第15話 とある少女の独白
後悔していた。
何もかもを。
支えると決めたのに。
例えどのような結果になろうとも、彼のことを最後まで支え、そばに居ると決めていたのに。
彼を裏切った。
見捨ててしまった。
そこにどのような背景があったとしても、彼女が裏切り。彼を見捨てたことに違いはないと、少なくとも彼女はそう考えていた。
あれからまともに寝れていない。
彼に綺麗だと思って欲しくて、可愛いと褒めて欲しくて、ただそれだけの為に手入れを欠かさなかった肌と髪は荒れている。
肌はスキンケアを怠り、過度のストレスと睡眠不足から。
髪も似たような理由だ。
目元の隈も酷い。
薄化粧で隠してはいるが、疲労困憊の様子は隠し切れないだろう。
足取りも頼りない。
これでも適合者として体は強化され、
成績は優秀ではないが、一般の人よりは頑丈な身体の筈だ。
それを酷使して擦り切れるくらい彼女は打ちのめされていた。
自らの行いに。
街中を歩く。
目的もなくふらふらと。
歩く理由は家にいたくないから。
あの家族と、とくに父親と会いたくない。会話したくない。同じ空気を吸いたくない。
決断したのは自分だ。
実際に行動したのは自分だ。
それでもその原因となった父親を糾弾し、八つ当たりしない自信が今の彼女にはない。
「酷い顔……」
ショップの窓ガラスに映った自分の顔を見て、彼女はそう呟く。
こんな顔でも彼は好きだと言っていた。
好きだった。
彼が好きだった。
きっかけは褒められたものじゃないけど、それでも胸を張って愛していると言える恋だった。
どうすれば良かったのだろうか。
全てを捨てて彼を選べば良かったのだろうか。
そうすればこんなにも辛く苦しい思いはしなくて良かったのだろうか。
地獄だ。
今のこの状況も。これから訪れるであろう未来も。
一度幸福を知ってしまったばかりに、より一層地獄は際立って辛く見える。
どんな地獄でも彼と一緒なら良かった。
そうだ、それで良かったのだ。全てを捨てて、失っても彼がいればそれで良かったのだ。
今更そんな単純で簡単なことに気付く自分の愚かな脳味噌が憎らしい。
考えに没頭していて気付かなかった。
ふと周りを見る。
誰もが呆然とした顔で口を開けて空を見ていた。
まるで信じられない光景がそこにあるかのように。
つられて空を見上げる。
空がひび割れていた。
蜘蛛の巣状に、空に亀裂が走っている。
亀裂が集まる中心部にはポッカリと穴が開いていた。
その奥は薄汚れた世界に繋がっている。
知識としては知っていた。自分達の住むこの世界は、綺麗で住み心地の良い世界は偽りで。
本当の世界は汚く、過酷で、人間が生きていけるような場所じゃない。
かつて地球という星は生命に溢れた星だった。
それを人類が穢し尽くしたのである。
外の世界では作物は育たない。水も大地も大気も穢れてしまっているからだ。
太陽の光さえ届かない薄暗い廃墟と荒野が続く死の大地を支配しているのは異形の化物だ。
化物は穢れた世界をものともしない。
そして人類よりも遥かに生存力が高く、強い。
外殻で守られたこの平和な世界は、逆に言えば外殻がなければ生きていけない程に人類がひ弱であるということだ。
化物が降り注ぐ。
呆然としている人から死んでいく。
あっさりと。
人間から、ただの肉塊へと変り果てる。
その光景を見てようやく我に返った者たちが我先にへと逃げていく。
どうするべきか。
適合者である彼女は一般人に比べれば遥かに強い。しかし、
実戦経験のないただの学生だ。おまけに成績もそんなに良くはない。
能力デバイスも持参してはいない。
どうあがいても化物と戦って勝つことは出来ないだろう。
では出来ることはなんだ。
避難誘導か。
この混乱する人々を集め、まとめ、避難場所まで誘導する。
無理だった。
彼女の手には余る。
そもそも自分の命さえも危ういこの状況で他の人を優先する余裕はない。
この場所にいてはいけない。
そんな焦りが彼女を突き動かすが、どこに行けばいいのかも分からなかった。
頭が真っ白になりどうすればいいのかも定まらぬまま、彼女は無我夢中で駆け出した。
真っ白な頭に過るのはあの夜。
彼女が間違えた日のことだ。
最後の適合検査。その結果が発表された夜に、父親に呼び出された彼女は沈痛な面持ちでその場にいた。
「約束は覚えているな?」
父の声が響く。
もちろん覚えている。
忘れる筈がない。
そして納得もしていない。
「彼は有望な人です」
「そうかもしれない。しかし適合者ではない。意味が分かるな」
分かりたくない。
彼女にとって彼が適合者か否かなど大した問題ではなかった。
「彼とは別れなさい。それが約束だった筈だ」
そう、彼女は父親と約束していた。
一縷の望みを持って挑んだ最後の検査に彼は受からなかった。
それは適合者としての終わりを意味する。
彼はナノマシン手術を受けることが出来ない。
「君にはもっと相応しい相手がいる」
相応しいとはどういう意味だろうか。
彼女に相応しいのか。
それともこの家にとって相応しいのか。
考えなくとも答えは明らかだ。
相応しいではなく、都合が良いと言い換えた方が正しいだろう。
「分かりました」
何が分かったのだろうか。
心を殺して絞り出した言葉がそれだった。
心の通わない言葉だった。
暗転。
彼の悲し気な顔はいつも夢に見る。
優しくて、強くて、努力家で。
頭が良くて運動も出来る。
優秀で幼い頃より神童と名高い彼は。
そんなスペックとは比べ物にならない魅力が沢山ある。
その沢山を彼女は知っていた。
ずっと一緒だったから。
支え続けてきたから。
恋人という特別な関係だったから。
他の人の知らない彼の側面を沢山見てきた。
「別れましょう」
この言葉がどれほど彼を傷つけたか。
追い詰めたか。
適合者となって
ナノマシンに適合しなかったという生まれながらのどうしようもない理由で叶わぬ夢。
絶対的な自身の指針が失われ。失意の底にいる彼に追撃のように放った言葉。
その言葉が彼に与えただろう痛みを想像するだけでこの身が避けそうなほどに苦しくなる。
「どう、して……」
「貴方が適合者ではないからです」
適合者として有望だったから近付いた。
適合者ではない貴方に価値がない。
そう取られるように冷たく言い放つ。
思い出せば、この言葉を聞いた瞬間から彼の瞳には光が消えた気がする。
「そうか……。そうだよな、適合者でない僕に価値なんてないよな……」
納得するように。
言われた言葉を噛み砕いてゆっくりと咀嚼するように。
彼は飲み込んだ。
そんなことはない。
例え適合者でなくても。
不適合者でも。
優秀でなくたって。
貴方の傍にいると。
そう言いたかった。
貴方はとても魅力的で。
大好きで。
一緒に居たいと。
想うだけで。
言葉には終ぞならなかった。
それが彼女の人生最大の間違いで。
罪で。
そしてこれは罰なのだろう。
どれだけ逃げただろうか。
どれほど走っただろうか。
長い時間逃げ続けた気がする。
それも、ここでようやく終わりを告げそうだ。
臓物と肉片に塗れた鮮血が頬を汚す。
目の前を走っていた誰かの一部だったモノだ。
それを蹴散らしたのは他でもない。
彼女の目の前にいる化物だった。
いつの間にか化物の目の前まで走り込んでいたのか。
あるいは彼女の気付かぬ間に頭上から降ってきたのか。
どちらにせよ。
もう、逃げ場はない。
明確な死が彼女に襲い掛かった。
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