第14話
転げていた体を上半身だけ起こす。彼女は、地母神様はそんな僕の前にしゃがみ込んで、印象とは違う、子供っぽい笑顔を向けた。
「えっと、はじめまして……」
だらしない格好でそう言った。そしてすぐに、しまった。と、後悔して、飛んでくる鉄拳に身構えて急いで正座する。しかし、一向にそれは飛んでこない。ふと彼女の後ろを見ると、膝をついて顔を伏せるミラの姿があった。
「それで良いんだな、ハークス市長」
「はい。彼の処遇は全て、その御身に委ねましたので」
遠くてはっきりは聞こえなかったが、彼女は僕の態度に腹を立てている様子ではなかった。となれば今は目の前の美しいお姉様が問題だ。なにか珍しいものを見るように、僕をジロジロ見つめては指でつついてくる。顔をつつかれている間はよかったが、それは次第に肩や腕、首、腹と段々容赦も躊躇もないつつき方になっていく。こそばゆいと言うか、なんだか特殊なプレイでもしているようで……色々とマズイ。
「えっと地母神様……? そんなに僕、珍しい見た目してますでしょうか……?」
ビクッと震え、地母神様はつつくのをやめて、それでも変わらず観察を続けられる。正直居心地が悪いから早くなんとかして欲しかった。しかしミラは動く気配もない。
「ふむ……地母神様。そろそろお戻りになられよ」
神官さんにそう言われると、地母神様は僕にもう一度だけ微笑んでパタパタと彼の元へ小走りで戻っていった。大人っぽいと抱いた最初の感想は、不思議な雰囲気を纏った子供っぽい女性、へと変化していた。
「ではアギト、君もこちらへ」
今度は僕が呼び立てられる。大急ぎで同じ様に立ち上がったミラの側まで駆け寄った。
「さて、本来なら君を街の住民として受け入れるのは、我々ではなく市長をはじめとした街の人々だ。本題に入ろう、今回わざわざ地母神様も御立会い頂いてこのような席を設けたか、だが……」
どうやら歓迎会の為だけに呼ばれたのでは無いみたいだ。それもそうか、増えているという移民難民が来る度にこんなことをしていたので、は地母神様も神官さんも、もちろん市長も仕事にならない。別件で用事がある、それも僕が特例として。そう考えると、ふと自分が他の世界からやってきた事が頭をよぎる。もしや僕になにか特殊な力があって、勇者にジョブチェンジする日が——
「ハークス市長。再度確認するが、本当に彼で良いのだね?」
「はい。まだ未熟ですが、それなりには見込みもありそうなので」
——来なさそうだ。あれ? 僕妥協で選ばれてない?
「……よろしい。ではまず、アギト。君をアーヴィンの神官の一人として、心より歓迎しよう」
「……っと、ありがとうございます」
余計なことを考えていたせいで返事が遅れてしまった。分かってます分かってます、反省してるからそんなに睨まないで。
「そして地母神側近としてミラ=ハークス、ならびにアギトの両名に命ずる。洞穴の最奥に眠る魔女を討ち、手始めに隣国レイントンとの貿易路を奪回せよ」
「はっ! この身は父の為に!」
胸に拳を当て跪く彼女に倣って僕もすぐに膝をつく。っていうか……おや? 思ってた市長秘書とは依頼内容がずいぶん違うような……
「すまないハークス市長。幼い君にばかり責を負わせてしまっている……」
「いえ、もったいないお言葉です。覚悟はすでに出来ていましたので」
ん? おやおや、僕のことなど蚊帳の外でなんだかそれっぽい話がまとまっていく感覚。これには覚えがありますな。そうそう、僕が中学生だった頃……あれは修学旅行の班行動の予定を立てている時でしたか。僕はいないものとしてどんどん話が進んでいくあの感覚。うーんなんだか目頭が熱く……おや、雨ですかなこれは?
「アギトよ、少し良いかな」
「え? あ、いや、はい!」
もう忘れた筈の苦い思い出を思い出してセンチに浸っていると、不意に老爺から指名された。二人から離れて内緒話がしたいようだが……
「ハークス市長を頼む。彼女はあまりにも強く、その強さに対してあまりに幼く、脆い。いつか自らを
両肩を掴まれ頭を下げられる。遠目にこちらを見ていたミラのギョッとした表情に慌てて顔を上げて貰う様に説得した。
「わ、わ。顔あげてください! えっと、まだ話が飲み込めてないんですけど……魔女? って言うのは一体……随分市長らしくない仕事内容というか……」
今度は老爺が目を見開いて驚いた。今日はびっくり顔をよく見る日だ。そんなしょうもない感想を抱く間も無く、神官さんは怒鳴り声でミラを呼びつけた。しかし機敏な彼女がこちらに来ることさえ待てなかったのか、ズンズンと二人の元へ歩いて行く。怯えた表情の地母神様とは対照的に、彼女の表情は悪戯がバレて開き直った悪ガキそのものだった。
「どういう事だミラ=ハークス! 彼になんの説明もしていないというのか! よもやまさか……」
ビクビクと肩を震わせ怯える地母神様を可哀想だと思うより先に、ミラの睨み返さんばかりの真っ直ぐな目つきに気が行った。というか、もしかして僕のことで揉めてます?
「……はい。彼には街に残って貰うつもりです。私一人でも問題ありません」
さっきまで僕に作法や態度についてうるさくしていた彼女と同一人物とは思えない程の開き直りぶりだ。って、なんだか聞き捨てならないことが聞こえたような……
「私に——いや、地母神様と父神様に嘘を吐くというのか!」
先程までの朗らかさなど幻だったかの様に、激昂した老爺の叱責が部屋中にこだまする。そしてこめかみに青白い血管を浮かべ息を荒らげる神官さんと、怖くなる程冷めた目で睨み返す少女の、まさに一触即発と言わんばかりの沈黙が続く。
沈黙を破ったのは老爺の方だった。震えているだけだった地母神様が彼の袖を掴んで、必死になにかを訴えたのだ。
「……申し訳ありません母神様。私も大人気なく取り乱しすぎたようです」
その様子を見つめるミラの表情は、どこか悲痛さを窺わせる。何度も忘れようとしてきたのに、ボガード氏の言葉が浮かんで来る。彼女は間違いなくその悲しそうな目で、なにかを求めるような目で地母神様を見ているのだ。
「……私は……私は一人で成すつもりです」
視線を地母神様から老爺へと戻した彼女の第一声は、再戦のゴングだった。しかし神官さんが向ける視線は先程の荒々しい怒りのそれではなく、それこそ孫を諭すような優しくもの悲しそうな目だった。
「何度でも言う。一人ではダメなのだ。かの勇者も一人ではダメだったのだ」
勇者。彼女が先日言っていた話にも出てきた彼のことだろう。彼女が生まれる年に没し、それを境に魔獣による被害が増大したと言うが……
「……ちょうど良い機会だ。我々が成さねばならない偉業を、君にも話しておこう。その上でまた、君が良いと言うのなら先の事をお願いしたい」
地母神様を宥める様に頭を撫でて老爺はそう言った。ミラの背中が、肩が震えている様に見えたが、彼女が見つめているものが何なのか僕にはわからなかった。
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