死前の敵を殺せ


 それをディアギレフは見送って、脱力する。足元がふらつき、ちょうど現れたイサクに支えられた。


「おい、くそ兄貴、虚勢張るのも勝手だけど、本気で中にいてほしいんだけど」

「……やだよ、俺、船長。真っ先に戦わなきゃいけないやつがなんで引きこもるのさ。士気に関わる」


「今のアンタは弱ってる。真っ白な顔してふらつかれる方が指揮に関わる。心配でたまらない。死なれちゃまじで困るんだ」「アリオンに言ってよ」


 拗ねた調子で文句を言い、それに、とディアギレフは瞳を残忍な色で輝かせた。


「……アルミリアの海軍を前にして、俺が出ないなんて考えられない。ふらつく? 馬鹿言いなさんな。さっさとアリオンの前からいなくなってもらわなきゃ。あの男はぶっ殺してやったけど、余計な里心付けたくないからねェ」


 そしてイサクの手に握られた二振りの長物を見下ろし、男はくちびるを緩めた。


「お前さんも、刀持ってきてるじゃない。俺の分まで」


 倭国製のそれは、ディアギレフやイサク、倭国出身のものにとって最も使いやすい形状をしている。肉の脂で汚れても、刃が滑ることもない。刺すのではなく、人斬りに特化した武器だ。

 イサクは厳密には倭国生まれではなかったが、兄に倣ううちに刀を扱うようになった。


「だってどうせ忠告したって意味ないと思ってたから」

 手渡しながら、イサクは嫌そうに目じりを引き攣らせた。

「じゃあしなさんな」

「心配してることくらい、分かってもらわなきゃ割りにあわない」


「ああうん……。ごめんなぁ、イサク。こんな兄貴で」

 そこは情けなさそうに眉を下げたディアギレフに、イサクは深々と息をつくしかない。「分かってるならほんと引っ込んでてくれないかなぁ……」


「あは、それだけは無理」


「お頭、」


 手下に差し出された緋色の着物に、ディアギレフは笑って袖を通した。予備の煙管を咥えさせられ、いつも通りのオー・スクエアの船長の姿になる。


 真紅をひらめかせるこの男の存在を、この広い大洋に聞かないものはいない。煙を深く吸うと、暴言を投げつけてくるアリオンがいないせいもあってか、胸がすくのをディアギレフは感じている。


「はーっ、人魚違いでも、ユリエラ嬢のおかげで何とか生きてる、俺」


「その薬馬鹿高いから、早く卒業してほしいんだけど……」

「いやあ、もうちょっとだよ、言ったでしょ、アリオンがもうだいぶ強くてねえ」


「……兄貴、そっちの意味で言ったんじゃない。笑えない」


 冗談に真剣な声音で返され、ディアギレフは言葉に詰まって、眼を逸らす。


「……ちなみにもう知らせは?」

「とっくにユリエラ嬢のかいりゅうを放ってる。戦況を読んで、頃合いで出張ってくるんじゃないかな」

「上々」


 すっくと身を起こし、背筋を伸ばした男に、もう先ほどまでの衰弱した様子は消えていた。殺意を身にまとい、男は高揚を隠そうともせず口元をにやつかせる。


 帆が風を受けて大きくしなり、速度を上げる。船底では砲門が開かれ、海神への祈りとともに重い音を立てて砲身が外に引き出される。砲弾が込められ、合図があればいつでも撃てるように。


 船上では取り出された武器が各員に行きわたるよう振り分けられていた。酒を煽り、騒ぎ立てる粗野な男たちはこれからの殺しあいに血を滾らせ、瞳をぎらつかせている。


 アルミリアの海軍船はもう目と鼻の先。


「お頭、停船命令です」


「――はは、偉そうに。いいよ、止まってやれ」


 舳先に片足を掛け、ディアギレフは敵を見据えたまま答える。


「武装解除を求めています」

「結界のみ許可する」

「承知」


 ディアギレフの周りを固めた男たちは、彼の一挙手一投足に神経を注ぐ。


 オー・スクエアとは対照的な真っ白な帆。金のモールに縁取られた豪奢な国旗が、風をはらんで堂々と翻る。


 アルミリア国王の名の下、正義を自認する彼らにとって我が物顔で海を渡る海賊たちは忌々しいだけの存在だろう。

 海の利権は、各国家にとって重要な外交問題だ。それに関わってくる第三勢力が、オー・スクエアを筆頭とする海賊船になる。彼らはどこの国にも属さず、それゆえどんな権力にも躊躇いなく牙をむく獰猛な海の獣だ。

 海の民を自認する彼らにとって、国の庇護下に入ることは何にも勝る屈辱だった。


 彼らは彼らの理に沿って生きている。

 国家の禁止事項など、彼らは鼻で嗤って取り合わない。

 商船ランドルの船籍はアルミリアではなく、取引先もまた異なる。アルミリアの領海とされているゆえに拿捕に来るのだが、オー・スクエアには『領海』という概念がない。海は神の領域、――ひいては海の民の領分だ。


 ゆえに今回ディアギレフが率いるオー・スクエアは商船ランドルからの依頼を受けて、彼の船の護衛船としての任務を請け負っている。


 ランドルの積み荷はアルミリアでは取引が禁止された薬品だが、国家の利潤などには興味のないオー・スクエアにとっては、純粋な取引を禁じるアルミリアのほうが気に食わない。



 Ocean Order ――《海洋の秩序》



 大陸に現在覇を争う国家が乱立する以前から、オー・スクエアは何代も海の守護を担ってきた。

 海の自由を妨害するものを、彼らは決して赦さない。


 ゆっくりとオー・スクエアは海軍に従い停船した。


「――さて、海神の加護は汝にありや」


 先ほど双眼鏡で確認した限り、《海の女王号》には今ある最高レベルの障壁術式が組み込まれているが――はたしてそれが海の上で、オー・スクエアを相手に、どれほど通用するだろう。


 ゆるりとディアギレフは独語する。


「――撃て」


 それは穏やかな声で発されたものだったが、誰の耳にも確実に届いた。


「撃て!」

「撃て!」

「撃て!」


 続けざま伝達が甲板を奔り、船内へ、砲手へと伝えられる。


「撃てェ!」


 十数の大砲が、一斉に海軍船に向かって撃ちだされる。その衝撃に津波に遭遇したが如く激しい揺れがオー・スクエアを襲うが、それは被害に遭った海軍船の比ではない。


 船は余韻に甲板を震わせ続けていたが、今度のディアギレフは小揺るぎもせず平然とその振動を受け止めた。乱れた髪を打ち振って整え、ずれたカラーグラスをかけ直す。

 監視の目を意識した余裕ぶった態度で煙管を一口、眼前の敵へ高揚に満ちた嘲りを吐く。


「ははは、オー・スクエアと殺り合ったのは初めてか? ン?」


 《海の女王号》は以前潰したアリオンの父のものよりもはるかに性能が高い船ではあったが、どうやら今回もこちらに分がありそうだとディアギレフは嗤った。


 祈りは正しく海底に聞き届けられ、ディアギレフの一声で船団の護衛船を沈め、続けて厳重な魔導障壁を超えて、旗艦の船体へと突き刺さった。


「アリオンがだから少しは加護が薄れているかと思ったが」


 船腹に穴を開けられ、マストが圧し折れ、たった一度の攻撃で濃い煙の向こうに霞む≪海の女王≫は無残な姿を曝していた。


 オー・スクエアの目的は海軍船の軍人を殲滅することだ。違法な荷を運ぶ商船の検閲をすることでも、海賊を拿捕することでもない。生温い真似はしない。


 いくら私掠が許可されていようともとりあえずアルミリアは一応国家組織という名目があり、威信のためにも海賊を丘で縛り首にする必要があるようだが、オー・スクエアはそうではないので解は至って簡単だ。


『まずは殺せ』


 海軍の都合などオー・スクエアは一切に取り合わず、掲げる標語は荒々しいこの一点のみ。

 ただあれだけの被害を被ってそれでも沈まないのだから、そこは褒めてしかるべきだろう。


「船を動かせ、あちらも撃ってくる。結界の再展開を急がせろ、潰し次第乗り移る」



 ずろりと鞘奔るは幾多の命を屠った刀。

 引き抜かれた曇りひとつない白刃の煌めきに、男は満足げに目を細める。




「――さて、海賊行為はどちらのほうか、闘って証明してやろう」


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