第12話
この日も昨日と変わらなかった。風呂に入って、名簿と地図受け取って、街を回って、行く先々でミラの幼少の頃の話を聞く。彼女の愛されぶりを再確認しつつ署名を貰い、昨日より断然早く渡された名簿の分を埋められた。というか昨日の半分以下に元々抑えられている。これは一体どういうことだろう。ちょうどいいことにそろそろお昼だ。いつも通り食堂で待っていれば彼女も現れるだろう。
「あら、早いじゃない。もう慣れた?」
食堂についてから十分も経たないうちに彼女は現れた。この口ぶりだとやはり意図的に仕事量が抑えられていたようだ。
「慣れた慣れた。あと、だいぶミラのことも分かってきた」
空いている席を探す必要もないくらい空いた店内を進んで、僕達は二名掛けのテーブルに座る。
「私のこと……? 出来ない仕事は押し付けない優しい上司だって気付いた?」
どこか小馬鹿にしたような態度に、つい鼻を明かしてやりたくなった。比較的美味しいと二人の間で話題のきのこシチューを二つ頼んで、僕は街の人から聞いた武勇伝を語り出す。
「色々分かったよ。昔っからお転婆でよく男の子に混じって悪さをしてたとか。転んで怪我した時、大泣きしながら痛くないって叫んでたとか。野良犬を見つけるたびに抱っこしに行って、毎回噛まれて泣いてたとか。あと……」
顔の前に制止の手が飛んでくる。耳まで真っ赤にした彼女が俯いて、もういいから……と、根をあげる様はどこか嗜虐心を煽るものがあった。
「……と、まあ。色々分かったよ。街の人に大人気だってことも」
「そう……それは結構……」
小柄な彼女がいつも以上に小さくなって……おっとそうだった。彼女に聞くことがあるんだ。運ばれてきた水っぽいシチューを一口食べてそのことについて切り出す。
「なんか今日随分少なかったけど、この後他にどこか行くの?」
まだ赤い顔をそっぽ向かせていた彼女がようやくこちらを向いた。
「ん、察しがいいわね。今日は神殿に、地母神様に拝謁するの。アンタのこと説明して紹介しなくちゃね」
そう言われるとご両親への挨拶みたいで緊張してきた……ではなく。すっかり忘れていた。つい昨日のことなのだが、昨日から今日までの間の二日間、色々あって頭から抜けていた。ボガード氏の言っていたことすべてを鵜呑みにするわけではないが、ひた隠しにされる彼女の過去と地母神さまとの関係は僕も気にかかる。
「だからこの後拝礼をして、少し時間を潰したら街の中心にある神殿に行くわ。地母神様はなんでもお見通しだから、拝礼もちゃーんとするのよ?」
悪戯っぽい顔でそんなことを言う。やはり違和感や因縁など感じさせない。ボガード氏の考えすぎであるように思うが……
昼食を終え、拝礼も済ませた僕達は教会を後にし、彼女曰く良いところを目指して並んで歩いていた。一つ目の良いところは朝風呂だったが、次はなんだろう。出来れば美味しいものが食べたいが……
「さ、着いたわよ。ここがアーヴィンいちの蔵書量を誇る、自慢の図書館よ!」
うーん、図書館かぁ。イマイチピンとこない微妙な顔をしていると彼女は驚いた顔で詰め寄ってきた。
「もっと良いリアクションなさいよ! すごーい! とかやったー! とか、あるでしょ!」
「いや、そう言われても……」
ラノベも漫画も無い図書館に連れてこられて、一体どこにテンションを上げれば良いのだ。僕と彼女では価値観がどうも食い違ってしまうようだ。
「あれぇー……賢者見習いだって言うから、もうちょっと喜ぶかなーって思ったんだけど……」
「やっほう図書館だ! テンション上がるゥ!」
僕の蒔いた種じゃないか! くそぅ、あの時ちゃんと誤解を解いておくべきだった。後付けのやけくそリアクションをしてからふと、今が誤解を解く絶好の機会なのでは? などと考えたがもう遅い。見ろこの無垢な少女の嬉しそうな顔を。大きな目をキラキラ輝かせて……アラサーには眩しすぎる。とてもじゃないが本当のことを切り出してがっかりさせるなんてことはおじさんには出来ない。
「ささ、入って入って。アンタもビックリするくらいうちの図書館は凄いんだから」
背中をぐいぐい押され、為すすべもなく中へ入る。うん、やはり力強い。案外あの金床も魔術なんて使わず腕力だけで運んだんではなかろうか。そんな冗談を考えている僕の目の前に広がるのは、高さ三メートルはあろう本棚の群れ。至る所にハシゴがかけられ、上を見上げれば吹き抜けになって二階にも同じような本棚が壁一面にあるように見えた。
「どう? 凄いでしょ」
「うん……これはビックリした」
別に蔵書量は僕が住んでいた町にある図書館とそう変わらないか、むしろ少ないようにも思える。しかしそれはあくまで総量の話だ。僕は本棚という本棚を見て回った。それこそ二階にある棚も調べた。やはりそうだ。ここには嗜好品としての、読み物としての本は一切ない。資料や学術書だけでこの蔵書量であることが凄いのだ。
「まだそれなりに時間はあるから、ゆっくり堪能してって頂戴」
彼女はそう言うなり本棚の森の中へ消えていった。彼女も彼女で調べたいものがあるのだろう。さて、僕は……ダメだ。こんな教科書じみた本ばかりではどうも取っ掛かりようがない。せめてなにか興味のある分野を……
「……そうだ」
僕はまた本棚を見て回った。と言うよりも、今回はある分野の本を探していた。錬金術。この世界に来ておそらく最初に出会った未知の技術だ。ボガード氏やミラに聞くのも手っ取り早くて無しではなかったが、恐らく右から左で頭に残らないだろうと深い詮索はしてこなかった。そしてそれは案外あっさり見つかった。錬金術の本というより見覚えのある名前に目を引かれたと言うべきだ。それは随分ボロボロの本だった。著者……ハークス。字が欠けてしまってちゃんと読めないが間違いなく彼女の名前だ。本のタイトルは五属性と非属性反応について。こちらは後から書き足して補修された形跡がある。氏の言葉を思い出した。金床には本来見られるはずの属性とは全く別の属性の痕跡があった。別にこの本の内容が理解できるとは思っていなかったし、そもそもの五属性というものすらチンプンカンプンだ。それでも吸い寄せられるようにその本を手に取っていた。
——この本を記すに際して、錬金術における基本原則に背いた仮説や凡例を幾つも取り上げなければなりませんでした。その際に生じたいくつかの障害についてもこの本では記載しています。どうか私を恨んでください。私は現代の錬金術の破壊を目的として、この本を記します——
な……なんて挑戦的な前書きだろう。全方位に喧嘩を売っていくスタンスの前書きなんて初めて見た。と言うかこの本だけやたらボロボロなのはいっぱい読まれたからではなく、読んだ錬金術師の怨みを受けて来たからではなかろうか。怖くなったがそれでも好奇心から次のページをめくろうとしたその時、ページの端にかけた手を何者かに思い切り掴まれた。完全に虚を突かれ、驚いて本を落としてしまう。どさっと音を立てて落ちた本を眺める他ない。ハァ……ハァ……と荒い息遣いがすぐそばで聞こえる。僕は恐怖を振り払いその手の先を目で追った。
「…………聞いてくれれば教えるから……それは勘弁して……」
聞き覚えのある声、見覚えのある姿。真っ赤な顔でいまにも泣きそうになりながら、僕の手を抑えるミラの姿があった。どうやら相当焦っていた様子で、息を切らしているのは走って来たからだろうか。僕は可哀想になって頷いた。
そうか。これが黒歴史か——
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