第15話


 ミラは明らかに不機嫌だった。その態度はあからさますぎる程だ。余計なこと言って……と、小さく呟くのが聞こえた。彼女が初めて見せた僕に対する冷たい態度に、胸が締め付けられる様だった。

「さて良いかな。本来ならば彼女から説明している筈だったのだが、今日伝えたかった用件を一から説明しよう」

 そんな彼女のことなど意に介さず、老爺は僕に説明を始める。

「勇者が没し、我々と魔獣との戦力均衡は遠い昔の話となった。魔獣どもは人を食い、我々はそれに抗う。これは生存競争なのだ」

 老爺の言葉は理解できる。しかし実感がわかない。僕が知る世界において、動物に人が襲われるというのは凄惨な事故として扱われる。しかも食われるとなれば耳にする事すら稀で、少なくとも僕は聞いたことがない。

「魔獣は他の獣とは文字通り一線を画す。火を恐れず、より獰猛で、異様なほどに執念深い。奴らが巣を張れば、そこに近寄ることは死と同義になるだろう」

 まるっきりRPGのモンスターのようだ。あるいはクリーチャーか。ゲームの獣型エネミーのようなシルエットを頭に浮かべながら話を聞く。

「この街は安全だ。もっとも他に比べてと言う話だが。しかし他所の街、国はそうとは限らない。難民については流石に聞いていたかな?」

「はい。町や村にいられなくなって、逃げられた人々がこの街へもう何人も来ていると」

「よろしい」

 ミラの話を思い出しながら答えた。彼女の様子は……ダメだ、まだ不機嫌そうだ。

「近くにガラガダという街があってな。人こそ多くないが鉱物資源や土壌に恵まれる大きな街だ。そのガラガダとこの街との間に魔獣が巣を張ってな。このままではかの街も魔獣に飲み込まれてしまう」

 なるほど、そして僕達にその巣を潰して来てほしいと。拠点制圧なら慣れたものだ。さあ今すぐにハイスペゲーミングPCとゲーミングマウスを準備しろ。有線も完備のをな。

「巣を潰してもすぐに別の魔獣が住み着くだけだろう。よって今回は魔獣の頭、ここら一帯の魔獣を統治している蛇の魔女を叩いてほしい」

 おっとレイドボスでしたか。しかし蛇の魔女とは安直な。

「えっとそれで、その魔女を倒しに行くのは分かったんですが……」

 さて現実を見よう。僕が敵を倒せるのはあくまでもゲームの中の話。彼女もいくら力が強いとは言っても少女だ。とてもそんな危険に身を晒すべきではない。だからこの依頼はきっと、人手が足りない討伐部隊に一人でも頭数が欲しくて、傷を癒せる彼女の手伝いとして、衛生兵として従軍してほしい的な以来ってことでオーケー?

「……ああ、そうだ。この街に軍事力はもう無い。私は彼女に、可能な限り戦力になり得る人物を募って討伐任務に当たるよう命を下した」

「それはつまり……」

 彼女と僕の二人で散々危険だと言っていた魔獣の巣を潰し、頭目を倒せと。いやいやちょっと待ってくれ。そんな、パーティは四人まで、なんてのはゲームシステムの都合で……

「貴方は街に残ってくれればいいわ」

 ひどく冷たい声が聞こえた。ここに来るまで見ていた彼女の姿が全て嘘のように冷徹な目をしていた。

「私が留守の間だけ市長の仕事をこなしてくれればいい。ううん、貴方みたいな人をもう数人集めてみんなを市長にしましょう。そうすればもう私がいなくても街は大丈夫でしょう?」

 何を言っている? 彼女は何を言っているんだ? 僕が彼女の代わりに? 彼女がいなくても? 湧いた感情は一つだけだった。

「私は一人で戦います。道中どこかの兵士とも合流することがあるでしょう。それで十分で——」

 パシンッと乾いた音が部屋に響いた。何が起こったのかわからなかったが、頰を赤く晴らして僕を睨むミラの姿は確認出来る。どうやら僕は彼女に手を上げたようだ。

「っごめん! 叩くつもりじゃなかったんだけど……」

 しどろもどろしながら言い訳を並べた。そうじゃない、そうじゃないだろう。変われると言ってくれたんだから。背中を押された勢いだけで終わらせちゃダメだ。

「……俺も行く。あと戦えそうな人も探して一緒に来て貰う。一人でなんて行かせない」

 彼女は驚かなかった。僕の言葉を聞いて、間をおいて彼女がとったリアクションは嘲りだった。声を上げて、顔を歪めて僕の言葉を笑ってみせた。

「貴方が来て何が出来るの? さっきの話、聞いていたでしょう。貴方がわざわざ危険に身を晒す必要なんて——」

 彼女は言葉に詰まってしまった。向いていないのだ、彼女に切り捨てるという選択は。だからつらそうな顔で、他人行儀な言葉で突っぱねようとする。

「だったら守ってくれ! 俺が危なく無いように、誰も傷つかないように! 私がいなくても街は大丈夫? 馬鹿なこと言うなよ!」

 初めて彼女の怯える顔を見た。僕は情けないことを口走った気がしたが、御構い無しに思いの丈を一息に吐き出す。

「君が傷つけば街の人みんなが傷付く! 大体こんな新顔に丸投げして済ませられる程、君にとってこの街は安くないだろ!」

 自分の声が震えているのを感じた。情けない話だがもう泣きそうだ。昔から口論になると泣いてしまう癖があった。だが、先に涙を流したのは彼女の方だった。

「……でも……でもしょうがないじゃない! 私がやらなきゃ……他の人が危ない目にあうくらいなら私が……やらなきゃ……」

 尻すぼみに彼女は口調を弱めて言った。両拳をぎゅっと握って、俯いて震える彼女の肩を抱きしめたのは地母神様だった。

「地母神様……」

 彼女は何も言わずミラの涙をぬぐい続けた。

「ちゃんと帰ってこよう。ミラなら両方こなせるさ」

 我ながらクサい台詞だったと思う。しかし本心だ。彼女にしかこの街の長は務まらないと思うし、なら彼女はその責任を投げ出さないと信じられるから。

 彼女は何も言わなかった。だが化粧を台無しにしながらワンワン泣く少女の姿は、紛れもなく彼女の一面だろう。しばらくすると案内してくれた女性がやってきた。どうやら時間のようだ。

「すいません。彼女を連れて先に……えっと、神官様と話したいことがあって……」

「許可致しかねます。速やかにご退室を」

 ですよねー。分かってはいたが、僕もどうしても引き下がるわけにもいかず、かといって彼女の毅然な対応に刃向かうことも出来ず。その場に立ち尽くすと言う子供じみた抵抗をした。

「良い。私も彼と話がある」

 しかし。と、女性は老爺の言葉に困惑した。それは僕もそうだ。それでも彼女は神官である老爺に逆らうわけにもいかず、ミラだけを連れて部屋を後にした。残される僕を随分心細そうな顔でミラが見ていたのが意外だったが、今はそんな場合じゃ無い。

「ありがとうございます、神官様」

「いやいや。言ったろう、私も君に言っておきたいことがあると」

 その表情は好々爺と言った始めの印象とも、彼女を怒鳴りつけた時の威厳のある老爺とも違う、きっと彼のナチュラルなものだろう。到底推し量れない底の深い壺を覗いているような気分にさせる、全く食えないジジイだと苛立ちさえ感じる。

 すっと息を吸って、僕は老爺に大変失礼で最悪投獄エンドも覚悟な言葉を浴びせる。

「俺はあんたを怨むからな」

「君は私を怨むのだろう」

 にっと笑って、老爺は不思議そうな顔をした地母神様を連れて僕らが入ってきたのとは逆のドアから出て行った。全く食えないジジイだとよく感じ取ったものだ。僕は二人が消えて行ったドアをしばらく睨みつけてからミラの後を追った。


「さて、彼が例の……悪くない悪くない」

 これは僕らの知らないドアの向こうの話。子供の様に老爺の手を握る地母神様と一緒に歩く老爺の話。

「ああ、そうだな。ミラを信じよう、レア」

「……ぁー……」

 立ち止まり自分を見つめる地母神様をを抱き締め、老爺は彼女の名前と誰かの名前を口にした。僕らの前では見せなかった、慈愛に満ちた悲しい表情だった。

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