉が終わるのを待つ。確かに僕は笑っていてほしいと願ったが、こんな引きつった作り笑いが見たかった訳じゃない。
「だから……だから…………」
彼女は言葉に詰まった。僕は最初彼女が距離をとって、本心ではないところで話をしようとしているのだと思った。あからさま過ぎる口調や態度でそう感じ取っていたが、それはまだ半分だった。彼女は顔を歪めてボロボロと泣き出して言葉の最後を絞り出そうとしていた。
「……お願いだから……貴方はここにいて……」
本心を隠すために距離を置こうとしたのでは無い。距離を置きたいと言うこと自体が彼女の本心だったのだろう。きっと彼女は僕を置いて一人で行こうと考えて、しかし彼女の義理堅さがそれを許さなかったのだ。
「……わかった、ここにいる。ただし……」
彼女の気持ちはわかる。と言うか僕があの老爺に憤ったのと根本が同じなのだから当然だろう。しかし……
「ただし、討伐任務には一緒に行く。これは譲らない」
譲るわけにはいかない。彼女の気持ちに同調すればする程この意地は固くなるだろう。だから彼女の提案を受け入れつつ、僕の意地を通す返事をした。
「君が……お前が帰って来る場所として、一緒に帰って来る。一歩だけ先に俺がここに帰れば文句ないだろ」
もう屁理屈だった。しょうがないのだ。彼女は折れないし、彼女が折れない限り僕の意地も折れない。行き着く先は理解不能で、緊急的に不時着するしかこの話には終わりがありえない。
「なん……それじゃ意味無——」
「あとそれ! 貴方とか敬語やめろ! いいから。足引っ張らない程度に逃げ回れば良いんだろ? そのくらいは訳ないって」
彼女を説得する気は無いので屁理屈ついでに暴論で叩き伏せる。キリがないから終わり! 閉廷! そんな有耶無耶な終わりで良い。良いから……
「だからもう泣くなって。似合わないし、見たくない」
流石に彼女も何か言いたげで、必死に目をこすって……ああ、そうだ。彼女はこのほうがらしい。
「なんなのよその言い方! 女の子が泣いてるんだからもうちょっと優しい言葉とかかけなさいよ!」
食ってかかる、というかもう食いつく一歩手前みたいな距離の詰め方で僕の胸ぐらを掴んできた。ううん、元気が一番だけど思ったよりグイグイきて困惑というか、ヤンキーにメンチ切られてるみたいで普通に怖い。きっと顔を見れば、目を腫らした可愛い女の子が急接近⁉︎ で、きゃっきゃ出来る状態なのだろうが、あいにく焦点は明後日の方向で、得られる情報は全く抵抗を許さない絶対的な力で襟元を手繰り寄せられたという事だけなので……正直涙が出そうなほど怖い。
「…………ミラ?」
次第に拘束は緩んでいって、胸元で少女らしい笑い声が漏れ始める。
「……ッ⁉︎」
「ありがとう、アギト」
ミラは頭を僕の胸に押し当てるように体重を預けてきた。近い! 近いしめっちゃ良い匂いするしあったかいし! さっきまでの力がどこから来ているのか分からなくなるほど軽い。ああ、何度でも実感させられる。彼女はまだ幼いのだと。その儚さに怖くなって、どこかへ飛んでいってしまわぬよう抱きしめ…………られたらとてもムーディだろうなあと考えながら、僕は両手の置き場所に困り続けた。
「うん、よし。元気でた。もう大丈夫」
そう言って彼女は僕から離れていった。奇しくも諸手を挙げて降参のポーズをとるような格好になっていた僕を見て彼女はまた笑って立ち上がった。
「ごめんね、夜遅くに。明日には名簿出来ちゃいそうだから、明後日かその次か、出来るだけ早くに行きましょう。蛇の魔女なんてボッコボコにしてやるわ!」
ボッコボコ……うーん蛇の魔女とやらが気の毒になってきた。鋭い突きを繰り出す彼女を見て心からそう思う。というか名簿もう出来ちゃいそうって一体彼女はどんなペースで街を回っていたんだ。
「まぁ元気になってくれたなら胸を貸した甲斐があったよ。もし不安があるなら今晩は一緒に寝てやろうか?」
ふと頭に浮かんだジョークをかます。そろそろ“何言ってんのよ。魔獣が怖いから一緒に寝てくださいってお願いするところでしょ”とか、無言の蹴りとかが飛んで来ても良い頃だが、はて。焦点を少し手前、もとい彼女に合わせると驚いたような、そして何か考え込んだような表情でこちらを見ている。
「……うん。お願いしてもいい?」
「……Really?」
彼女はおずおずと僕の横に座り込んだ。その夜、背中越しに感じる体温と寝息に僕が寝付けなかったのは言うまでもない。
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