第16話 彼と彼女
地下に巡らされたレールを風を切るように走るゴンドラがあった。
乗っているのは赤羽紡である。
カーブではレールを外れて事故死するのではないかという恐怖を覚える程の速度超過。それは意図的に引き起こされたものだった。
紡は仮設電源を作る際、基盤を少し弄って速度制限のリミッターを解除したのである。
故にゴンドラは限界速度を無視して走っていた。
下手をすれば死ぬかもしれない危険な行為だが、その分恐ろしい速さで紡を乗せたゴンドラは地下を駆け抜けていく。
レールとの摩擦で火花が散る。
いつ脱線してもおかしくはない。
しかし減速はせずに死と隣り合わせのデッドレースを紡はしていた。
一歩間違えれば死亡。そのリスクを負ってでも一刻も早く紡はみくのいる自分のマンションに帰りたかったのである。
彼女の顔を見たい。
彼女の無事を確認して安心したい。
紡の脳内にはそれしかなかった。
故にその目的達成の為ならば、自らの命など喜んで賭けてみせる。
地下にレールを走る甲高い音が悲鳴のように響く。
通り過ぎる景色が恐るべき移動速度を物語っている。
もうすぐ目的地付近だ。
紡の住むマンションに最も近い外殻設備の入り口である。
ゴンドラを徐々に減速させ、目的にを通り過ぎないように。尚且つ時間のロスを最小限にする為に速度を落としすぎないように気をつける。
そしてゴンドラは急停止して、目的地に到着した。
ゴンドラの速度を維持する為に工具も荷物も置いてきている。紡は着ている作業着のツナギ以外は何も持ち合わせてはいない。
一刻も早く帰る為にである。
ゴンドラから飛び出した紡は地上目指して階段を駆け上がった。
分厚い扉はシステムが死んでいる為、セキュリティーカードでは開かないだろう。
分電盤から無理矢理ケーブルをジャンパーして開けることは出来なくもないが、時間がかかる。
図面もなしに扉動作用のケーブルを探し出すのが手間だし、ジャンパーしたところで扉が開いてくれるかは良くて五割の賭けだ。
紡は考える。
朧げな記憶だが、確かこの区画では非常用の手動操作で開く扉があるはずだ。
場所もそうここから遠くないだろう。
記憶を頼りにそこに向かって走る。
不定期に地面が揺れる為、転倒しないように壁に手を添わして力の限り走った。
「あった!!」
非常用出入口だ。
頑丈なその扉は手動でロックを解除して開く事が出来る、外殻設備では数少ないうちのひとつだ。
焦っている。
しかし深呼吸してなるべく落ち着いてから手順を思い出してロックを解除した。
重厚な扉がゆっくりと開き、外の光が中に漏れ込む。と同時、人々の悲鳴や怒号も一緒に聞こえてきた。
何かに襲われて逃げ惑っている。
恐らくは、外の世界の化物だ。
完全に開く。
眩い光に長い時間地下にいた目が慣れずに視界が真っ白になる。
暫くして落ち着くと徐々に目の前の光景が鮮明に映り始めた。
そこには一角獣のような異形の生物と、それに怯えて座り込む少女の姿があった。
脳がそれを理解するよりも早く。
紡はその場を飛び出した。
冷静に分析する。
まずは状況確認。何度も学校で習ったことだ。
周囲に人影はない。倒れている少女のみだ。
周囲に他の化物はいない。目の前の一角獣のような化物一体のみだ。
化物は馬のような姿をしているが、馬とは明らかに違う部分がある。
額から生える螺旋上に溝のある角。鋭利な刃のようなものが先端に付いている尻尾。あまりにも発達した筋繊維が遠目からでも分かる膨れ上がった脚。さらに脹脛に長方形の穴のようなものがある。
少女は脚を怪我しているのか血が流れている。座り込んでいる理由もそれだろう。
死を覚悟しているのか、受け入れがたい現実に逃避しているのか、動きがない。
茫然としている。
その後ろ姿に見覚えがある。
いや、知っている。
赤羽紡が彼女を見間違える筈がない。
一角獣が少しだけ姿勢を低くした。
力を貯めているのだ。
バネのように筋肉を縮めている。何のためか。簡単だ。縮ませたバネを解き放つ為だ。
突撃しようとしている。
その射線上にいる彼女は即死だろう。
それは……。
「認められる訳がないだろっ!!!!」
叫ぶ。
走る。
一角獣が爆発のような蹴り足で飛び出すよりもほんの少しだけ早く。
紡は彼女を抱き抱えて横に飛んだ。
「え……?」
茫然とした声が抱いた胸から聞こえる。
余波が、紡と瓦礫もろとも吹き飛ばし爆音が耳を叩く。
背中を大気が弾ける衝撃が叩き続ける。
それに混じった瓦礫の破片で呼吸さえままならない。
先端の尖った破片が何個も紡の体に刺さる。
激痛に意識を手放しかけるが、絶対に抱きしめた彼女には傷一つ付けないという鉄の意思で守りきる。
永遠とも感じる長い時間、余波は続いた。余波でこの威力。直撃すればどうなるかは考えるまでもない。
耳鳴りが酷くて音では判断が出来ないが、背中の衝撃がなくなったから余波は終わったと判断して後ろを見る。
一角獣がいた場所はまるで爆心地のように荒れ果てて、そこから一直線に地面をえぐるような痕が伸びている。
道中の建物も壁も瓦礫も何もかも貫いて。
どこまでも。
背筋が凍る。
もしもあのまま彼女が直撃していれば、その原型を止めないくらいの挽肉となって木っ端微塵になっていたことだろう。
間に合った。
助かることが出来た。
震える。
抱きしめた彼女の体温を感じ、鼓動が続いていることに涙が出そうになる。
「よかった……」
「紡……さん?」
時は少しだけ遡る。
紡が駆けつけるほんの少し前。
目の前を走っていた人間だったモノを肉塊に変えたのは一角獣のような化物であった。
圧倒的な肉密度。そして適合者の動体視力でも追いきれない速度。そして鋼より遥かに硬いだろう角。その全てが雄弁に物語っている。
彼女に生きる術はないと。
一角獣の化物がこちらに気付く。
あの化物がその気になれば、彼女のような矮小な存在は文字通り蹴散らせるだろう。
それこそ抵抗の余地などない。
化物の姿勢が低くなる。
来る。
来てからでは遅い。
恐らくあの一角獣の突撃は、飛び出たことを認識した瞬間にはもう体は挽肉になっていると思ってよい。
だからこそ、化物が飛び出すよりも早く。しかし化物が軌道を修正出来ないギリギリのタイミングで横に飛ぶ。
それしか方法はない。
勘だった。
1秒後に死ぬ。その確信があった。
だから横に飛んだ。
爆発する。
一角獣の蹴り足で大気が弾け、あまりの速度に音を置き去りにした何かが通り過ぎる。その余波で彼女は吹き飛ばされた。
地面がえぐれ。瓦礫が舞い上がり、土砂が降り注ぐ。
まるで台風のような爆風が吹き荒れて、彼女の体はボールのように瓦礫の山を跳ね上がり転がり、吹き飛ばされていく。
吹き飛ばされていく過程で何度も瓦礫の突起や、破片で体を傷つけて血だらけになるも、どうにか瓦礫の突起にしがみついて爆風をやり過ごす。
舞い上がった粉塵で視界が悪い。
もしもあの一撃がもう一度くれば躱すことは出来ないだろう。
とにかく立ち上がらなくては。
そう思い脚に力を入れるも、思うようにいかない。
焦れば焦るほど脚は思うように動かず。流石にこれはおかしいと自分の脚を見れば、そこには大きな破片が太腿を貫き、夥しい量の血を流す自分の脚があった。
これでは立ち上がるどころか、地を這うことすらままならない。
恐怖と興奮からアドレナリンが大量に出ている為痛みは酷くないが、少しでも落ち着こうものなら激痛で動くことすら難しくなる。
どうすれば助かるのか。
どうしたらこの状況を切り抜けることが出来るのか。
思考を奔らせようとしたまさにその時。
土煙の向こうから、鋭い眼光がこちらを射抜くのを確かに感じた。
恐ろしい双眸がゆっくりと彼女に向き、その焦点が合うと静かな足取りでこちらに近付いてくる。
一歩一歩がまるで死の宣告のように聞こえた。
煙が晴れる。
視界が開けた。
そこには確かな殺意を抱いた一体の化物がいた。
前脚で瓦礫を踏み抜き。
頑丈な蹄が地面を平す。
どうしようもない。
諦めるしかなかった。
「うっ……、うう……っ!!」
涙が溢れる。
ここで死ぬ。
助からない。
その事実が悲しみと恐怖と悔しさのごちゃ混ぜになった感情を爆発刺さる。
ガチガチガチガチ。
異音が響く。
なんの音かと不思議に思ったがなんのことはない。
彼女自身の歯が震えで鳴る音だった。
下半身から生暖かい液体が太腿を伝って瓦礫の山に流れていく。
失禁しているらしい。
無様だった。
醜い最後だ。
ふと、これは罰なのかもしれないと思い至る。
好きでもないのに好きだと言って近付き。
好きなのにもう好きではないと言って離れた。
あまりにも愚かで身勝手な。
彼を裏切り傷つけた。
本心では不適合者だろうと一緒にいたいと思っていたのに。
寄り添うことが出来なかった弱い自分。
そう思ったらするりと受け入れられた。
ここで死ぬのは当然なのだ。
それだけのことを自分はした。
彼、赤羽紡と一緒に生きられないのなら。
ここで終わってしまっても構わないと。
心の奥底から思い。
響は生きることを諦めた。
瞳を閉じる。
数秒後に間違いなく肉片になるだろう。
なのに。
諦めたのに。
受け入れたのに。
「認められる訳がないだろっ!!!!」
死際に聞こえた幻聴かと思った。
でもすぐに。
抱きかかえて、彼の温もりを感じた瞬間に。
幻聴でもなく、夢でもなく。
紛れもない現実で。
都合良く。
死際に、彼が。
赤羽紡が助けに来てくれたのだと確信した。
「え……?」
間抜けな声が溢れる。
それほど信じられないことだった。
たまたま彼がここに居合わせた偶然も。
そして彼に対して一方的に別れを告げ、元彼女となった自分を命懸けで救ってくれたということが。
余波で二人は吹き飛ばされる。
しかし先程のような痛みはない。守られているのだ。
紡に。
その背中で響を庇っている。
飛び散る瓦礫から。降り注ぐ破片から。飛び散る土の塊や石から。響に届かぬように。
やめてください。と強く思った。
こんな私を守る価値はありません。と、言いたかった。
貴方を裏切り、失意の底にいた貴方をさらに絶望のどん底に落とすような卑劣な行為をした人物を、それこそ命懸けで体を張って助ける必要なんてない。
ここで死ぬと彼女は決めたのだ。
これは罰で、自ら受け入れたのだ。
傷つけ裏切った罪の象徴に他ならない彼に助けてもらってまで生きたくはない。
そんな生き恥を晒してまで、どんな面で生きていけば良いというのだ。
それでも。
嬉しかった。
嬉しいと思う卑しい自分が嫌になる。
卑劣で醜くて愚かで救いようがない。
でもこの気持ちに嘘はつかない。
紡が好きだ。
好きな人に、守ってもらって嬉しくない訳がない。
彼と目が合う。
紡は驚かなかった。
やはり響だと。自分を捨てた元彼女だと知って助けたのだ。
知っていて尚、自らの命に顧みず飛び出したのだ。
そして彼は笑った。
心から嬉しそうに。
守れたことが心底良かったという表情で。
「よかった……」
笑いながら泣きそうな顔をしていた。
少しでも油断すれば涙が溢れそうな瞳で。
響の大好きな人は彼女を見つめていた。
「紡……さん?」
「君が生きていてくれて本当によかった……」
「どうして、私なんかを……」
「かつて好きだった人を見殺しになんて出来ない」
かつてと。
はっきりとそう言われた。
当たり前だ。
別れを切り出されていつまでも好きでいてもらうなんて都合が良すぎる。
彼にとっては終わったことなのだ。
あまりにも当たり前すぎる当然のこと。
当然のことだから。
泣くな。
泣くのは彼に対してあまりにも失礼で情けない。
必死に涙を堪える。
「さて、これからどうすればいいのやら」
紡が半笑いで言う。
そうだ。
それどころではない。
あの一角獣がいつこちらに向かって突撃してくるか分からないのだ。
次の一瞬で二人とも肉片になって瓦礫の山にこびりついても全くおかしくないのだ。
「紡さんは逃げてください!! 私なんて置いて!! 今すぐに!!」
「それは出来ない相談だ」
「どうして!?」
悲鳴のような声で響は聞く。
「あの化物は君も僕も殺すつもりだからだよ」
倒壊した建物の瓦礫を振り払い、悠然とこちらに近付く一角獣の姿が見える。
どう考えても流してくれる様子はない。
「それに、こういう時。命懸けで守るのが僕の目指した
不適合者でナノマシン手術を受けられないどうしようもなく才能を持たない体だけど。
心は。
精神だけは。
夢見て目指した
守るべき対象は脚を怪我していてまともに動けない。
対して相手は道中にある一切を貫いて走る装甲車のようなものだ。それがロケットのような速さで突っ込んでくる。
彼女を抱えたまま逃げ続けるのは現実的な手段ではない。
守るには、生き残るには。
倒すしかない。
あの、化物を。
「……僕が、倒す」
「紡さん!? 何を言って……っ!?」
「桐川はここで待ってて」
響とは呼ばなかった。
もう彼氏彼女の関係ではないからだ。
「あいつは僕が、倒す」
そう言って不適合者は立ち上がる。
勝率は絶無。
どうあがいても勝てない絶望的な勝負。
勝算はどれだけ都合よく考えても微塵もないだろう。
それでも。
後ろに守るべき対象がいるのなら、紡は絶対に諦めない。
そう、赤羽紡は
その本質は違う。
原点は違う。
母親に褒められた。それだけの単純な感情だった。
ヒーローに憧れた。
現実的な職業でそれに最も近いのが
ナノマシン適合がなくて、
ヒーローになれないと決まった訳じゃない。
適合者だから強いんじゃない。強いから守れるんじゃない。
守れるから守るんじゃない。
守るからヒーローなのだ。
少なくとも、紡はそう信じている。
「僕が君を守る」
紡は一角獣目掛けて飛び出す。
「志は立派だが、それは自殺行為と言うんだ。赤羽」
そして飛び出した一歩目を棒状の何かで払われて、紡は盛大に転倒した。
「へぶっ!!」
「学友が死にかけているのは見過ごせないし、元学友が自殺しようとしているのも私としては見過ごせないな……」
瓦礫の山に顔面を打ち付けた紡は抗議しようと勢いよく顔を上げる。
そこには機械仕掛けの槍を構えたポニーテールの少女がいた。
彼女を紡は知っている。
響も知っている。
「白峰っ!?」
「いくら君が体術や知能に優れているとはいえ、適合手術も受けず能力デバイスも扱えずに戦える相手ではないだろう?」
槍を一回転させ、吹雪は一角獣を見据える。
「強いな……、私では勝てるかどうか微妙なところか」
それでも紡よりは遥かに可能性がある。
「私がアレの相手をする。赤羽は桐川さんを背負って逃げるんだ」
「……白峰。お前でもアレは無理だろ?」
「正直勝てるとは断言できない。いや、恐らく勝てない。しかし時間くらいは稼げる。
紡は少しだけ思考して。
悩み。
決断する。
ここで吹雪と一緒に戦っても足手まといになるだけだ。
動けない響が戦闘の余波で死傷する確率は高い。
吹雪もそんな状況では思い切って戦えはしないだろう。
「白峰、死ぬなよ?」
「肝に銘じよう」
「恩に着る」
「気にするな、彼女を守ってやれ」
「もう彼女じゃないよ」
「は?」
紡はそう言って立ち去り、響を背負い瓦礫の山を駆け降りる。
一角獣のいた方向とは反対側に。
「あの二人別れたのか。……そうか、意外としか言いようがない」
最後に衝撃的な事実が明らかになったが、今はそれどころではない。
一角獣がこちらを睨みつけている。
「随分と大人しく待っていてくれたのは、あの突撃は頻繁に使用できないからか?」
その可能性はある。
クールダウンが必要なのかチャージが必要なのか。
ならば付け入る隙はある。
吹雪は気を引き締めて槍を構えた。
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