好意は食事のかたち


「おっ、アリオンが出てきたぞ!」

「へっ?」


 そんなアリオンの平穏は長くは続かない。海賊たちはすぐに現れたアリオンに気づいてわらわらと周りに集まってきた。その手にそれぞれ大量の食べ物。逃げてきたはずだったのに、いつの間にかイサクたちも追いついてきている。


「眼ぇ覚めたのかアリオン!」「人魚だってのに眠り姫かい!」「丸一日寝こけてたんだぜ?」「腹減ってねーかあ?」「減ってンだろ!?」「たんと食え! んな細い身体じゃダメだ!」「旨いぞ! 旨いだろ!?」


「煩いうるさい!」


 耳を押さえて、アリオンは喚いた。矢継ぎ早に声をかけられるせいで何を言っているかも分からないし、向けられているのが好意であるように見えるのが気持ち悪かった。


「僕に構うな!」


 分厚い人ごみを押しのけて、アリオンは外に出ようとする。それをまた、にこにこと愛想を振りまきながらイサクが引き止めるのだ。


「まあまあ、アリオン。何か食べといたほうがいいぜ。腹、減ってないわけじゃないだろ?」

「敵から寄越されたもんが食えるか!」


 青年の穏やかさに反比例するように、アリオンはどんどんヒステリックになる。アリオンは彼に向き直った。これだけは一言、言っておかねばならない。


「殺したいのはディアギレフだけだ。でも、お前らも憎んでいないわけじゃないのを覚えていてくれ! どうしてあんたたちが僕によくしてくれようとしているのかは分からないが、僕に、そのつもりはないんだ!」

「それでもいいから、なんか口に入れなって。餓死されたら目覚めが悪いだろ」


 軽くあしらわれ、無理やり押しつけられたのは、ソースをからめられた肉と野菜を挟み込まれた分厚いサンドイッチだった。香ばしい肉の焼けた香りに、何も入っていないお腹がぐぅと鳴る。思わずごくりと唾を飲んだ。

 それでもなかなか口を付けないアリオンに、更に言葉が重ねられる。


「ほら、食べなって。俺たちがアリオンを構うのは俺たちの都合。アリオンはそれに何も返す義理はないし、くれるって言われたら当たり前の顔して受け取ればいいんだ」


 恐怖と、戸惑いをない交ぜにした瞳でアリオンは自身を囲む男たちを見回した。


「……っ意味が、分からない、あんたたち……」


 言い捨てても、やはり彼らの顔にあるのはアリオンに対する慈愛だけだった。

 顔を伏せ、小さくサンドイッチを一口齧った。じゅわりと肉汁が溢れてくる。しゃきしゃきとした鮮度のよい野菜。パンに程よく染み込んだソースは、すごく濃厚だ。


「……おいしい」


 表情を固めたまま、ぼそりとアリオンは言った。


「そうか!」「旨いか!」


 それでも子どものそんな無愛想な一言だけで、厳つい野郎どもが手放して喜ぶのだ。

 こんな場所で少しでも好意的な感情を抱くことが気に食わなくて、本当は大口を開けてかぶりつきたいのを抑えてもそもそと咀嚼する。


 一口食べるごとに周りが色めき立つので、実に居心地が悪い。


 そんなアリオンの心境を察したのか、イサクは俯いている少女の背中を軽く押した。


「じろじろ見られながらじゃ落ち着いて食べれないだろ? 船首んとこならあんまりひともいないから、そこで食いな。

 ――ほら、お前らは散った散った! 仕事ほったらかしてんじゃねーぞ!」


 追いたてる調子でイサクが手を叩く。まだ若いように見えるのに、彼は人に指示するほどの地位にはいるようだった。ディアギレフもまた、お頭と呼ばれるにしては若そうだったが。見た目は三十前後といったところ、海軍に仕官していたのであればその地位は絶対にあり得ない。


 不満を垂れながらも男どもは各々の持ち場に帰っていき、その流れに乗ってアリオンも船首に向かった。


 途中、人では決して持ち得ない銀髪に赤眼を持つ人魚が気になるのか、窺ってくる目線が気障りだった。

 人魚は、そこまでちやほやされて持ち上げられるものなのか。彼らの仰ぐ船長を、殺すと言っても看過されるくらい。


(馬鹿馬鹿しい、な)


 イサクの言う通り、船首にひとはまばらだった。舳先に立ち、大海を眺める。心臓に直接突きつけられる、その雄大さ。


 しかし見えるのは海と空ばかりではなかった。形がはっきりとわかる程度の距離に、別の船が走っていた。水面に尾を引く白い船の跡。


 穏やかな海を眺め、その波が船を叩く音を聞いていると、ささくれていた神経も多少なり緩和された。


 これまであまり意識してきたことはなかったが、やはり自分は人魚だったということなのだろうか。それとも、誰でも海には安心させられるものなのだろうか。


 空と海の曖昧な境界をしばらく眺めていたアリオンは、やがて無防備な背中に刺さる視線にいたたまれなくなった。前艢の前に隠れてしゃがみこんで膝を抱えたところで、サンドウィッチを渡されていたことを思い出す。そういえば、これを食べるためにここまでやってきたのだ。


 サンドウィッチに残った自分の歯形を睨むと、催促するようにぐうと胃が鳴る。一度動き出した胃は、食欲に忠実だった。アリオンはやはり誘惑に屈し、サンドウィッチをちいさく齧る。


 自身に対して要らぬ言い訳をしているせいでもそもそといかにも気乗りしない食べ方だったが、味のほうはすこぶる上等だ。それは認めないわけにはいかなかった。空腹も手伝って、これ以上ない昼食になる。大人一人を十分満足させる量を、アリオンはあっさりと胃袋に納めることができた。


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