恐れるのはどちら
船を襲った下から突き上げてくる振動に、アリオンは飛び起きた。
「なんだ!?」
上掛け代わりの着物を引き寄せ、アリオンは忙しなく左右を見回す。
「何事だ!?」
船の医務室には誰もいなかった。唯一の扉に飛びついて、外に出ようとする。しかしいくら横に引いても、開かない。
「おい! 誰か、開けてくれ!」
扉を叩き、外に向かって怒鳴る。
「何があったんだ? 扉が開かない! 船は大丈夫なんだろうな!」
これまでの船の扱いで、故意に閉じ込められているとは思わないアリオンである。
びくともしないので、アリオンは扉にぴったりと耳を付けた。
耳を澄ますと上の方でばたばたと人の駆けまわる足音がする。忙しない。何か非常事態なのではないのか。怒号が飛び交っている。しかし何を言っているかまでは聞き取れなかった。
「なあ! 出してくれ!」
焦燥が心臓に溜まっていく。
忘れられているのか?
まさか!
何か扉を開けるものはないかと探したが、使えそうなものは何もない。アリオンは勢いよく扉を蹴りつけた。開かない。
「おい!」「アリオン」
宥めるような声が耳を擽った。「落ちついてちょうだい」
「……エンジェル?」
アリオンはほっとして、扉に近寄る。
「よかった。ねえ、そっちから扉開くかな? こっちからじゃ無理みたいなんだ」
「――ごめんなさい、アリオン」
唐突に謝られ、子どもはきょとんとした。
心底すまなそうな物言いに、アリオンまで気持ちが引きずられそうになる。
「どうしたの?」
「外から、鍵を掛けているの」
その言葉が正確に脳に染みるまで、それなりの時間を要した。
続けてがつんと頭を揺さぶったのは、裏切られた、という気持ちだ。
「……どうして」
ぽつんと落としたのは、そんな頼りない台詞だ。
アリオンはエンジェルからそのようなことをされるとは思わなかった。
彼女は申し訳なさそうに続ける。
「外の音、聞こえるかしら? みんないま、戦闘中で」
「聞こえる、けど」
語尾をすぼめる端から、船底を突き上げていく衝撃。
身体を投げ出され、思いきり壁に肩をぶつける。息が詰まる。
何を言っているかもわからない、めちゃくちゃな咆哮のなかに確かに交じる金属と金属の擦れあう高い音階。
そして、はっきりと感じる弾薬の臭いと。
――なんだ、これ。どうなってる。
壁に背中をつけ、アリオンはへたりこむ。
さっきまで、そんな気配は全然なかったじゃないか。
なんで目が覚めたら、頭上で殺しあいが始まっているんだ。
「アリオン? 大丈夫……?」
「……誰と、戦ってるんだよ」
エンジェルの問いを無視し、アリオンは喉で唸った。
「一体何と戦ってる! 僕を閉じ込める意味はなんだ!」
アリオンのなかではもう仮説が出来上がっている。そしてそれは少女に強い確信を抱かせているのだ。
ぴったりと後方に着けて、追っていたあの商船。あの船の積み荷を、狙ったに違いない。思えばはじめから、アリオンはそう疑っていたのだ。 「――答えろ!」
自分の身体も顧みずに、アリオンは扉に拳を打ち付けた。
わかっている。アリオンに邪魔をされては困るからだ。余計なことに気をとられたりしないよう、気絶したのをいいことに閉じ込めたのだ。
「……最低だな、君たちは。自分のしていることがどれ程卑劣か、自覚があるのか!? 海賊行為か!? 略奪か!? だから僕を閉じ込めている!」「違うわ!」
エンジェルの返答は素早かった。「馬鹿にしないで頂戴アリオン! オー・スクエアはそんな真似しないわ!」
「どうだか!」
アリオンは鼻で嗤う。「君たちがどんな奴らかなんて、知るもんか! 証明したけりゃ、解放しろ!」
「無理よ! お頭を殺させるわけにはいかないわ!」
ひゅうと、喉が不自然に引き攣った。「……あの男も出ているのか? どうして!」
飛び出したのは責めるような声音で、自分でも驚く。脳裏を過ったのは、精彩を欠いた男の顔。未熟なアリオンでさえ実力が拮抗してきている現状だ。商船の連中がどれほど優れているのか知らないが、いまのディアギレフなら誰でも討ち取れる。
「引っ込んでろよ馬鹿野郎……!」
「あの人は船長だもの。……止めても無駄よ。出ないわけにもいかない……」
その声には過分に彼女も不本意だという心情が籠められていたが、そんなことはどうでもいい。
「あんなふらふらで!?」
「そうしたのはアリオンだわ。でもアリオンがいなければ、少しはましに動けるでしょう。気休めにしかならないけれど、薬も渡してある」
強くはないがはっきりとした非難に少女は唇を噛む。
確かにその通りだ。けれど到底認められるものではなかった。音に聞く限り、死者が出ていてもおかしくはない激しさだ。
「――出せ、」「いいえ、」
エンジェルの返答は素早い。
「おとなしくしていて頂戴、アリオン。すべて終わったら出してあげるから」
「それじゃ遅い!」
悲鳴じみた声が喉から落ちた。
「――お頭が心配?」「違う!」
そっとささやかれた言葉に、激しくアリオンは首を振る。扉に立てた爪が、ぎちと嫌な音をたてる。「僕の知らないところで、死なれてはたまらない!」
その心臓を止めるのは誰よりもアリオンの役目のはずで、なのにそれはむざむざ他の人間にやるような真似をするディアギレフがアリオンには赦せなかった。想像するだけで身体が冷えて、目の前が真っ暗になる。平衡感覚が失せていく。
これはただ、殺す機会を失いそうになっていることへの憤りだろうか。
自分がいない間に、あの男を失いそうになるのをただ黙って。あの男の一切はアリオンのもののはずで、もう少しで息の根を止めるところまで追いつめたのに、最後の最後、おいしいところを持っていかれてはたまらない。
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