第13話


 錬金術における五大属性。それは世界を構築する、根本的な原理を司る極小の粒である。火、つまり熱。水、そのまま水。土、これはいわゆる有機物だろう。金、これは金属ないし無機物か。そして風、空気である。火によりあらゆる属性は変化させられるが、風がなければ火は発生せず、水により土は侵食されるが金はそれに耐性がある。また風よりも水は留めやすく風はどんな手段をもってしても侵せない。土と風により火は発生させられ、火と風により水は発生する。しかし金は土に含まれることこそあれ、純粋なそれは発生させる術がなく、それを錬成することこそが錬金術の最終解である。

 うん、わからない。彼女の説明を大まかにまとめて再度実感する。別に言葉の意味が理解出来ないとかではない、三割くらいは理解したさ。しかし、だからと言ってそれがポーションの精製には繋がらない。そこはやはり、僕の知っている世界の原理と異なるのだろう。

「あっ、とと。もうこんな時間。そろそろ行かないと」

 錬金術の説明中、彼女は随分と生き生きして見えた。かつて打ち込んできた情熱と膨大な時間が垣間見えた一瞬だろう。

 彼女に手を引かれ、僕は図書館を飛び出した。この街の図書館では、お静かにと言うルールは無いようだ。彼女は一度も振り返らず、一度も手を離さず街中をぐんぐん進んでいく。正直言ってすぐに足が限界になったが、見栄と意地でなんとか着いて行った。二、三十分走っただろうか。息一つ乱さずに彼女は、少し待ってて。と、言って先に中へ入って行った。想像以上の特急っぷりにお腹の中のきのこシチューが暴れ狂う。柱にもたれかかってゆっくり息を整える。

 神殿。彼女はそう言った。確かに立派な建物だろう。毎朝通っている教会をふた回りも大きくしたような、僕に馴染みがある建物で言えばジャ○コかイト○くらいはあるだろうか。しかし大きさはどうだっていい。いや、その大きさこそ今の僕の疑問点なのだが。

 これだけ大きな建物に、僕は今までなぜ気付かなかったのだろう。有り体に言えば、街外れのボガード氏の工房からだって見えた筈だ。しかし僕はこの建物の、特徴的なロケットの様に尖った屋根にも、その先に着けられた十字架にも気付かなかった。と言うかいつも寝泊まりしている市役所(仮)からそう離れていないじゃないか。呼吸が落ち着き始めて、僕は段々と違和感より恐怖を感じ始める。息も整い、立ち上がって少し離れたところから神殿を見ようと思った時、扉が開いて少女の姿が現れた。

「さ、行くわよ」

 僕はこれまで、彼女を散々美少女だ、美人だと評してきた。そこに嘘偽りは無いし、同じ屋根の下で寝泊まりしている現状にいつだってワンチャン感じ続けていた。だから僕は意図せず溢した言葉に誰よりも困惑した。

「綺麗だ…………」

 困惑から少し遅れてやっと感想が頭に浮かんでくる。いつもの活発で無邪気なミラでは無い、儀礼用のドレスを身に纏った少女を改めて綺麗だと思った。ケバケバしいメイクでは無い、薄く唇に引かれた淡い色の口紅と、子供らしい赤らんだ頰を桜色に塗り替えて立つ彼女に心底見惚れてしまっていた。彼女に聞こえてしまっただろうか、面食らったような表情で固まって……ああ、やっぱり彼女は彼女だ。何も変わらない子供っぽさに安心する。

「なによなによ、もっと言っても良いのよ?」

 化粧崩れが心配になる程満面の笑みを浮かべて、彼女はドレスの裾を持ってその場でクルクルと回り出した。早速だが僕の感想は、綺麗。から、可愛い。に舞い戻った。やはり彼女はまだ子供らしい方がいい。

 ほらほらとねだる彼女にお囃子の言葉を浴びせ続け、しばらくすると中からまた一人彼女と似たようなドレスを身に纏う女性が出てきて、僕達を中へ案内する。しかし、改めて見るとなかなかどうして大胆なドレスである。背中もばっくり開いて肩も出して、こう……比較してはいけないと分かっているが、案内してくれる女性に比べるとやはり……

「足りないよね、うん。足りない」

「アンタ今なんか失礼なこと考えてない?」

 ギロリと見たこともない形相で睨まれて背筋が凍る。ここはもう神前なんだから、シャッキリしてなさい。と、彼女は言う。そうだ、僕は今から地母神様に初めて顔を合わせるのだ。彼女と地母神様の関係を疑うわけではないが、どうしてもボガード氏の言葉が頭をよぎる。二人についてもっと知ればきっとこれも消えて無くなってくれるだろうと、今は信じる他にない。

「ではミラ=ハークス様、私はここで。アギト。と、おっしゃいましたね。くれぐれも地母神様に失礼の無いよう」

 僕と彼女で随分と対応が違う気もしたが、なるほど考えてみれば道理だ。かたや街を治める若き市長様。かたや流れ着いて一週間もしない余所者。信用の度合いが天と地程もある。きっと僕がこの先務めるべき最初の事柄は、この信用というのを街中の人から得ることだろう。彼女の付き人としてではない、僕自身の評価として。

「ほら、膝をついて」

 彼女に言われるがままに僕は膝をついて、どうやら現れたらしい地母神様の足音を耳で追った。

「アーヴィン市長、ミラ=ハークス。この度は拝謁の席を設けて頂きましたこと、心より感謝します」

 やはりこう言うところはしっかりしていると言うか、歳不相応に感じる。良い、顔を上げよ。と、男の低い声が響いた。映画に出てくる様な王様と騎士の謁見する赤絨毯の玉座でもない、ここはただの部屋だった。しかしその重苦しい空気に、その声の主がひどく遠くにいるように感じる。重たい首をようやく持ち上げると、そこには妙齢の神父と慎ましやかなドレスを身に纏う若い女性の姿があった。ウェービーな白髪を首元で束ねた神父が女性の一歩前に出て僕の顔を睨む様に見てくる。僕は萎縮してふと目を伏せてしまった。

「ちょっ、す、すみません神官様!」

 彼女はそんな僕の姿に取り乱して僕に顔を上げさせる。物理的に。必死の形相で、なんで目を背けるのよ! と、囁いてくる彼女の奥で、先程までとは違う朗らかな老爺の笑い声が聞こえる。

「いやいや、ほっほっほ。もう目が悪いでな。申し訳ない、怖がらせてしまったかな」

「い、いえ、申し訳ありません! 私の教育不足です。神官様に謝って頂くわけには……」

 よいよい。と、神官と呼ばれる老爺は笑いかける。どうやら気さくな御老人のようだ。

「アギトと申したか。どれ、少しこちらに寄ってくれんか。私にもその顔をよく見せておくれ」

 固まってしまっていた僕の太ももをミラにつねられ、僕はぎこちない歩き方で神官と地母神様に近付いていった。角度的な都合と暗さでよく見えなかった地母神様の顔が、段々と明瞭に見え始め——

「良い……」

 これは悪癖だ。直そう。そう誓ったのは死角から繰り出された鋭く重い回し蹴りに、部屋の真ん中程から端まで蹴り飛ばされた時のことだ。

「ッッ〜〜〜〜申し訳ございません‼︎ 以後こういった事の無いよう厳しく言って聞かせますので、どうか彼の無礼をお許しください‼︎」

「おっほっほっほ。いや、構わん構わん。しかし、人とはああも軽々と吹き飛ぶものなのだなぁ、ほっほっほ」

 すみません、すみません。と、繰り返し平謝りする上司とお得意様の絵だろうか、これは。左わき腹に走った電流に視界を白黒させていると、ゆっくりと人影が近付いてくる。

「すみません……あれ、地母——地母神様⁉︎」

 転がっている僕の前にやってきたのは地母神様と呼ばれる、ミラよりも少し暗い栗毛を伸ばした、ボンキュッボン(死語)で手足の長い、泣きぼくろがチャーミングな歳上(歳下)お姉様だった。

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