第9話
ボガード氏の口から聞かされる彼女の過去。しかし疑問が残るのは、先に氏が言っていたミラと地母神様の因縁という話だ。彼が彼女に対して恩があり、彼女とこの工房が所縁のある場所であることはわかった。だがそんな彼が、彼女を怪しむ理由には繋がらない。そのことを僕は遠回しに氏に問いかけた。
「ん、ああわかっている。ここまでは前置きというか予防線だな。決して私は彼女への私怨や邪推でこの話をするわけじゃないと先に伝えておきたかった」
なるほど、つまり……
「まぁそう怪訝な顔をするもんではない。もしその気があるなら彼女に弟子入りでもなんでもすれば良い。錬金術師なんて昨今誰もやりたがらん仕事だ、食い扶持には困らんぞ」
無駄話。と、切り捨てるには得るものもあった。不本意ながらそうやって納得することにした。
「して、ここからが本題なわけだ。疑うなんて大仰な話にするつもりも無いが、何かあってからでは遅いのでな。きっかけはこの
大事そうに看板をまた棚の隙間にしまい込んで、彼はやっと本題を切り出した。
「彼女ほどの錬金術師ともなると最低限の設備で支障無いのだろうが、私にはそうもいかん。金床に炉、それから魔術陣。魔術陣は自分で敷くとしても、金床は鍛冶屋を頼らなけりゃならない。炉に至っては建て直しも視野に入れなくちゃならなかったんで、その許可も取ろうと尋ねたんだ」
なるほど、この立派な工房の設備は元からあったものではなく後から追加したものだったか。確かに言われてみればどこかちぐはぐというか、妙に汚れ方が偏っているわけだ。壁の汚れの上から煤を被ったのか、擦ったけど取れなかったと言わんばかりの、延びた汚れ方をしているところもある。
「そうしたら彼女がいうんだ、炉の建設は良い建築家と技師を紹介する。だが金床についてはお古を融通できるかもしれない、と」
ほうほう、やはり彼女の人脈は広いわけだ。しかし……
「ああわかってるわかってる、そう焦るもんじゃない。その金床がことの発端だ。そういって飛び出していった彼女が、半日もしないうちに担いで持ってきたのがソレなんだが……」
なるほど見た目よりは軽いようだ。ぱっと見は鉄塊だがきっと少女にも持ち上がる軽くて丈夫なレアメタルが使われているのだろう。
「持ち上がらんよ。私も目を疑ったし腰を抜かした、もしかしたら顎も外れていたかもしれんな。おそらく彼女は錬金術だけでなく強化の魔術や風魔術も高いレベルで修めているんだろう。それも中々ことなんだが、問題はその金床にあったんだ。彼女のことは、難しいだろうが一度傍に置いておくといい」
なるほど……いや、それなら話さなければ良かったんじゃないか? そう問い詰めようと彼を見たが随分としたり顔な氏の姿に、きっとこのモヤモヤと腑に落ちない感覚を共有する相手、もとい押し付ける相手が欲しかったのだろう。
「で、この金床だが、まず彼女が使っていたものではない。彼女に必要無い物だから、というのもあるが、魔術儀式や錬成に使われた物は基本的にその残滓が染み付くというか、それまでに受けた魔術作用や属性の痕跡が残る物なんだが……」
氏はそこで口を噤んだ。自信がないか確証がないかといった煮え切らない態度で、うんうん唸って言葉を探しているようにも見えた。
「なんというか、見たことのない属性が付与されていたと言うべきだな。勿論そればかりではないが、一番新しい痕跡に全く見覚えがなかったんだ」
それはただ知らないものが氏にあっただけで、そんなに不思議なことでは無いのでは? と、不躾ながらそんな質問をぶつけてみた。しかし氏が言うには、属性は高度に練り上げることは出来ても、全く別の性質を持たせることは不可能だと言う。
「錬金術師の端くれとして未知との遭遇には心躍らせた。が、その答えはすぐにわかった。地母神様に初めて拝謁したその時に」
ようやく本題に入った。その言葉はキチンと飲み込んで次の言葉を待つ。
「これは推測でしかないし、彼女は無関係なのかもしれない。が、言わせてもらう。地母神様とは人為的に、そして魔術的に造り上げられた人間ベースの神性体であると」
地母神様の成り立ちについて、彼は彼なりに確信があるようだ。確証が無いとは言っていたが、恐らくそれは彼女や街に対する遠慮が大きいのだろう。彼の目がそれを語っていた。
「地母神様に見た魔術痕は、間違いなく金床に残っていた痕跡と一致する。問題はそれを、その儀式を誰が執り行ったか、だ。私はその錬金術師こそが彼女だと睨んでいる」
彼女と地母神様を繋ぐ糸は理解した。しかし問題視するほどのものとは僕には思えない。
「ああ、だから私の気にしすぎ。取り越し苦労ならそれで問題ない。お前さんの耳にだけは入れておきたいと、この街唯一の錬金術師として思っただけだ。なにせ、彼女が側に人を置くのは初めてのことだからな」
氏の言葉に違和感を覚える。彼女に秘書が付くのは僕が初めて、と言いたいのではない。他の意図があるように感じる言い回しだ。
「ああ、そうだ。彼女には家族がいない。何度も調べたし大勢に聞き込みもした。この街に残っている彼女の情報を纏めると、誰にも取り上げられることなく生まれ、誰に育てられることもなく成長し、誰とも縁を持たずこれまで育ってきたと言うのだ」
「そんな馬鹿な! それじゃまるで……」
つい声を荒げる。ボガード氏は指を口の前に立てて僕を制し、抑えたトーンで僕の答えを改めて続けた。
「そうだ、隠蔽されている。彼女本人は疑う余地もないお人好しだが、彼女を取り巻く環境はどうやらそうもいかんようだ」
声を抑えたわけでもないのに僕は何も言えなかった。しかしそれは……
「ああそうだ、別に悪いイメージばかり抱く必要はないさ。地母神さまを造る儀式の秘匿性を高める為の処置かもしれん。彼女の家系が代々それに携わる錬金術師ないし魔術師とすれば彼女の家族ごと隠蔽はそう不思議なことでもない」
安堵にため息を溢す。それでも彼女に疑わしい点があると言うのは変えようもない事実である。氏が言いたいのはその点だろう。
「遅くまで長話をすまなかったな。色々言ったが私は彼女の味方をしたいし、お前さんにも彼女を全力で補佐して欲しい。それは本心だよ」
「……はい」
ようやく返してもらった署名を片手に、重い足取りでボロ宿へ向かう。氏の話を鵜呑みにするわけでは無いが、彼女について僕はあまりにも知らなさすぎる。彼の持論を否定する材料も無しに今すぐテンションを上げる手段は、引きこもり三十路には無かった。
うだうだと歩いてもう日は落ちる寸前だった。帰ってきた僕を出迎えたのは、変わらず明るい笑顔を向けてくれるミラだった。
「おかえり。初仕事、お疲れさま」
さっきまでの憂鬱もサッと晴れていった。何度でも思うが簡単な精神構造をしているものだ。
「はい、確かに受け取ったわ。確認しておきます……んふふ」
にやけ顔の彼女をつい呼び止める。別段用事もないし、さっき聞いた話を出来るわけもない。ただこのまま別れるのが怖くなったのだ。
「あー……っと、ボガードさんに聞いたんだけど、錬金術が使えるんだっけ?」
「おっ……おおっと。えーと、うん。そう、ボガードさんが……」
少し苦い顔をして彼女は首を縦に振った。何か隠し事があるように感じるのは僕が氏の話を聞いたからだろうか、それとも……
「興味があるなら教えてあげなくもないけど、あんまり期待はしないでね?」
ダメだ、一度芽生えた疑念が頭を覆う。無理がある話の切り方をして僕はそそくさと退散した。彼女に見つめられて話を続けるのは今の僕には不可能だ。そして逃げるように薄っぺらい布団に包まって朝を待つ……
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